76 「じゃ、じゃあ、今からでも遅くはないわ。わたくしと婚約し直して、わたくしのものになればいいわ!!!」
「アリーシャ! 何をしている」
わたしたちが何か返す前に、王女殿下へ向かうのは王太子殿下だ。同じように女性騎士が王女の側に立つ。
「こんなことをするために、私はそなたを連れてきたわけではない」
「……お兄様は知っていたのでしょう?」
だが、王太子の言葉に返さず、王女はひび割れたような声で尋ねる。
「彼が、デミオンがこんな風になるって、知っていてわたくしに秘密にしていたのね!! ずっとわたくしをお城の部屋に閉じ込めて、お父様もお母様も酷い、最低よ!!」
王太子に掴み掛かるところで、女性騎士に止められたが、それでも彼女の叫びは止まらない。
「それどころか、ジュリアンだってわたくしに会いにこないわ!! みんなでわたくしに意地悪をして、いじめているんでしょう!!! 毎日毎日、わたくしは泣いて泣いて、辛い思いをしているというのに、どうして分かってくれないの!!!」
「アリーシャを、誰か別室に連れて行け」
その声に他の騎士たちも集まるが、アリーシャ王女の方が動きが早い。それとも王女だからと、隙を突かれたのだろうか。
「イヤッ!! わたくしに、わたくしに触らないで!!! いいこと、お前たちが触ったらわたくしここで死んでやるっ!!!」
事実、王女は持っていた扇の羽を引き千切る。仕込み杖のような物なのだろう。刃の代わりに鋭い太い針が目の前に現れた。
「……動かないでちょうだい、ダメ、お兄様もよ!! これには毒が塗ってあるんですもの。お前たちが止めようとしたって、ムダなの。わたくしは復讐をするんだから!!! わたくしを騙した男を、絶対に許さないのよ!!」
ざわめきが止まる。人々の呼吸すら止まりそうな静寂が、大広間を支配した。王太子も騎士たちも王女に近づけない。彼女は見せつけるように、その針を首に当てているのだから。
「デミオン!!! わたくしの前に出てきなさい!!!! 婚約者のわたくしをよくも今まで謀ってくれたわね、ずっと昔から婚約者だったのに……酷いと思わないの!!!」
「──いえ、全く思いませんね」
誰も彼もが凍りついた場で、デミオンが静かに答える。王太子すら動けない中を、彼のみが一歩、また一歩と進む。
堂々とした歩みは、まるでどこかの国の王子か皇子のよう。己に非など、欠片もないと傲慢に物語る。
「そもそも、今はもう婚約者ではありませんよ」
「そ、そうだとしても、元婚約者じゃないの!!」
「元、婚約者というものが、どれほどだと言うのです。それに俺ばかりが悪いなんて、酷いのはそちらではありませんか? アリーシャ王女殿下、言いがかりにしても、もう少しお利口にお話ししませんと、誰も味方になってくれませんよ」
その声に朗らかさなど微塵もない。
あるのは風刺画で描かれるような見え透いた薄ら笑いだ。握手するために右手を差し出して、背に隠した左手でナイフを握る。そんな親しさだった。
「王女殿下とは長い婚約期間でしたが、さて俺は貴女を何回エスコートできたでしょう? 春夏秋冬、世に夜会は定期的に行われますが、果たして何度か、覚えていらっしゃいますか?」
「……わたくし、貴方とは何度も一緒だったので覚えてないわ。それぐらい、回数が多かったのでしょう?」
「ええ、子供の時はそうでしたね。そうして、大人たちの目に微笑ましく映ったことでしょう。ですが、それもほんの数年のこと、デビュタント前後の頃には、もう俺よりも異母弟と一緒にいたではありませんか? 俺にはいつも偽りの時間が書かれた招待状や手紙ばかり送ってくれたというのに、それも全てお忘れですか?」
「う、嘘ばかり言うなんて、最低よ!!! だったら、証拠をお出しなさい!! 口先では何とでも言えるもの。それこそデミオン、貴方こそわたくしを騙したじゃないっ!!!」
その啖呵に、デミオンがわざとらしく目を見開く。まるで、泣く赤ん坊をあやすかのよう。
「俺が? いつ? 王女殿下の婚約者に相応しくあろうと、日々努めていたというのにですか?」
「だって、そうでしょう!! わたくしの時には、そんな格好じゃなかったわ。そんな素敵な姿じゃないし、そんな美しい顔じゃなかったじゃない!! ずっとずっと、ずうっと……わたくしに隠していたからでしょう。わたくしに教えてくれないなんて……やっぱり酷いじゃない」
その声は涙声へと変わり、ベール姿の淑やかなドレス姿も相まって、やはり悲劇的に聴こえる。夏の宴同様、スポットライトが似合いそうだ。
だが、いっている内容はめちゃくちゃだ。何しろ、王女がデミオンを冷遇し、その異母弟のジュリアンと仲良くしていたのは噂になるほど知られている。火のないところに煙は立たずというではないか。
ふたりっきりで、どこそこの夜会に参加していたなど、毎年のようにいわれてきた話。
「俺は変わりありません。変わったと思えるならば、王女殿下が変えようとしなかったからですよ。たとえ哀れみであったとしても、殿下が手を差し出してくれたのならば、今もお側にいたかもしれませんね」
「わたくしが悪いと……お前も言うのね」
「悪いどうこう以前に、王女殿下が選んだ結果だということを、お忘れなきようお願いいたします」
「……どうして? わたくし、知っていたらちゃんと大事にできたわ!! ダンスだって踊ってあげるし、贈り物も貰ってあげるわよ。触れることだって、今の貴方ならば許してあげましょう。それのどこがいけないの?」
全部なのでは?
わたしは正直に、そんなことを思ってしまう。
(何で、そんなに上から目線で言えるの? 王女様だからって、我儘が過ぎる)
最初の一歩で、心配をかけまいとデミオンは微笑んでくれたが、わたしとて当事者だ。
(しかも、まだ自分は悪くない論を振りかざすとか、ありえないよ!)
わたしは不安になりながら見ていたが、いわれている内容を聞いているうちにどんどん不愉快になってきた。
だからだろう。自然と体が前へと出る。彼の隣へと進む。
「ですが、知らなかったから、できなかったのでしょう? 俺が侯爵家でどう過ごしていたか、王女殿下ならば簡単に調べられたと思いますよ。いえ、俺に尋ねてくだされば、嘘偽りなくお伝えしたでしょうね」
「それがウソではないなんて、わたくしわからないわ」
その台詞に、一際冷たくデミオンが返す。
「異母弟の言葉をありのまま信じた殿下の言葉とは、到底思えませんね」
その視線が怖かったのだろう。王女の息を呑む音が、わたしの耳にも届く。
「だ、だって……だって、ジュリアンは優しかったもの! 貴方はいつも何を考えているか分からなくて、わたくし辛かったのよ!!」
「……殿下が婚約を破棄しなければ、俺はきちんと婚姻する気持ちはありましたよ」
「じゃ、じゃあ、今からでも遅くはないわ。わたくしと婚約し直して、わたくしのものになればいいわ!!! ねえ、お兄様、わたくしこのデミオンとならば、ちゃんと婚約だってできるし、婚姻するわ!!」
その声に、はしゃげるのは当人だけだろう。
問われた王太子はドン引きしている。顔が真っ青を越えた。否、後方の王太子妃殿下も公爵夫妻も、その息子夫妻も同様だ。多分、わたしの周囲、この大広間の誰もが、そのあまりの飛躍と無茶振りに今度こそ息を止めてしまっただろう。
デミオンが小さく溜息する。
処置不能で、言葉もないのだろうか。
わたしは歩く足に力がこもり、ズンズン進む。現場に乗り込んでいく。
「……そうよ、それが一番だわ。これで元通り……」
夢見る弾んだ声に被せるよう、お腹の底から声を出す。大声量でお断りを口にする。
「そんなわけ、ありませんわっ!!!!!」
デミオンの腕を掴み、わたしは身を乗り出した。馬鹿な脅しをする相手に向かって、真実を告げる。
「デミオン様は、わたしの婿殿です! 殿下の妄言、断固お断りしますっ!!」
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