80 「誰か、わたくしを大切にしなさいよっ!!!!」
「娘、目を瞑るな! お前には守護がある!!」
閣下の言葉にはっとして、わたしは閉じかけた目を見開く。王女の毒針が触れる寸前、まるで薄い膜のようなものに弾かれる。言葉通りに突き刺さらない。
驚いたのは王女も同じだ。
「なっ……な、な、なんでなのよ!!」
目の前の不思議な現象に狼狽える。その間にわたしは急ぎ後ろへ下がりながら、身を起こす。
「いいか、お前には白百合の血の精石がある。我輩もいる。ならば、明確な悪意ある攻撃から守られる」
その声に励まされるが、王女の利き手はやり直すかのようにわたしを狙う。その顔はベールで見えないが、悔しくてたまらないのだろう。握りしめる手もそれを雄弁に語る。
「ふざけないで!!」
「王女、お止めください!」
こちらの騒ぎに、騎士たちがやって来たよう。
二人が王女を止めようとし、もうひとりがわたしを庇おうとしてくれる。その間にデミオンも来てしまった。肩の打撲は大丈夫なのだろうか。
「リリアン嬢」
彼がわたしへ手を伸ばし、立ち上がらせてくれる。
「デミオン様、肩は大丈夫なのですか?」
「俺は頑丈ですから……というより、多分恩寵のお陰で軽減されてますね。俺よりも、俺に打たれた相手の方が大変だと思います」
そこで、彼が視線を前方へ向ける。その眼差しがきつい。
「王女殿下に何かされたようですが……」
「娘は無傷じゃぞ!! 白百合の血結晶を持つ身だ。我輩がこんなことを許すはずがない!」
「ええ、わたしは無事です。それよりも……」
わたしは王女が気になって仕方がなかった。
(閣下は、王女をとても気にしていた。あのベールが気になると……)
思い出すのは、マリアの最後だ。
灰になってしまった人。
彼女が善人かと問われれば、わたしは頷けないだろう。だが、わたしだってそうだ。わたしはわたしを根っからの善人だなんて思っていない。
(もし……王女も人外に何かされてるなら、もし、何かを約束してしまっているなら……)
また、間に合わないのだろうか?
いいや、今度は間に合うのではないだろうか?
「……リリアン嬢?」
黙ったままのわたしに、彼が訝しげな顔になる。
「デミオン様……わたし、マリア嬢みたいのはイヤなんです。王女殿下は好きになれませんが、だからってあんな風になってなんて欲しくないです」
「貴女は……彼女を助けたいのですか? 許すつもりですか?」
わたしは首を振る。
「許しません。だけど、消えてしまうのはイヤです」
それならば、直接やり合う方がずっとマシだ。口喧嘩だろうが、頬を張られようが、本人とじかに喧嘩する方がずっといい。
最初会った時に、あのドーナツ擬きのお店で、マリアともそうすればよかったのだ。
(……そうしていたら、あんな風にならなかったのかな)
わたしはデミオンではなく、王女の方へ向く。閣下がわたしの肩に乗った。見咎めるデミオンに閣下が告げる。
「王女のベールは、なんらかの呪術か呪具の類が濃厚だ。我輩に任せておけ」
「……精霊術ですか?」
閣下が首を振る。
「多分だが、我輩らのものではない」
わたしの前方では王女が暴れ、最初と同じように今度は己へ針を向け騎士を脅し始めていた。無理に取り上げるなといわれているのか、騎士たちは一定の距離を保ちつつ王女を取り囲む。
しかし、王女は気が立っているのか。
ヒステリックに周囲を脅して回る。とても手がつけられない。
「止めなさい!! わたくしの邪魔をするならば、今度こそ死んでやるのだから、お前たちは近づくなっ!!」
「王女殿下、落ち着いてください。……その危険な物をこちらへ」
「お黙りっ!!!」
ヒュンと風切り音が鳴ったかと思うと同時に、王女に近づいた騎士のひとりが後退する。
「お、王女殿下……!」
尋ねる騎士への返答は、王女の高笑いのみだ。
「だって、わたくしに命じるから悪いのよ。ほら、毒で死んでしまうかもしれないわ」
ベールの向こうで、笑っているのだろう。そんな声で周囲を見回す。
「みんな、みんな、わたくしに意地悪ばかりで、悪口ばかりで、うんざりよ!!! そうして次にはお兄様がって言うんでしょう? それとも、王太子妃殿下が、かとも言うのかしら? どうせわたくしは顔ばかりの女で、愚かな王女よ!! そんなのわたくしが一番知ってるわっ!!!!」
「何を言って……」
驚く騎士の言葉など聞いていないのだろう。
「わたくしだって、この国にただひとりの王女なのよ!!! ならば、もっと大切になさい!! もっと大事になさい!!! あれこれ命令しないで、小言ばかりでうんざりよっ!!!」
また風切り音がして、騎士を襲うかのように毒針付きの扇だった物を振り回す。
その頃には、会場内で誰かの悲鳴が小さく上がっていた。若い令嬢だろう。何しろ王女は社交界ではファションリーダーだったのだ。それが今は気でも触れたかのような振る舞いをしている。
誰もが王女の行動に怯え始めたのだろう。男性陣は連れの女性を伴い、中央からさらに遠ざかっていく。それは身分の高い者も同じだ。主催者の西公とその親族も騎士たちが周囲を守る。王太子夫妻も同じ。王女へ近づこうとする王太子を、騎士が必死に止めていた。
王女の言葉通り、確かに王太子殿下は何よりも守らなければならない存在だ。この国にただひとりの王子で嫡子。そう、一番大切な人。
(だけど、王女様は違う)
もう、彼女はそうではなくなった。
いや、あの夏の宴の時から既に彼女の道は転がるばかりになっていたのか。いいや、それよりも前からだ。
彼女はずっと我儘姫といわれていた。そう噂されていた。そのことを、本人が知らないはずがなかったのだ。
「……わたくしがこんなに不幸だというのに、どうして誰も助けてくれないのっ!! どうして、もっと優しくしてくれないの!!!」
王女がわたしを指差した。
「そこの見窄らしい子だってそう!! わたくしにデミオンを見せびらかして、嫌な子、大っ嫌いっ!! ねぇ、わたくしが不幸なのは、貴女のせいでしょう?」
「違いますっ!!!!!」
彼女の言い分に、怒鳴るように答えて、わたしは一歩前へ出る。王女を取り囲む騎士が、その声量に驚き唖然としていた。
その脇を急ぎ通り抜け、わたしは王女殿下の真正面に立つ。毒針を振り回す彼女を見つめ、勇気を奮い立たせる。
(大丈夫、閣下がいるし、わたしにはデミオン様のお陰で守護がある)
さっき、針は刺さらなかった。
だから騎士たちよりも、きっとわたしの方が安全だ。
「じゃあ、その証明にわたくしに刺されなさい! 何よ! 何なの! デミオンに大切にされて、わたくしはそうじゃなかったのに!! わたくしにはくれなかったのに!! デミオンはわたくしを愛さないじゃない!! わたくしは……わたくしをただ大切にして欲しいだけなのにっ!!」
また毒針を振り上げる彼女に、わたしは怯むことなく突っ込んでいく。顔を覆うベールを取り上げれば、どうにかなるのではと思ったのだ。
「誰か、わたくしを大切にしなさいよっ!!!!」
「では、王女殿下も誰かを大切にしたらいいんです!」
触れられたくない王女の体が揺れ、ベールを掴もうとするわたしともつれる。
「デミオン様は、彼は、王女殿下に大切にしてもらえば、きっと同じように返してくれたはずですよ! 彼はそういう人です!!」
わたしの手が、王女のベールに触れる。ぎゅっと掴み、それを思いっきり引っ張った。
バサっと、軽やかな見た目に反し重い音と共にベールが引き剥がされる。空を舞う。
「貴女が彼を、婚約者を捨てたから失ったんで────」
わたしの声が止まっていた。
いや、それは多分王女を囲む騎士も、わたしの背後のデミオンも同じだった。
「……そうか、王女を疑蝕の贄としたのか。哀れなことを」
閣下が何かをいう。
また知らない言葉が出てくる。
(ギショクノニエって、何だ?)
シャンデリアの明かりが、煌々と真昼の如く王女を照らす。酷いほどに彼女を露わにした。
「……い、い、や」
王女が先ほどの覇気を失い、座り込んだまま怯えだす。毒針付きの扇が手から落ちていく。カラカラ床へと転がった。
取り戻す素振りは見えない。それどころではないのだろう。
「……いや、いや、止めて……わたくしを見ないで!」
そこには、醜く変わり果てた姫君が一人、怯えているだけだった。
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