【第104話】冒険者、そして闇の少女。
「よ、よし。それでは好きなものを頼むが良い」
明揺の中心部に建つ大きな店の一室で、クロエさんは話を切り出した。
店の看板には“弦月”と書かれていて(読み方はクロエさんに教えてもらった)、高級な食材を取り扱っている飲食店のようだった。かなり人気なお店で、基本的に予約制らしい。
まあつまり、お礼をするはずの僕がお礼をされるはずのクロエさんにもてなされているのだ。
「本当に、何から何までありがとうございます」
僕はメニュー表に目を通す。
こういうお店にもメニュー表があることに少し驚いたが、意外とそういうものなのかもしれない。
「……」
ふとクロエさんの方を見ると、何やらソワソワしていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「……ん?! あ、ああ! 我は大丈夫だぞ!!」
「……」
気になるよ、そんな反応されると。
「もしかして、無理させちゃってますか? やっぱり、僕なんかに付き合うなんて嫌ですよね……」
そう言って、全力でしょんぼり顔をつくる僕。
「いや、そういう訳ではないぞっ?!」
ガタッと席を立ち上がるクロエさん。
ここが個室でよかった、いくら騒いでも大丈夫そうだ。
「でも、なんか嫌そうな顔してますし……」
「していない!」
「本当ですか?」
「ああ、我に誓ってしていない!!」
「それじゃあ、どうして悩んでいるのか教えてくれますか?」
「勿論、全部教えようっ!」
よし、とテーブルの下でガッツポーズを決める。
しかし顔に出ていたのか、クロエさんはやられたっ! という風な反応を見せた。
……というか、我に誓ってってなんだ? 神と同格かよ! というツッコミを入れるべきか、あんま信用できねぇよ! というツッコミを入れるべきか非常に悩ましい。
(すこぶるどうでも良いな……)
クロエさんは十秒ほど逡巡してから、重い口を開いた。
「──実言うと、あまり夜が好きではないのだ……」
「……夜が、好きじゃない?」
僕は驚いた。その珍しい好き嫌いにではなく、その格好で夜が嫌い派だということに、だ。
ぼやっとした僕の視界でも分かるくらい、クロエさんの格好は派手で珍しいタイプだ。
黒が強めのモノトーン──そういう子は、夜が好きと相場が決まっている。
「それは……夜が怖いからとか?」
と言ってみたものの、我ながら的外れすぎるな。S級冒険者が、夜の何に怯えるというんだ?
「まあ、大体そういう感じだな……」
「……」
当たってるのかよ。
「あはは、年相応なとこもあるんですね────」
──ダンッ!!
「……えっ」
突然の出来事に、僕の表情は凍り付く。
僕の顔の真横に、クロエさんの脚が飛んで来ていた。分かりやすく言えば、壁ドンの脚バージョン。
壁は若干凹んでるし(若干で済んだのがすごい)、もしこれが僕の顔に当たっていたらと思うと身震いしそうになる。
というか、いつの間にこんなに距離を詰めたんだ? テーブルの上に乗ってるし。
「やはり面倒だ。どうせこの男は我の眷属になるのだから、全て話してしまっても構わんな?」
と、そんなことを言い出すクロエさん。
全く状況を理解出来ない僕は、頭の上にハテナを浮かべることしかできなかった。
一つだけ確かなのは、ほんの少し前までのクロエさんとはがらりと雰囲気が変わっているということ。ここまで来たらもう別人だ。
「はじめましてだな、少年」
「……は、はい。こんばんは」
壁ドン(脚ドン?)をした状態のまま、顔をこちらに近付けてくる。
「我が名はベルクロエ・ブラッドレイン──吸血鬼の王、夜の王、血姫……聞いたことはないか?」
「聞いたことないです……」
僕がそう返すと、少しだけ残念そうな顔をして、すぐに表情を直す。
「まあこの際、それはどうでもいい。どうせすぐ知ることになるのだからな」
僕の顎をくいっと上げ、無理矢理目線を合わせにくるクロエさん。
先ほどまでのあどけなさの残った雰囲気はどこへ行ってしまったのか、今はただ威厳と色気に満ち溢れていた。
「其方、我の眷属にならぬか? いや、違うな……」
悲しいことに今の僕には、彼女の言葉を大人しく待つしか選択肢がなかった。
「────貴様、我の眷属になれ」
身の毛がよだつような感覚。それは紛うことなく、僕の生存本能によって鳴らされた警鐘だった。
有無を言わせず眷属にしてしまいそうな威圧感──そして、拒否したらどうなるか分かってるな? と言わんばかりの表情。
普通ならば、すぐにでも「はい、なります」と言ってしまうのだろう。
しかし、相手が僕ではそうはいかない。
「ご、ごめんなさい。丁重にお断りさせて──」
──メキメキメキ……
と、僕の耳元でそんな音が鳴り始める。
「ああ悪い、木材の軋む音でよく聞こんかった。もう一度言ってくれぬか?」
あ、これは駄目なやつだ。
「……はい、なります」
「それでいい──」
「いい訳あるかーーっ!!」
そんなセリフと共に僕の影から出てきたのは、お察しの通りラティだった。
勢いよく繰り出されたのは華麗なアッパー。僕がアッパー評論家ならば、百点満点のはなまるをあげていただろう。
────それが僕に向けたものじゃなければ、尚良かったんだけど。
■ △ ▼
「何故、お前がここにいる……」
「それは此方の台詞じゃ。というか、少し背が縮んだか?」
「似てはいるが、これは我の身体ではないからな」
「……」
僕は痛む顎をさすりながら、二人の会話を見守っていた。
なんだ、この状況は。他人の空似なんかじゃなくて、クロエさんは本当にラティの知り合いだったのか? そうなると、この人も相当長生きしてるってことだよな……。
「まさか、其方が眷属を作っているとはな。灰の魔女と共に姿を消したと思えば、四百年後の今になってのこのこと姿を現しおって」
「……この男は妾の眷属ではない。レヴィもな」
僕は意味もなくラティの横顔を眺める。
薄々気付いてはいたんだけど、ラティは災厄の魔女と深い関わりがあるらしい。時期的に考えても辻褄が合うし、何よりラティは災厄の魔女についてやけ詳しかった。レヴィというのは、灰の魔女もとい災厄の魔女の名前なのだろう。
となると、ラティが使っていたあの灰の魔法は──。
……まあ、結局僕には関係ないし、詮索するつもり
もない。世界中の誰もが、他人に知られたくない過去というものを抱えている。
しかしいつか、彼女の方から全てを話してくれるのであれば、その時はしっかりと受け止めてあげよう。
「そうなのか? では、我の眷属にしても構わぬということだな。それは助かった、クロエの奴がこの男を欲しがっていたのでな」
そう言って、僕を一瞥するクロエさん。
その言い振りからして、やはり先ほどまで僕と言葉を交わしていたクロエさんとは別人なのだろう。
「どういう理由でお主がその娘の中に身を潜めているのかは分からぬが──」
ラティはテーブルを挟んで対面の位置にいるクロエさんを睨めつける。
「此奴を貴様にやることは出来ん」
「ほう? それは────」
クロエさん、もといベルクロエという吸血鬼はニヤリという笑みを浮かべる。
「勘弁してくれ。本当に頼む、眷属にさせてくれ……」
そして、スッと頭を下げた。
「「……?」」
僕とラティは、同時に首を傾げた。
「ユエの機嫌を損ねる訳には行かぬのだ……無理矢理出てきて正体をバラした挙句、その男まで逃してしまったら、我は確実に嫌われてしまう──!!」
この人、まさか──、
「……その娘は、お主にとっての何なのじゃ?」
ラティの質問に対して、クロエさんはゆっくりと口を開く。
「む、娘のようなものだ……」
────ただの親馬鹿なのでは……?