9 「全てを完璧にできる人間なんていませんよ」
ちくちく、ちくちく、本日は針と糸とお友達になる日です。わたしはひたすらちくちくしている。
が、その隣では芸術が完成しようとしていた。
「ふふ、デミオン様は刺繍がお上手なのね」
「カンネール伯爵夫人も、素晴らしい手をお持ちだと思います」
今日は母から、刺繍をしましょうと強制的に捕まったのだ。貴族の女性は刺繍が教養のひとつだから、できないよりもできた方がいい。ただ、人には得手不得手があり、わたしは後者なのだ。
「男性なのに、刺繍もこんなに素晴らしいなんて。デミオン様は本当に何でもできるのね」
「父が、何でもできないと嫡男に相応しくない、と言っていたからですね」
「あら、でも本当に何でもおできになるなんて、やはり素晴らしいわ」
そう、語るまでもないがデミオンは刺繍の腕前も完璧だった。何よりも手が早い。のんびり刺すのも楽しいですね、と言っていたのだが、わたしからすると高速刺繍マシンのよう。
あの……、それが標準装備の速度なのですか?
天は二物を与えずってことわざがあるのに、嘘つきー!! と思ったけど、ここ異世界だった。きっと理が違うから、適用の範疇外でした。そもそもひとつが上手くいったからと、何でもいけると思うなよという凡人向けのお言葉ですね、ごめんなさい。
母もそれなりの腕前なので、的確に図案通り綺麗な糸で彩っていく。白い布の中にカラフルな花束が生まれていくのが、ちょっと羨ましい。
わたしだけが不慣れな手つきであっちに行ったりこっちに戻ったりで、運針が迷子になってしまう。きっと裏側はごちゃごちゃになっているだろう。
図案の線をなぞるように指しているのに、歪で、重ねた刺繍糸が凸凹で、悲しい進行具合だ。
「俺に何か望まれますか?」
「そうね、願い事は沢山ありますが……叶えるのに誰かの手を借りたくないのよ。ごめんなさいね」
デミオンと母は会話をしながらも、手が休まない。特にデミオンはもう既に完成させているので、これで三枚目に突入している。嘘のような現実だ。
「それは残念です。義母は何でも無尽蔵に願う方だったので、世の女性は皆そうだと思っていました」
おう、それは昨日も言っていた料理のことですかね。いや、それ以外も色々あったんだろうな。無尽蔵って単語がとても怖い。
継子とはいえ、嫡男をオールワークスメイド代わりにしてる人の価値観は、普通じゃないんだけど。
(でも、彼にはそれが当たり前だったのか)
「王女殿下は願わなかったのですか?」
手を止め、ふとわたしは尋ねていた。
あの綺麗なお姫様はどうだったのだろう。ふわふわの可愛いと綺麗ばかり集めたような王女様。彼女はこんなに何かもできる人が相手ならば、たっぷりと願ったのだろうか。
「あのお方は……」
デミオンが苦笑する。
「そもそも俺をお気に召してはいませんから。ご用意した物は全てお好みに適ったようでしたが、王女殿下にとって誰が贈ったかが、とても気になったのでしょう。つまらぬ男の贈り物が、気にいるような品ではいけないんですよ。だから、別の誰かである必要があったのでしょう」
ああ、贈り物がないとか言っていたもんね。あれ本当は、実際贈ったけどデミオンの名では届かなかったということであり、デミオンの名では決して受け取らなかったという意味でもあるのか。
とんでもない行為だ。
(デミオン様じゃ嫌だなんて、酷い)
きっと同じことが何度も、何度もあったんだろうな。贈っても、ありがとうのない贈り物。別の誰かからだと、すり替えられてしまう贈り物。感謝が絶対欲しいなんてまでいかないが、言葉を願うのは浅ましいだろうか。たった一言、ありがとうを望むのは行儀が悪いことだろうか。
(わたしなら嫌になってしまう。繰り返されるのなら、それはもう嫌がらせだよ。嫌いなら受け取らなければいいのに、もらうだけもらって、そんな風にするなんてあり得ない!)
これが王家の姫のやることだろうか。それでいて、可哀想な自分と思える発想があり得ない。
「リリアン嬢も、俺にあまり願ってはくれませんね。何でも叶えてあげますと言ったのに」
「わたしはマカロンタワーを作ってもらったので、それだけでもう十分です。欲張りは驕りの素なのです」
言ってから、少し考える。彼は何を望んでいるのだろう?
わたしの思考をよそに、デミオンはまた一枚刺繍を仕上げていた。真っ白なハンカチに刺されたのは、同じ真っ白な刺繍。けれども凄いのは、レース編みのような模様になっているからだ。
編んでいないのに、レースそのもののような刺繍なんて初めて見た。なんて綺麗なのだろう。
「では、こちらのハンカチはどうでしょうか? 受け取ってもらえますか」
さらに彼が付け加える。
「俺の刺した物と、リリアン嬢の刺している物を交換しませんか?」
「え、で、でも……わたし刺繍は苦手で、デミオン様よりも下手ですから……」
「全てを完璧にできる人間なんていませんよ。俺は誰かに刺してもらったハンカチを貰ったことがないのです。だから俺の初めては、リリアン嬢、貴女に叶えて欲しいです」
差し出されたハンカチは本当に美しい。こんなにも綺麗なのに、彼はありがとうを今までもらえなかった。いいや、それだけじゃない。
彼はありがとうを伝える機会もなかったのだ。寂しいね。それは寂しいことだ。
「ありがとうございます!! デミオン様、こんなに美しいハンカチはわたし生まれて初めて拝見しました!! 凄いです、この刺繍の技法も初めて目にする物です」
わざとらしいかな。でも、嘘でも誇張でもない。彼の刺繍は美しく、素晴らしい。賞賛は正当なものだ。
それにね、機会がないなら今から作ればいいと思う。
したことがないなら、今からすればいい。遅いなんて、そんなことはないよ。
「では、デミオン様も……わたしの刺したハンカチを受け取ってくださいね。わたし必ず完成させて、貴方にお渡しします! お約束ですから、絶対のお約束です!」
だから、わたしのど下手くそのハンカチを貴方にプレゼントする。望むことの嬉しさを贈りたいな。誰もが知っている心を、そうして知って欲しい。この世にある素敵なことを。まだまだ知らないことを知っていこう。
ほら、貴方には笑顔だって似合うのだから。
「ありがとうございます、リリアン嬢。そして、俺と約束してくれて」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
誤字報告いつもありがとうございます。助かっております。
デミオンの台詞の意味が伝わりにくかったので、分かりやすく変更しました。
ことわざを名言と勘違いしてい箇所のご指摘ありがとうございます。早速、本文を訂正しました。
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