【第117話】例の猫。
「やあ、マルタ。元気?」
「お、おかえりだーりん……」
現在、マルタの部屋。
僕の家から一時間ほど浮遊魔法で移動したところに超A級ダンジョンがあるので、そこから冒険者ギルドに移動している。
あの屋敷を建てる際、僕が最も重視したのは冒険者ギルドへの移動に掛かる時間だ。最初はテオルス領内であればどこでもよかったのだが、一々長距離移動するのも面倒なので、最終的に今の場所に決めたのだ。
大体ファレリアと超A級ダンジョン、丁度その中間辺りに位置している。
ちなみに、ラティは家に置いてきた。付いて来たがらなかったから。
「……だーりん、もしかして怒ってる?」
「いや? 寧ろ、マルタに会えてすごく嬉しいよ」
「でも、お顔が全然笑ってないよ……?」
おっといけない。僕としたことが、笑顔を忘れていた。
「もし先に言いたいことがあるなら一応聞くけど」
「えっとー……」
「うん」
「サプライズ大成功〜……みたいな? あはは〜……」
「……」
ぐい〜っ!
「い、痛い!」
「そうだね。でも、マルタの頬のつねってる僕の心も痛いんだよ」
「意味分かんないよ〜……」
それから十数秒ほど無言無表情でマルタの頬をもちもちしていると、僕の目に予想外のモノが飛び込んできた。
いや、僕の目に予想外のモノというか、予想外のモノがマルタの目にというか────。
マルタの髪で隠れているはずの紫色の瞳、そこを覆うように眼帯が着けられていたのだ。
「……何それ?」
「ん、あーこれは……まあ、おしゃれ?」
マルタはすーっと目を逸らす。
「うわ、嘘下手。僕のことナメてる?」
「まさか〜」
そう言って、マルタは舌をぺろっと出す。
「……ナメてんじゃねえかっ!」
「じ、じょーだんだって〜」
僕の記憶が正しければ、その右眼には覚性スキルである『未来演算』が宿っていたはずだ。
その目を隠しているということは────。
「……もしかして、もう視えないの?」
「……」
返ってきたのは、沈黙。
流石の僕でも、それが“肯定”を意味していることは分かる。
僕はぐい〜っとしていた手を離す。
「……何も訊かない方がいい?」
マルタは、首を横に振る。
「…………何があったの?」
数秒の沈黙の後、マルタは口を開いた。
「交換したんだ」
「……交換?」
「うん。等価なものがこれしかなかったから」
「何と?」
僕がそれを訊ねるのを待っていたかのように、マルタはにやりと笑う。
そしてマルタは、右手と左手でそれぞれ上と下を指差し────、
「────天界と深淵を、自由に行き来する権利だよ」
そう言い放った。
「な、なんだって……?」
いや、それが何か自体は聞けば大体分かる。
だから、僕はこう聞き返すべきだった。
何のため? と。
「直に分かるよ、だーりん。だから今は、目の前のことに集中してほしいな」
僕の思考を読んだかのように、マルタはそう言った。
「天界と深淵、ノアと時兄。これで伝わるかな」
「……」
僕のあずかり知らないところで、とてつもなく壮大な話が展開されている。
「まだ話すつもりはなかったんだけど、どうしても気になるみたいだったからね」
天界と深淵。
今僕がいる〝ここ〟とは別の世界。
あの二人は、そんな場所へ何しに行ってるんだ?
「そ、れ、か、ら〜──」
僕が色々考え事をしていると、マルタが突然抱きついてくる。
「今はお互い視えない同士、仲良くしようね?」
「……」
僕はマルタを引き剥がす。
別に抱きつかれるのが嫌とか、照れてるとかではない。もし世界が許してくれるのなら、こちらから抱き付きたいほどだ。
けど────、
「……なんか、話を終わらそうとしてるよね。僕は、例の古代遺跡での出来事についても訊きたいんだけど」
「ぎ、ぎくり……」
「ねえマルタ。僕はこれでも、マルタことを尊敬してるし信用してるんだ。だから、君が右眼を失ったことについては何も言わない。実際、それが最善だったんだろうし」
「……」
「でも君は、僕があの古代遺跡で遭遇する出来事を全て視ていたはず。それに君のことだ──それだけじゃなくて、眼を失う前にこの先起こる大体の未来の演算も済ませてた、違う?」
「う、うん……合ってるよ」
僕は「だよね」と言って続ける。
精一杯の、作り笑顔で。
「────それじゃあ、なんで教えてくれなかったの? 古代遺跡のアレ」
さっきの話を切り出す時より、遥かに重いであろう口を開いた。
「……サ、サプラ〜イズ──あうっ!!」
僕は全力でデコピンを繰り出した。
マルタはその勢いで後方へ倒れていく。
「い、痛〜!」
と、涙目でおでこをさするマルタ。
「そうだね。でも、マルタのおでこを弾いた僕の指も痛いんだよ」
「さっきも似たようなの聞いたけどやっぱり意味分かんないよ〜!」
とても痛そうにしているマルタを「可哀想に……」という顔で眺めていると、再びマルタが口を開いた。
「うう……だってだーりん、教えようとしてもどーせ“ネタバレNG”とか言うし、そもそも教えても好き勝手するじゃん……」
「待て待て、いつからマルタの中の僕はそんな聞かん坊になったんだよ」
「……五か月ぐらい前から?」
五ヶ月前……?
「……え、最初っから!?」
ここ最近で一番の衝撃的事実が判明した。
「それに、マルタみたいな小さい女の子をいじめて楽しむ趣味があるような人だとも思ってた……」
「そこまで悪逆の限りを尽くした記憶は欠片もないんだけど」
僕とマルタの初会はそこそこ穏やかだったはずだ。
それとも僕の記憶にないだけで、何かやらかしてたりするのか?
「お望み通り、最恐だね」
「最悪だよ」
とまあ、冗談はさておき。
「それで、結局あの老魔法使いは何者なんだ?」
「んーとね、まあよくいる最近調子づいてきた勢力の一つなんだけど──変わってるのが、“災厄の魔女”を信仰の対象にしてるってとこなんだよね」
「ふうん……?」
災厄の魔女か……それならラティを連れてくればよかったな。
「〝ロスト〟って呼ばれてる勢力でね、その目的は“災厄の再現”。実は四年くらい前にも活動してたんだけど、偶々現場に居合わせた時兄が八割方壊滅させちゃって、それっきり姿を見なくなってたんだ」
「うわ、可哀想」
相手からすれば時臣さんの方が災厄じゃん。
「でも、どこからか“眼”のことを知った。今はその“眼”を持つ人たちを集めて、例の目的を達成させようとしてる──大体こんな感じかな」
「へえ……じゃあ、僕が『月詠』を持ってたら勧誘されてたりしたのかな」
「されてたかもね。もしそうなってたらどうする?」
「一旦仲間になって、つまらなそうだったら壊滅させる」
「わお。流石、最低最悪最恐のだーりんだね。恐れ入ったよ」
「そのラスボスみたいな称号はやめてくれ。僕のイメージが悪くなる」
ただでさえ今の僕はあまり良いイメージを持たれてないんだ。このままでは本当に邪悪の権化みたいな扱いになってしまう。
「ちなみに、ロストの本拠地があるのはヴェルナ山脈近くの大きな廃城だよ。かつて災厄の魔女が壊滅させた場所だね」
「そんなとこを拠点にしてたら誰かに気付かれそうなもんだけど」
「最近ヴェルナ山脈で起きてるあれのせいで誰も近付こうとしないからね〜」
「ああ、そっか……」
そして、それを解決しようとしているのが咲刃とゼーレ。もしロストを片付けたら、そのままヴェルナ山脈に寄って加勢するか……必要なさそうだけど。
「もしロストの本拠地に行くなら三日後がいいと思うよ」
「どうして?」
するとマルタは笑みを浮かべた。
「────丁度三日後、ユナがそこに乗り込む予定だからね」