61 「書物の中のようなスパダリって、難易度高いわ!」
そうこうして、わたしは婚姻の書類の控えを渡された。ちゃんと筒状のケースに入っており、こちらには書類保護の術が掛かっていると説明された。
(まあ、何かあった時に必要な書類だし、それが風化したり濡れたり燃えたりしたら困るよね)
聖堂で発行される大切な書類は、みなこうしているらしい。
「デミオン様、講堂に戻りませんか? まだ閉展まで僅かに時間があります」
それに、ジルも別室で待っているはずだ。伝言を展示会の係員に伝えているので、ずっと待ち続けてくれていると思う。
「ですがリリアン嬢、本当に僅かな時間ですよ」
「では、ちゃちゃっと作品を拝見しましょう」
「おい娘! よく分からんが、我が君への貢物はあまり数を見られないのではないか?」
定位置のデミオンの肩から、閣下がにゅんと身を伸ばす。
「あら、大丈夫ですよ。わたしが見たいのはデミオン様の作品ですもの! 絶対絶対見たいので、さくさく行きましょう!!」
小さく拳を上げると、ジャランと鎖が鳴る。デミオンに片手をちゃんと握られる。
「……ありがとうございます」
「ふふ、お礼はいりませんよ。デミオン様を泣かせる女になるのですから、わたしはまだまだこれからです!!」
彼の手を引き、わたしが先頭を行く。が、すぐに道に迷ったので結局デミオンにエスコートしてもらう。格好良く決めたかったのだが、なかなか難しい。
行く時と同じ渡り廊下を進み、戻った講堂は人々が半分以上減っていた。残りの殆ども帰るところのよう。
中央正面の壁全体に、今回の表彰作品の発表が行われていた。どうやら、映写機みたいに入賞作品のタイトルと作者名の文字を壁面に映し出しているらしい。とはいえ室内が明るいままなので、仕組みが違うものなのだろう。
「デミオン様、やはり今年の最優秀はラドクリフ伯爵夫人の作品のようです」
「優秀には、貴族ではない方が入っていますね」
ただ、作品名だけでは、閲覧済みなのかよく分からない。少し惜しい気持ちもあって、また見ることはできないのかと考えてしまう。
「表彰作品は、また改めて拝見できるのでしょうか?」
「ユルノエルの祝祭期間に、大聖堂で展示されるはずです」
「では、その時にも拝見できますね」
しかし祝祭期間は季節の催しがあるので、やはり人が沢山訪れるだろう。精霊王へ捧げる聖職者たちの合唱や演奏。同じく、養育院の子どもたちの劇と合唱もある。
それらはチケットなしで楽しめるが、大抵の人は募金という形で支払うようになっている。
わたしは展示会場を見渡し、デミオンの作品を探す。大きなものではないらしいので、どの辺りに展示されているのだろう。
それを察して、彼がわたしを案内する。
「こちらです。額装も考えたのですが、あまり派手にはしたくなくて」
その区画は額装ではなく、刺繍枠を使って飾られていた。枠のまま綺麗に丸く見せるために、布端の部分は裏側に隠してあるのだろう。
額が使われていないからか、商家や普通の方の作品ばかりだ。その中の隅っこの方へ、彼が進む。
「ここですね、リリアン嬢」
照れくさそうな顔で示す。デミオンが教えてくれた場所に、小ぶりの刺繍枠で飾られた作品が掛かっていた。
「可愛い!! 素敵です、とても綺麗で、透明感があって……デミオン様、素晴らしい作品です!!」
その作品を一目見て、わたしはあまりの愛らしさに跳ねてしまいたくなってしまう。実際、閣下も感動したのか、ぴょこぴょこ両肩を行ったり来たりしながら跳ね回っている。
「これは……チュール生地ですか?」
「いいえ、オーガンジーです。張りがあり、俺はこちらの方が扱いやすいです。レースというほどではありませんが、綺麗に出来たと思ってます」
彼の言葉通りに、この刺繍枠の作品は小さいが美しかった。透明感あるグレーのオーガンジーに、浮き上がるように白い百合が刺繍されている。中央に花束、その周りをディフォルメされた蔦が枠のように飾っていた。
光の加減で、花芯や葉っぱ、蕾の先端がきらめく。
刺繍が輝くのは、きっとビーズと一緒に刺されているからだ。白百合が写実的でありながら、輪郭が強調されてデザイン的なところがわたし好みで、ずっと見続けたくなる。
(キラキラしてて、繊細なのにくっきりしてて、とても綺麗……)
「素敵すぎて憧れてしまいます。ドレスにこんな刺繍があったら、とても綺麗でしょうね」
「王太子妃殿下の婚姻式のドレスをご存知ですか。世に二つとない、見事な刺繍レースで彩られ輝いていました。俺たちの婚姻式でも、美しい刺繍レースのドレスをリリアン嬢に着てもらいたいです」
王太子妃殿下のドレスは、当時、王都中で噂になった品物だ。ドレス地にも美しく刺繍されていたが、その上にビーズ刺繍されたオーガンジーが重なり、一言では表現できない豪華絢爛な麗しさだったと語られている。作る手間に考えただけで、目眩がするようなものだったらしい。
父が興奮して話していたのを、わたしも覚えている。
「気に入っていただけたなら、返却後になりますが……その、これは……俺にとっての貴女なので、是非、リリアン嬢に捧げたいのですが」
彼が私をのぞき込む。
「……もらってくれますか?」
その瞳はゆらゆら海面のように揺れ、反応をうかがうよう。
「まあ、デミオン様からの贈り物でわたしがお断りしたことがありましたか?」
しかし、そこでボソリとこぼす。
デミオンの眼差しが悲しげになる。
「……先程、手錠を断ろうとしてましたよね」
(そ、それは、今突っ込んではダメなやつ!!)
じっと、互い目が合う。
沈黙が重い。
ぴょこぴょこ跳ねる閣下を横目に、負けたのはやはりわたしであった。
「あ……あらあら、デミオン様。それは乙女の照れ隠しですわ。ええ、他の二つも機会さえあればちゃんと身につけることになったのですから、何度もおっしゃって確認しなくとも大丈夫です。ちゃんと、ジャラジャラしますから!!」
さらに墓穴を掘った気もするが、この状況で掘らずにいられようか!
(書物の中のようなスパダリって、難易度高いわ!)
架空のイケメンならば、きっとヒロインのために拘束具のひとつふたつ、いや、なんでもござれと豪語できそうだ。わたしも真似っこして、好きにしろと勇ましく宣言してみたい。
しかし、わたしは平凡な伯爵令嬢。
(手錠で、もういっぱいいっぱいなのよー!!)
「刺繍枠、ありがとうございます。部屋に飾るのがとても楽しみです」
そう和やかに微笑むわたしは、ジルも連れて講堂を出る。しばし敷地内を歩くと、馬車へ乗る場所になるのだが、どうやら我が家の馬車が着いていない。
どうしたのだろうと振り返った時だ、わたしは違和感を覚える。
そして──既視感。
前と同じだ。
聖堂前の道を行く馬車が、急に方向を変える。
さながら、子供がおもちゃを掴み置き換えるかのよう。足元を失った馬の異常ないななきと共に、御者の驚いた声がこちらまで響く。
「お嬢様──!!!!」
ジルの悲鳴と、デミオンがわたしを抱きしめるのは同時だった。彼の肩では閣下がウミウシの体を思い切り膨らませ、力んでいるかよう。
向きを変えられた馬車を睨みつけている。
(え、え、え──????)
腕に包まれたわたしは、そこで『前回』何が起きたのか分かってきた。今は閣下がそばにいるからか、わたしの目にしかと、映る。
「超巨手──か」
閣下が呟き、わたしと同じものを見ていると知る。
多分デミオンも、今、それが見えているのかもしれない。彼の腕が硬直したように、わたしを固く閉じ込める。
空中に異形が現れていた。
透明な、けれども巨大な手がわたしを摘もうとしているのだ。節くれだった歪な輪郭だけが見える。
こちらに来たのは左手かもしれない。そして右手が、馬車をこちらに追い込んでいるようだった。
「何だ……これは?」
わたしも、デミオンの呟きと同じことを思う。
目の前で異形の指先が、何度も、何度も私を摘もうとする。けれども、邪魔されているのだろう。直前で膜のようなものに弾かれ、摘めない。
(これが、わたしを馬車の前に放り投げたの?)
指が触れる度に、まるで静電気が走ったよう。火花らしきものがわたしたちの表層を走る。
「愚か者め! 吾輩は、我が君第一席の臣下。そのような稚戯が通用するものか!!」
頼もしい閣下の啖呵が炸裂し、カカッと空が瞬間光る。
その、瞬間だ。
ゴオォォォンン──!!!!
目を焼くような白光が、瞬きの合間に地上へと落ちた。否、細い鋭い雷が異形の手を串刺しにしていた。それが致命傷となったのか。
透明な手は輪郭を失い、完全に消える。
「ふん、このような子供騙し。吾輩の敵とはならぬな」
デミオンの肩の上、閣下がそういって、ふんぞり返っていた。
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