【第97話】次章への序曲。
これは遡ること少し前、魏刹で起きた大事件が幕を閉じた、その直後の話──。
「およヨ? 一人で帰ってくるなんテ……あのウルサイのはどうしたんだイ?」
「……」
「……ゼノクン?」
俺は数十分前の出来事を思い出す。魏刹にある南耀平原という場所で、魔族の冒険者たった一人の手によってエイヴンは敗れ、この世を去った。
「……エイヴンを倒せる者が魏刹にいるとは聞いていないぞ、カノン」
「ンー? そリャ、吸収前のエイヴンなラ、一人や二人くらい倒せるのがいてもオカシくないでショ?」
「違う、吸収後の話をしているんだ!!」
すると、カノンは心底驚いたような表情をする。
「まさカ、あのエイヴンが負けたのかイ? 一体誰ニ?」
「奴の名前など知らん。もし知っていれば、今すぐにでも探し出し、殺しに行っている」
「……うーン、ごめんネ! 皆目見当がつかないヤ!」
と、満面の笑みを浮かべるカノン。
……正直言って、俺はコイツを信用出来ない。数年前に突如として深淵から現れ、彁羅として活動を続けているこの女。
名はカノン・ロスフィライト。有する能力は『思考裂誤』、他者の記憶や意識に介入し、本人の思考・認知を自在に書き換える能力。
カノン曰く、やろうと思えば、記憶の完全消去なども可能とのこと。
逆に問おう──信用出来るか? 自分の記憶が書き換えられていないという保証がどこにある?
コイツのそれは、他者を欺くという生易しいものではない。コイツ次第で、書き換えられたそれは他者にとっての真実へと変わってしまうのだから。
カノンは少し前、とあるS級冒険者に大怪我を負わされ、しばらく療養していた。
「してやられたな、ゼノ。今回はオレ達の負けだ」
「……帰ったか、ジルエレン。他の三人は?」
「三人共、今は手が離せないらしい。それなりに順調とも言っていたな」
この中性的な声と容姿の男(重要)は、ジルエレン・マグナテート。
彁羅の中で間違いなく一番の実力者で、かなり長いことこちらの世界にいるらしい。本人曰く、最低でも千年以上前からとのこと。
「なあ、ジルエレン。今回の件、本当にエイヴンでなければ駄目だったのか? それ以外に、ラプラスやチェリブラムを回収する方法はなかったのか? そもそも──」
「ゼノ。言いたいことは分かるが、一旦黙れ」
「……すまない」
「ププッ! 怒られてやんノー!」
……なんだコイツは。
「一つ目と二つ目、これはエイヴンでなければいけなかった。理由は、俺らが『強奪吸収』以外にスキルを奪取する方法を持っていないからだ。そして三つ目、“そもそも、あれらのスキルは本当に必要なのか”という疑問、これもYESだ。理由は、ラプラスがアイツらの手に渡ることを絶対に阻止する必要があるからだ」
「ラプラスは何があってもアイツらの手に渡らせるな。強奪吸収を失った今、ラプラスをこれ以上生かしておく意味はない。発見次第殺せ──天界の連中は既に動き始めている」
ジルエレンはそう言うと、部屋の奥へと進んで行く。
ラプラスを生かす意味はない、か。
最初から殺すつもりだったくせして、よく言う。
「そうは言ってもサ、ラプラスの下には今、エイヴンを倒せるだけの戦力が集まってるんでショ? 殺そうにも殺せないんじゃない? S級冒険者だってみーんな帰って来ちゃってるしネ」
カノンの言う通りだ。それこそ、ティファレトの下へ逃げ込まれたり、ラプラスの生みの親がもし帰ってくるようなことがあれば、いよいよ詰みだろう。
まあそこまで行けば、天界も容易には手が出せなくなるのだが。
「だからお前がいるんだ、カノン」
戻ってきたジルエレンの手には、何かが握られていた。
「──知ってるか? 魔王シリウスは、最盛期を迎えていた大きな国家を、内側から崩壊させたんだ。お前なら、それぐらい容易いだろ?」
ジルエレンの手からカノンの手に渡ったのは、紫色の核だった。
「これはネメシスに渡した特殊な核のコピー品だ。カノンにも、アイツと似たようなことをしてもらう」
現在、ネメシスはファルパンクにとって国防の要である司令塔ティファレトを陥落させる為に単独行動をしている。
俺に言わせてみれば、アレを落とすのはラプラス回収以上の難易度のはずなのだが、ネメシス一人で大丈夫なのかという不安が拭えない。
「似たようなコトっテ? まさカ、ラプラスにそれを埋め込メ、なんて言わないよネ?」
そのコアには、埋め込んだ機巧の制御を完全に崩壊させるという仕掛けが施されている。一度埋め込みさえすれば後は全て自動で動作するのだが、埋め込むまでの難易度が非常に高い。
相手の思考を操る、なんて芸当が出来る奴ならば、その限りではないだろうが。
「違う、狙うのはラプラスじゃない。ラプラスの、最も身近なヤツだ」
「なるほド?」
わざわざ間接的な手段に出ているのは、カノンの思考裂誤が機巧人形にも作用するか、ジルエレンには分からないからだろう。
ラプラスやティファレトのような機巧人形は、その存在が希少故に試す機会も少なく、カノン本人ですら知らないのだ。
コイツの場合、知っていて敢えて隠している可能性もあるがな。
「お前が最も親しいと判断した人間の思考を、お前のスキルでジャックしろ。そして、ラプラスを殺せ」
「オッケーオッケー了解だゼ! 準備はすればするだけいいんダ、さっさと向かうコトにするヨ!」
そう言うと、カノンは弾むような足取りで部屋を出て行った。
あいつ、まだ療養中だということを忘れているのか? スキルの代償に耐えられる状態ではないだろうに。
「……なあ、ジルエレン。カノンは信用していいのか?」
「さあな、オレにも分からない。ただ、少なくとも天界の味方じゃない。今はそれだけで十分だ」
続くようにジルエレンも部屋を出て行く。
「エイヴン……俺は、お前の仇を討つべきなのか?」
一人残された部屋で、俺は頭を抱えた。
■ ▽ ■
「そう、その調子」
「ぐっ……!!」
試合開始から大体三分が経過した現在、僕は相変わらずの激しい攻防を繰り広げていた。
とはいえ、全て僕がそうなるように仕組んだもので、激というより劇という感じだけど。
でも実際、戦い始めた時より、レオは遥かに強くなっている。
『万能者』による影響をもろに受け続け、S級冒険者の動きを再現していればそりゃそうだろと思われるかもしれないが、そもそも、この高度な再現を可能にしているのは、レオ本人の地力があってこそのものだ。
元々、レオはいずれS級に手が届く人間だったのだろう。僕は、その“いずれ”を今に持ってきただけに過ぎない。
そうは言っても、僕だって負けるつもりはない。万能者も十分試せたし、もう少ししたら分かりやすい見せ場でもつくって、場外負けにさせて終わらせようかな──。
『やア、久しぶりだネ!』
「……!!」
その時、僕の脳内に、ひどく覚えのある声が響いた。
『ワタシが誰だか覚えてるかナ?』
マズい、非常にマズい。今ここで、あなたが現れるのは。
『あはハ! 覚えてくれてるみたいで何よりだゼ!』
今すぐこの戦いを終わらせなければ──。
『 、 』
「……」
……頭が、ぼーっとする。
『そうダ──キミ、良いスキル持ってたよネ? 今だけ思い出させてあげるヨ! 折角だシ、思いっ切り暴れちゃおーゼ!』