【第104.4話】吸血鬼と少女の過去。(2)
“私は一目で、この眠れる美女がかの伝説の吸血鬼だと分かった。現在、世界中で彼女の死が騒がれているからだ。
それもそのはず、純系魔王と共に長らくこの世界の頂点に君臨していた王の中の王が、ついにその座を降ろされたのだから。喜ぶ者もいれば、悲しむ者もいる。恐らく、前者の方が多いのだろう。”
“もう、ほとんど息はない。意識もなく、放っておけば、後数週間で散る命だ。”
“私は何を思ったのか、自身の血を彼女に分け与えることにした。それは、慈悲や同情などという綺麗な感情ではない。深く暗い貝紫色の髪に、高貴な衣装に包まれた白く透き通るような肌──私は、彼女の姿に魅せられてしまったのだ。”
そして次の日付は、一ヶ月後まで飛んでいた。
“彼女は目を覚まさない。長いこと彼女の傍にいるが、それらしい気配すらない。浅く息をしているのがかろうじて分かる程度で、本当に生きているのか、確信を持てなくなってきた。
この小屋もかなり綺麗になってきたので、そろそろここに暮らすとしよう。どうせ、村には何の未練もない。”
そして、日付は一年後。
“彼女はまだ目を覚まさない。やはり、血が足りないのだろうか。毎日欠かさずに私の血を与えてはいるのだが、所詮人間一人の血液量……延命程度にしかなっていないのだろう。
一日に私が与えることの出来る量には限度があるし、彼女に動物の血を飲ませる訳にもいかない。何か手はないだろうか。”
次のページに日付は書いておらず、走り書きでこう書かれていた。
“そ う だ、村 の 人間 が い る じ ゃ な い か ”
日付は、十年後。
“彼女は、それでも目を覚まさない。付近の村では、この森には血を喰らう鬼が棲んでいるという噂が流れるようになった。確かに間違ってはいないが、その鬼は未だに眠り続けたままだ。それでも彼女は美しく儚げで、狂おしい程に愛おしい。
“一度でいい──目を覚まして、私と言葉を交わしてはくれないだろうか。”
日付は、五十年後。そして、これが最後のページ。
“彼女は、最ごまで目をさまさなかった。しかしそれでも、わたしは彼じょにささげたこの人生を後かいしていない。だれかが、かのじょを見つけだし、目をさましてくれることねがう。それは、わたしのやく目ではなかったようだから。
そしていつか、わたしのこの思いが、とどいてくれるとしんじて────”
『“しん愛なるあなたへ、このにっきをおくります”』
そしてその下に、後書きのようなものが書かれていた。
“わたしは、めをとじた。”
「……」
言葉が出なかった。まさか、我が眠っている間にこのような事が起きていたとは、誰が想像出来ようか。
「あの、大丈夫ですか?」
「…………大馬鹿者が」
「えっ」
さっさと何処かへ行ってしまえばいいものを、眠れる吸血鬼にたった一度の短い人生を捧げるとは、馬鹿者だ。
ただ、それよりも。
何故、我は目を覚まさなかったのだ──、
この大馬鹿者が。
「あ、あの! 日記が壊れちゃいますよっ!」
「……っ」
どうやら、無意識の内に日記を強く握っていたらしい。
日記の男は、これほど我に対する想いを綴っておきながら、最後まで名を残さなかった。
息を引き取るその瞬間まで、いつか目を覚ました我に、自分自身の口で名乗ることを夢見ていたのだろうか。
「久しく忘れていた感情だな。三百年ぶりか?」
何とも、遣る瀬無い。
自身が今、悲哀に近い感情を抱いているのにも関わらず涙が出ないのは、我が吸血鬼だからだろうか。本当にこの身体はどこまでも不便だな。
その時、何処かからぐぅぅという音が聞こえてくる。
それが少女のものである可能性に賭けたが、残念ながら自分自身のものだった。
「……腹が減った。血が飲みたい」
「あっ、そうですよね! では、どうぞっ!」
何の躊躇いもなく首を差し出してくる少女。
「よ、良いのか?」
まさか、喜んで我に血を飲まれようとする者がこの時代にもいようとは。
「はい。私は、そのために捧げられたので」
そう言った少女が浮かべた笑みは、とても純粋なものだった。
飢えた吸血鬼に血を吸われるということは、そのまま吸い殺されてもおかしくないのだぞ。
────人間というのは、ここまで生に無頓着になれるものなのか?
「……そういえば、其方は我が吸血鬼であると知っておったのだな」
この少女はあの日記を最初の一ページしか見ていないと言っていたが、そのページだけでは我が吸血鬼だとは判断出来ないはずだ。
「それなんですけど、二年前に私がここを見つけたとき、中にはもう人がいて──可愛らしいエルフの女の子だったんですけど、その子に『動物のものでもいい、こいつに毎日血を飲ませてやってくれ。直に目を覚ます』って言われたので、お姉さんが例の血を喰らう鬼なのかなって思ったんです」
エルフの女の子──もしや、アルキラナか? あの引き篭もりが今になって我に会いに来るとは思えぬが、彼奴以外に思い当たる節がないのも事実。
「……ん?」
「どうかしましたか?」
この少女は先ほど、我に捧げられたと言っていたが──そもそもの話、噂の元となった日記の男は疾うに死んでいるのだから、血を喰らう鬼など、もうこの世には存在していないはずなのだが。
その旨を簡潔に伝えると、少女は考えるような仕草をして、
「でも実際、未だにこの森に入った人が度々行方不明になっているんですよね。この森には貴重な薬草も沢山自生しているので、入らないという訳にもいかないみたいで……」
「ほう、それは奇妙な話だな」
考えうる可能性は二つ。一つは、例の噂を利用し“血を喰らう鬼”として好き勝手やっている愚か者がいるという可能性。
もう一つは────。
「……うむ。その件、我が解決してやろう」
「えっ?」
「なんだ? 激しい戦闘は出来ぬが、調査くらいは出来るぞ」
「い、いえ! お姉さん、優しいなあって思ったので……」
そんなセリフに、ついきょとんとしてしまう。
「……ゴホン。我が優しいかどうかは兎も角、これは元を辿れば我が蒔いた種。我が何とかするのが筋というものだ」
それに、個人的にこの件には少し気になることがある。杞憂ならばそれで良いのだが……。
「とはいえ、少しばかり血を頂くぞ。腹が減っては何とやら、だ」
「はい」
ちなみに一口に吸血といっても、食事の為にする吸血と、相手を眷属にする為の吸血が存在し、後者は両者の同意の上でしか成り立たない。
そのため、相手を無理矢理眷属にしたい場合は『魅了』が使われることが多い。
我は差し出された首元に鋭い牙を立て、傷口から溢れる血液を飲む。
「あっ……」
それから少しして吸血を終え、口元を拭う。なんと便利なことに、吸血の際に創った傷口は、吸血後に塞がるようになっている。
それでも多少は傷跡として残ったりもするらしいのだが、我くらいになるとその心配はいらない。結局、それらの話は吸血が下手な奴等の言い訳にしか過ぎぬのだ。
「やはり若い娘の血は美味いな。それと、変な声を出すな。気が散る」
「だ、だって初めてなんですよ……?」
「ふむ……まあ、吸血には快楽が伴うものだからな。やむなしか」
そうだ、少し揶揄ってやろう。この娘がどのような反応をするのか見てみたい。
「ああ──どうせなら、最高に気持ちの良い吸血をしてやれば良かったな?」
そう言って、顔をぐいっと近付ける。
「あ……」
と、顔を赤面させる少女。
「……ぷっ、あっはっは! 冗談に決まっておるだろう! 真に初心い娘だな、其方は!」
さて、この娘の反応が楽しみだ。我の予想では怒りを顕にするだろうな、ふふふ。
「……」
その予想に反し、目に涙を浮かべて俯いてしまう少女。
そして同時に、とてつもない罪の意識に苛まれる。
「……すまん」
……なるほど、これが罪悪感か。