【第105.5話】吸血鬼と少女の決意。
「何……? チッ!」
構えていた左手で、こちらに向けて放たれた魔弾をを弾く。
魔法が、使えなかった。一般的な魔法封じのように魔力操作の阻害や詠唱破棄ではなく、詠唱後に魔法式の展開及び放出が出来なかった。
まるで栓がされているような────。
「冥土の土産に教えてあげるわ。それはこの杖の特殊効果なのよ。“吸血鬼殺し”って知ってるかしら? ま、知ってる訳ないわよね。だってこれは、貴方が眠っている間にある古代の遺物を利用して作られた世界に一つだけの杖なんだもの」
「古代の遺物、だと……?」
それよりも、だ。我が眠っている間に作られたということはつまり、表舞台では死んだことになっていた我の生存を把握していたということではないか。
当時は我ですら確実に死ぬだろうと思っていて、三百年の刻を経て奇跡のような生還を果たしたというのに。
「三代前の国主様が、国一番の職人に頼んで十数年の時間を掛けて作り上げたものなの。そしてその職人にとって、これは生涯最後の作品でもあるわ」
「悪いが、貴様の長話に付き合っている余裕は無くてな。さっさと始めるぞ」
再生阻害を持つ魔法、そして此方の魔法が封じられ魔力感知すら使えない今、かなり劣勢に立たされていると言える。
視界は悪く、近接戦闘のみ──幸い、近接戦闘には心得があるが、弱体化されたこの身一つで戦い続けるのは些か無茶というものだ。
心臓を二つまで回復させることが出来ていれば、幾分か勝機があったのだがな。如何せん、失った心臓を一つ取り戻すのに数年の歳月を要するのだ。漸く二つ目という時に、本当に時期が悪い。
いや、だからこそか。
「まさかとは思うけど、勝つ気でいるの? この人数を相手に?」
サブリナがそう言うと、辺りに突然魔法使いが姿を現す。
その数は優に四十を超えていた。そしてその全員が、ゴールド級以上の実力を持った魔法使い。
影の外套──自身と自身の魔力の気配を完全に遮断する魔導具か。
ゴールド級如きの透明化魔法にしては練度が高過ぎる(特化しているのなら話は別だが)。影の外套だけでなく、魔法強化系の魔導具も持っているのだろうな。
まだ日は落ちたばかりだ。長期戦にもつれ込めば此方が不利になる為、『夜の王』による強化もあまり期待出来ない。
「今夜、この場所で新たな伝説が生まれるわ。“伝説の吸血鬼が葬られた聖戦”、とかね」
「これから起こるのは戦いなどではない──ただの鬼ごっこだ」
我がいなくともユエが安心して生きて行けるよう、禍根は完全に絶っておかねばな。
「一人残らず全員道連れだ。共々地獄へ堕ちようか」
■ ● ▼
「はあっ……はあっ……!!」
「……」
昨日の夜、マルタさんから直接依頼が入った。それは“ハイナジトラで女の子を救出しろ”というもの。
元々ハイナジトラに用事があった僕たち兄妹は快くそれを引き受けた(まあどうせ拒否権はないし、用事があったからこそ依頼してきたんだろうけど)。
そしてつい十分程前、ハイナジトラの首都“ベルフエルカ”に向かって走っていた馬車を襲撃し、中にいる少女を救出することに成功した。
しかし、その少女は救出するや否や、急いで馬車が向かっていた方向の真逆へと走り出してしまった。
マルタさんから何も事情を聞かされていない僕とアリスは、最初こそ「?」という表情を浮かべていたが、その少女の必死な様子を見て、只事ではないと判断して後を付いて行くことにしたのだった。
「お、お兄ちゃん……どうしたのかな、この子」
「それはまだ分からない。でも、放っておく訳にもいかないよ」
「うん、それもそうだね」
それから暫く走り続け、森が見えてきたというところまで来ると、そこには凄惨な光景が広がっていた。
「こ、これは一体……」
「うっ……」
辺りには鼻をつく酷い血の匂いが充満していた。
アリスは口を抑え、一歩後退る。
それは、大量の死体。数にして三十から五十、そのどれもが胴体或いは四肢が切断されている状態で、正確な数を把握するのがとても難しい程の惨状だった。
そしてその中心に、二つの人影。
片方が腕を前方斜め上へ突き出し、もう片方の心臓部分を宙吊りのような形で貫いていた。
その傍には真っ二つに折れた杖が落ちていて、少し離れた場所からでも、それがとても質の高いものだと分かる。
「──お、お姉さんっ!!!」
少女は大声を出すと、その二つの人影に全力で駆けて行った。
「アリス、何人助けられそうかな」
僕は一縷の望みに掛けて、そう問い掛けた。
もし彼らが全員悪人だとしても、それは命を助けない理由にはならない。
「……ゼロ、かな」
「分かった、ありがとう」
僕はそう言うと、中心に向かって歩いた。
「お姉さん、お姉さんっ!!」
少女が身体を揺すって声を掛けているのは、腕で貫いている側の女性だった。
その女性は満身創痍で、その身体に三箇所ほど魔法で貫かれたような穴が空いていた。
確かに立ってはいるのだが、彼女の息は無く、既に事切れているようだった。
これは、彼女がやったのか? ここで倒れているのは、装備からして全て魔法使いだ。この数の、しかもハイナジトラの魔法使いを相手にして、こうなったのか?
「にわかには信じ難いな……」
改めて周囲を見渡す。
これじゃあまるで、蹂躙じゃないか。あちこちにある死体の状態から考えても、ものの数分で決着が付いたはずだ。
「お、お兄ちゃん……この人、魔法使ってないよ……?」
「!!」
アリスに言われて気付く。
この人から、魔力の流れを全く感じない。
直前……つまり、この戦闘で魔法を一つでも発動していれば、この人自身や周囲にはこの人の魔力痕が残っているはずだ。それは本来とても見つけにくいものだけど、僕やアリスなら絶対に見逃すことはない。
僕やアリスはA級冒険者の中でもかなり上位の実力があると自負している。
マルタさんからは「ラスタリフと時臣の為に“S級”ってのを作ろうと思ってるんだよねー」と言われるくらいだ。
魔力や魔法、武器を一切使わずに素手とスキルだけでこの状況を作り出すなんて、人間業じゃない。もはやこれは、純系魔王クラスの所業だ。
「お姉さん、目を覚ましてください。お願いします……」
いつの間にか少女はその女性を仰向けにし、自身の膝の上に頭が来るような形で寝かせていた。
「……その人はもう────」
その先を言うのは躊躇われた。
こんな年端も行かない少女にそれを告げるのは、あまりにも酷だ。
「お姉さんは、死んでなんかいません……」
少女は、その女性に目を向けたまま続ける。
「──だって、お姉さんは偉大なる吸血鬼で……最強の魔法使いで……最高に優しい私の大切な家族なんですよ…………死ぬわけ、ないじゃないですか」
横たわっている女性の頬に、水滴が幾つか零れ落ちているのが分かった。
「……そうだね」
吸血鬼──それは、今となっては魔人についでその数を減らしている種族。
そして僕の記憶では、“偉大なる吸血鬼”と呼ばれる吸血鬼は、吸血鬼の王、夜の王、或いは血姫と呼ばれ恐れられた、あのベルクロエ・ブラッドレインその人だけ。
しかし、その吸血鬼は数百年前にこの世を去ったはず。マルタさんは、これを知っていたのか……?
「……」
本来、吸血鬼を含む魔族は死ぬと十秒もしない内に“核”を残して身体が消えてしまう。
しかし、死して尚そこに立ち続けていた彼女──それが伝説と謳われた彼女の意志の強さによるものなのか、僕には分からなかった。
少女は目元を拭うと、
「……絶対に助けます。いつかまた、目を覚まさせてあげます。だから今は、私の中で眠っていてください、お姉さん──」
『調和の宴』
突然、辺りが眩い光で満たされる。
暫くして光が消えると、そこには一人の少女。先ほどまで圧倒的な存在感を放っていた吸血鬼の姿はどこにもない。
そして少女の髪は、元々の黒に紫が半々に混じったような髪色へと変わっていた。
少女は徐ろに立ち上がると、「もう大丈夫」と言わんばかりに両手で頬をパチンッ、と叩いた。
「お二人とも、助けていただきありがとうございます」
そう言って頭を深く下げる。
「……ううん、大丈夫だよ。それよりも、君に紹介したい人がいるんだ。その人なら、何か君の力になってくれるかもしれない」
「でも私、これ以上何かしてもらうわけには……」
「気にしないで。これも依頼の一部みたいなものだから」
「そうなんですか?」
彼女を連れて帰るとこまでが、マルタさんの依頼内容なのだろう。最初から全部説明しておいてくれたらいいのに、あの人は必要以上にものを語りたがらない。
「私はユエっていいます──いつか偉大なる魔法使いになる予定の、期待の新人です」
「あはは、それは楽しみだね。僕はラスタリフで、こっちは妹のアリスだよ」
「よろしくね、ユエちゃん!」
「はい、よろしくお願いします!」
そうして僕とアリスは、ユエさんを連れてマルタさんの下へ帰ることにした。