71 「そ、そうなの、だ、だってぇ……マリア言われただけだからぁ……よく分からないの」
「娘、よく我慢したな。もう大丈夫だぞ」
デミオンの肩から、ぴょこりと閣下が顔を覗かせる。
「手錠の鎖を強化しておいて正解だったな。千切れることなく、其方を追いかけられた」
どうしてこんなところに来てしまったのか分からないわたしには、閣下の説明もピンとこない。
「ここは……どこなんでしょうか?」
「閣下曰く【虚洞】という場所らしいですよ」
マリアを睨んだまま、デミオンが教えてくれる。
「文字通り虚ろな場所だ。鏡の中や水たまり、黄昏時、夕闇の辻、孤独な庭、明け方の夢、入り口はそこかしこにあるが、普通は迷い込むことも落ちることもない。そこに、娘、其方が其方である確かな一部を引き摺り込んだのだろう」
閣下の補足を聴きながら、わたしはここが想像通り現実ではないと知る。
「肉体でもなく、魂でもない。心の一部など……姑息な真似をしおって。とんだ盗人に目をつけられたな、娘」
それから、閣下が大層不機嫌そうに前方を見る。デミオンと同様にマリアを睨みつけた。
「その繊細な干渉、人の守りを掻い潜るようなやり方、お前は誰にその力を与えられた!」
「ひっ!!!! 何、その生き物!! 喋ってる!!」
閣下の姿が見えているのか、マリアが顔を引き攣らせた。普段は見えないのに、この不思議空間でならば見えるということだろうか。
「……彼女、閣下の姿が見えていますね」
デミオンも疑問に思ったらしい。
「大方、力を植え付けられ、人間という枠から逸脱してしまったのだろうよ」
それは……元に戻るのだろうか?
「そこの小娘、質問に答えろ! お前の力、それはどうしたものだ!!」
「し、知らないわよ!!! あたしは、ここであの子を待ってるよう言われただけなんだから」
「……待ってるだけですか?」
デミオンがマリアに問う。
その顔は大層美しく、艶やかだ。
だけど、わたしは知っている。鋭い棘がある薔薇ほど、華々しく咲くものなのだ。
マリアはデミオンに微笑まれたと思ったのか。その頬が赤らむ。
「そ、そうなの、だ、だってぇ……マリア言われただけだからぁ……よく分からないの」
「そうなんですね。では、誰に言われたかは、分かりませんか?」
「ん……あなたが、あなたがマリアの近くに来てくれるならぁ……教えてあげる」
「それはちょっと難しいですね。それよりも、俺のそばに来てくれませんか? ね、貴女の顔をよく見せてください」
ちょっと首の角度を変えたのだろう。彼の三つ編みがタイミングよく揺れて、お願いしてるようにも見える。
(……分かってるんだけど、複雑な乙女心だわ)
デミオンの顔ひとつで、穏便に解決するならそれが最良で簡単だと思うんだけど、わたしは焦げつく感情を自覚する。
「でもぉ……その子を抱いてるのに、マリアが近寄ったら……マリア恨まれちゃう」
「そんなことはありませんよ。ほら、もう見えない」
デミオンの手がわたしの視線を隠す。その次に紡がれる台詞は覚えのあるやつだ。
「ねぇ……マリア嬢、俺だけには教えてくれませんか? 本当は、凄く欲しい物……あるでしょう」
あの時の彼の心境が分かり、わたしはますます複雑だ。
(……わたし、確かに警戒されてたってわけね)
「えー……そんな顔されたら、マリア困っちゃう。あのねぇ……マリア、あなたが欲しいの? マリアのために色んなこといっぱいして欲しいなぁ……だって、あなた、何でもできるんでしょう?」
「ええ……俺は何でもできますよ。何をお望みですか?」
「マリアのものになって! そうして、マリアのこと好きになったらいいわ!! マリアの方がずっと可愛いもの、そう思うでしょう?」
その瞬間、盛大なため息がわたしの側で吐き出される。
「……もう少し頑張った方が良いんでしょうが、これはこれで苦痛で疲れますね。そろそろ無駄なお喋りも面倒になってきたので、本当のことを話してください。貴女のその力、どこで手に入れました?」
「えー、マリア、わかんなーい」
「貴方が可愛いなんて俺は思いませんし、好きにだってなりませんよ。欲しがりの女性にはこりごりなんで、他を当たってください。それにその喋り方、今すぐやめることをおすすめします。今時、その喋りで落ちる男なんて、碌なもんじゃ無いですよ」
それから、デミオンの声が合点いったような、あからさまな嘲りを滲ませる。
「ああ……だから、他人の相手を欲しがるわけだ。ですが、浮気した相手では、またすぐ目移りするでしょうに。正攻法できるほどの自信が無い方は大変ですね」
「何ですって?」
「ご自身に自信がないという、お話ですよ。おこぼれレディ」
それが引き金だった。
デミオンの言葉に、マリアの怒りが叩きつけられる。
「ふざけんなっ!!! テメーもかよ、顔だけ男!!!!!!」
わたしの耳に、彼女の怒号が突き刺さるよう。わたしはその声の悲痛さに、デミオンの手を引き剥がす。正面にいるだろう、マリアを何とか見ようとした。
「あたしは、あたしは、あたしだって、幸せになりたいだけなんだから─────!!!!!」
マリアの絶叫と共に、彼女に絡みついていた糸状のものがほとばしる。まるで糸の洪水か。彼女から生み出された糸は、指先、つま先、───ばかりかどんどん増えていく。
腕から、いいやもう肩からだ。足とて同じ。ドレスで隠されているが、きっと胴体から生えているような状況だろう。
「寄越しなさいよ!! あたしにだって良いもんをよこせぇぇぇ──────!!!」
ずずっと地面を鳴らしながら、糸を生む女がこちらに来る。波のように糸を従え、あるいはそれらが手足のようにうねり迫ってくる。
「さて、どうしましょうか。こういったものは、焼くか切るかの二択しかありませんよ」
「焼くのはまずいぞ。我輩らも巻き込まれる。切るのが一番だが……この類の厄介なところは回復される可能性があるところだ」
「では、切る方法に当てはあるんですよね」
わたしを抱きながら、デミオンと閣下が相談する。
(焼くか切るの二択だとしたら……マリアは助からないってことになる……)
「閣下……あの子は、もう戻れないんですか?」
「戻れんさ。どういう契約をしたかは知らんが、この状態だ。相手は人間ではないな……忌々しい話だ」
閣下は見晴らしの良いところを求めてか、デミオンの頭に登る。
「白百合、其方何でもいい。刃物となりうる物を持っているか。それに我輩の雷を乗せる。さすれば、この糸とて焼き切れよう」
「……小さなナイフでしたら、護身用に持っています。それで構いませんか?」
「上出来だ!!」
「閣下!」
わたしはデミオンの腕の中で、どうにかウミウシの姿を見ようとする。
「娘、もう無理なのだ。其方が何と思おうが、もう一線を超えた。人の姿を失ったものは人には戻らん」
その間にも、マリアの糸がわたしたちを取り囲む。閣下の守りがあるからか、ぐるりと円状に取り囲みつつ、一定の距離からは近づけない。
それでも、わたしたちの動きを塞ぐには十分だった。
わたしは彼らを止められるほど、この状況を楽観視などしていない。だからといって、軽々しく誰かに死んで欲しいなんて思うことも好きではないのだ。
(だけど……だけどさ)
もうどうにもならないといわれながらも、万が一を思ってしまう。
そんなわたしの視線の先で、閣下が首を振る。そういう風に、ウミウシの体を揺らした。
「恨むならば、我輩らのような人では無いものを恨め。そうさ、我輩らはこうやって人を人でなくする力がある。……だがなぁ、我輩とてこういうやり口は全く好かん!!」
閣下が空を、虚ろな頭上を仰いだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
リリアンと閣下とデミオン、このメンバーで一番性格が悪い?のは、デミオンだなと思う回です。
本人が自分の性格悪いって言ってるので、悪くて当たり前ではあるんですが。
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