60 「手錠が迷子ヒモと同じ扱い? いや、迷子ヒモの方が優しい世界では?」
「この署名をもってして、ご両人は婚姻を成されました」
大聖堂の神官の言葉に、わたしはごくりと緊張を飲み込む。
場所は主聖堂ではない。あそこは王城の大広間並みの広さで、どでかい場所だ。数年前の王太子殿下の婚姻式では、それこそ大陸からの賓客も揃うぐらいの大人数を全て収容できたと聞くので、本当に広い場所なのだと思う。
今、わたしたちがいるのは、そこから連なるとおぼしき小聖堂のような場所だ。前方に嵌め込まれた小規模のステンドグラスが美しい。勿論、精霊の光を模したサンキャッチャーもある。
デミオンが前もって話を通していたのだろう。神官の詰め所のような場所で彼が告げると、神官がふたり出てきて案内してくれたのだ。
大聖堂もとても古い建物なため、増築された場所がかなり多いと聞く。だから正直、わたしはどこをどう歩いているのかさっぱりわからないまま、この部屋に来た。
中央に広げられた書類に、リリアン・カンネールとデミオン・ダーズベリーの名前が並ぶ。そこに立会人の神官の記名が入れば、もう書類は完成だ。
偽造防止の特別なインクだからか、あっという間に特殊紙に定着していく。パリパリと音がしそうなほど。書類はそのまま丸められ、その後大聖堂で保管される。預かり場所は大聖堂だが、年明け一番にまとめて聖堂側から王城へ内容が報告される仕組みだ。
これで書類上、わたしの婿殿にデミオンはなった。
面倒な横槍があったとしても、婚姻の書類を覆すことは難しい。
(だけど、わたしたちは貴族だから婚姻式を聖堂で必ず行わないといけないし、お披露目式も同様だ)
庶民ならば、小聖堂で誓い合い署名して即終わりというのも、よくあるという。だが、貴族は違う。
母に相談したが、書類の署名だけで済ませるなんてことは、絶対に駄目らしい。
古くからある儀式に則って婚姻式を行い、精霊王の名の下で誓い合うのだ。そしてお披露目のための夜会の開催。それもあり、結婚の全てを終わらせるのに何ヶ月もかかるなんて話は、貴族あるあるだ。
規模問わず聖堂が一番人気になるのが、社交シーズン開始の初夏前後だろう。だから早めに押さえておかないといけないのだが、そのためにもスケジュールを具体的に決める必要がある。
(大聖堂って予約制だから、タイミングが合えば本当にいいんだけど……)
まだ何も決まっていない身としては、最悪、とんでもなくずれ込む覚悟も必要だ。半年どころか、一年弱かかるかもしれないなんて、極めてあり得る話なのだから。
「これは人の子のやり方だろうから、我々には何にも影響がないぞ。吾輩が娘に守りを与えるためには、我が君の下での誓いが必要だ」
お茶と焼き菓子が用意されたテーブルに、わたしたちはいる。
署名用の部屋を出て、広い応接室のような所で待たされている最中なのだ。それもこれも書類の控えをもらうため。オリジナルを複製専門の精霊術具でコピーするらしい。
これは初めて知った道具だ。どうやら、コピー機の代替え品がこの世界にはあるらしい。大変特殊な物らしいので、大聖堂と王城にしかないとか。驚くわたしに神官が教えてくれた。
大抵の人は知らないので、みな一様に驚くらしい。
「何度も言うが、吾輩の力は人の世では過ぎたものでもある。この仮の姿により整えてはいるが、それは理に沿う範疇でなければいけない」
ぴょんとテーブルに渡った閣下へ、わたしは焼き菓子をハンカチの上に置いて差し出す。視線がお菓子に夢中になっていたようだからだ。
「思うままに全力は出せないと言うことですね?」
「そうだ、娘。我が君は、人の子の世を慈しんでおられる。ならば吾輩も同じ、ここを壊すわけにはいかぬ」
閣下がいうには、大きな力だからこそ守るべき手順がとても必要らしい。制限を設けることで、力を制御するといったことのようだ。それはデミオン様の恩寵しかり、閣下の力しかり。
都合よく出鱈目にはできないらしい。もどかしいものだ。
「デミオン様の恩寵は、具体的にどのような感じなのですか?」
「俺自身が感じる分には、多分身体能力の強化の類だと思います。あとは体が丈夫なことぐらいでしょうか」
(つまり、ゲームの能力強化みたいな感じなのかな)
「だから、俺と同じことを他者がしようとしても、同じようにはならないと思います」
「白百合は快復の力も高められているし、基本防御に長けているので呪いの類いは跳ね返せるぞ」
術のレベルに左右されるが、それは規格外の恩寵なので大概は平気らしい。だからこそわたしは彼と繋がることで、その恩恵の範囲に入れてもらえるというわけだ。
そうして、わたしは出してもらったお茶を飲みながら、ジャラジャラ鳴る鎖を見る。
「どうしましたか?」
鎖の長さの影響で、やたらと至近距離に座るデミオンがわたしに尋ねる。
「いえ……署名する時、うっかり見られてしまったなと思いまして」
そうだ。
署名する場には、書類側に立会人の神官がひとり、我々の背後にもうひとり見届け人の神官が控えていた。どちらも親切そうなおじさんだったが、ジャラっと姿を現した鎖を見た瞬間、眉がピクッとしていたのだ。
(その時のわたしの心情を、誰か察してください! 社会的に終わったと思ってしまいましたよ)
わたしは手錠が利き手側だったので、署名する時に、バッチリ、クッキリ、見えたと思う。いや、絶対に見えた。
だが、両者は何も言わなかった。
むしろ、立会人の神官の方は、分かっていますと意味不明に微笑みさえ浮かべていた気がする。頷きといい、覚えのない優しさをもらってしまった。
「わたしは、盛大に何かを誤解された気がいたします」
「誤解ですか?」
「誤解ですよね? 手錠はアクセサリーにはなりません。拘束具です」
「ですが、とても仲が良い場合は、そういった道具も使うことがあるとか。愛の証ともなり得ると」
「それはどこ情報ですか? わたしたちはとてもありきたりに普通に仲良く過ごす予定なので、特殊なお道具はいりません!」
そういえば、デミオンも納得する。いや、間違った頷きをした。
「専門的になる前に、平均を極めるのはもっともなことだと思いますね」
(へいきんをきわめる?)
意味不明で、思わず反芻してしまうわたしだ。
デミオンはちょっと周囲を気にし、それから瞬きを多めにする。大丈夫、ここには婚姻した男女しかいないので、わたしたちと閣下のみだ。
それでも、何かいいにくいことがあるのだろうか?
今、十分に不思議なことをいった気がするのだが、やはり彼の照れるポイントがよく分からない。
「……俺はその、恋愛は……書物でしか知らないので、手錠はお嫌いですか? 一応、この状態がいつまで続くか分からないので、もう二組ご用意してあるのです」
(まだ、手錠持ってるー!! ひとつじゃなかったのか──いっ!!!!!)
「他の品も繊細な作りと頑丈さが渾然一体となり、リリアン嬢にとても似合うと思うんです」
やはり、この王都にはきっと手錠屋なる専門店があるに違いない。その手の人御用達のニッチな世界の存在を確信する。
だがしかし、わたしはその住人になる予定はない。ここで、ノーを突きつけねば、もっと大変なアイテムが用意されてしまう。きっとそう!
「で、デミオン様……それは、非常用のお品ですよね。わたしが呪われている関係で必要とし、解決したら二度と付けない物ですよね」
彼は一体どんな書物で恋愛を学んだのだろう。いや、現在進行形で学んでいるのかもしれないが。
(うちの蔵書に、変な本が紛れ込んでいたのかしら? わたし、全ての本を把握していないのだけど、一度目録をチェックしなきゃ!)
「ええ、今はリリアン嬢のために必要ですから。でも、今後も何が起きるか分かりませんので、有っても困りませんよね。ほら、迷子防止にもなりますよ」
(手錠が迷子ヒモと同じ扱い? いや、迷子ヒモの方が優しい世界では?)
「うむ、それは一理あるぞ! 娘が迷うと、白百合も困るからな。人の子は便利なものを持っているな!!」
テーブルで閣下が大きく頷き、明後日なほうで納得している。なんてことだ、ここにはボケしか居ない。
「迷子防止に手錠はしません!! 良いですか、これはいっ時の緊急処置です!! ごく当たり前の平凡な仲良しさんは、手を繋ぐんです。それが迷子防止の一番の策です!!」
「ですが、リリアン嬢は時々手を離してしまいますよね。面白いものを見つけたら、そちらに目が向いてしまうでしょうし。その時、手が緩んでしまうかもしれません」
わたしは、一瞬黙る。何しろ、その可能性を否定できない。
(だけど、手錠生活がこのまま続く可能性を断固阻止しなければ……)
「で、では、デミオン様、わたしと腕を組みましょう!! とても仲良くなった男女ならば、それもありです!」
すると、彼の頬が赤くなる。深海の瞳が潤み、照れたように視線が逸らされた。
「それは……俺には上級過ぎます。もっと清らかな触れ合いにしましょう」
おかしい?
(手錠のほうが上級者向けで、スペシャリスト向きでは? わたしが間違ってるのだろうか)
「書類上は俺とリリアン嬢は婚姻しましたが、お披露目式も行っていないので対外的には婚約者同然の関係です。ですから、手を繋ぎ合うだけにとどめておくべきですよ」
「そう……ですね」
確かに父と母は腕を組んでいるが、それは夫婦だからだ。わたしと彼も夫婦になったが、それを知るのは当人同士だけ。
距離を縮め過ぎると破廉恥ともとられる。それはある種の不名誉で、人によっては受け入れてもらえない場合もある。
「……分かりました」
わたしは無理矢理納得し、返事を口にした。
「き、きちんとお披露目式など終わらせ、夫婦となる日まで手を繋ぐだけにしましょう」
「では手錠も納得いただけたので、次の外出時も俺と繋がっていてくださいね」
結局、わたしだけがぐぬぬ……となる羽目になったのだ。
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