57 「嘘でしょ───────!!!!!!!」
いきなり呼ばれ、わたしはドキリとする。
(でも、デミオンが母親の爵位を継いだことを知っているなら、我が家のことはとっくに耳に入ってるか)
わたしのことだって、知っていても疑問ではない。
「……彼女のことは関係ないのでは」
デミオンが半歩前に出て、侯爵からわたしを隠そうとする。でも多分それはまずい。
(とても分かりやす過ぎるから)
「関係なくはなかろう。不幸になると分かっているレディを前に、黙って見ているわけにもいくまい。お前の母親とてそうだ。お前の存在さえなければ、身に沿わぬ野心など持たなかっただろう」
先程の逆で、今度は道理の分からぬ子供に諭すように侯爵が語る。その声はとても優しくもあり余裕を感じさせた。けれども、彼の穏やかな表情に潜むのは、仄暗い愉悦かもしれない。
侯爵が実に貴族らしい顔をする。それは裏で誰かを蔑み、見下すための仮面のように思えた。
「事実、カンネール伯爵令嬢は怪我をしたらしいな。珍しい事故に遭ったのだろう。それが誰のせいか考えたことはないのか?」
「……貴方は、何を知っています」
「いいや、何も。私が知るのは、お前は誰も彼をも不幸にする、毒だということぐらいだな」
嫌な言い方だ。
まるで、さもそうだと言わんばかり。一方的な偏見を、真実のようにカップへと垂らしかき混ぜていく。
(たとえ、そこにどんな思惑が隠れていたとしても、誰かがやったのは事実なんだから、悪いのは犯人に決まってる)
それがデミオンのせいだなんて、わたしは思わないし考えない。
「ふざけるな!! 我が君の恩寵たる白百合は、不幸をもたらす凶星ではないぞ! 何だ、人の子の親とはこんなに頭の悪い生き物なのか!!」
黙って聞いていた閣下が、遂に怒り出してぴょんぴょん肩で跳ね上がる。
「お前らがそう捉えるから、そう見えるのだろう!!一方的に、白百合へと悪意を向けるな!! 貴様の曇った眼で見れば、どんな美しき宝玉だろうと醜悪なガラクタに見えるだろうさ!!」
そうだ。ウミウシ閣下の言う通りだ。
「お前こそ、残念な雑巾モドキを持って巣穴にとっとと帰れ!! 愚か者め!!」
(閣下、偉い!! よく言った!!)
ライニガー侯爵には聞こえていないと分かっていても、わたしは胸がすく。デミオンにもしっかり聞こえていたのだろう。
雑巾モドキのところで、彼の口元が吹き出しそうになる。それを侯爵が睨んだが、デミオンはそのまま流した。
「侯爵。俺は、毒であるつもりはありません。ですから、ご心配にはおよびません。きっと、彼女を幸せにしてご覧に入れましょう」
デミオンがそういって、微笑んだ。
その傍で、わたしも微笑んで見せる。この世で一番幸せだといわんばかりに。これから幸せになります宣言に相応しい笑顔を向ける。
(毒だって、薬になることを知らないんでしょう! ちゃんとすれば、病だって直せるんだ!!)
薬も毒も、紙一重。
表裏一体で、全ては匙加減だ。だから、悪意があれば薬とて劇薬に変わるだろう。
わたしは、後ろで庇われるだけのつもりはない。前に出て、一緒に戦うと決めてある。だから、一歩、大股で前に出る。
ジャラッと、手首の鎖が鳴ったが気にしない。
「侯爵様、わたしへのご心配ありがとうございます。良薬口に苦しと先人の言葉にあるよう、侯爵様のご忠告胸にしかと刻みますわ」
自己紹介しなくとも、あちらが勝手にご存知らしいので、わたしはいいたいことだけいわせてもらう。
「ですが、先人の言葉にはこういうものも、ございます。薬は身の毒と。ですので、お気になさりませんよう、お願いいたします」
本来の意味は、薬の飲み過ぎは毒ですよの言葉。だけど今回は、違う意味で捉えてもらいたい。
(わたしを利用してデミオン様を貶めようするなら、そんなのお断りですよ!)
毒なら毒で、上手く共存していけばいい。そのために見つけた方法が薬なのではないか。そんな風にわたしは思う。
それにほら、侯爵様の奥方がこちらにやっと気がついた。どうやら、あちらも言い負かされたらしい。
「わたくしを侮辱しないで───!!!!」
金切り声が辺り一体に響いた。
その大きさに侯爵もはっとする。きちんと妻の方へ顔を向ける。
「アナター!! そこにいたなら、わたくしを助けてもいいじゃない!! わたくし、酷いことを言われたのよ」
まるで少女のように、侯爵夫人が人を押し退け夫へと駆け寄る。年の割にチグハグで滑稽だ。それが侯爵にも分かるのだろう。ぎゅっと、侯爵の眉間が険しくなった。
「突然、声を上げるものではない」
「でも、謂れのない悪口を言われたのよ。ここにいる人間は酷い人ばかりのようね。わたくし、今年も素晴らしい刺繍を用意したと言うのに」
わーお、アレが素晴らしいとは、人の感性って千差万別なのねって、わたしは思う。
「本当に今年は大変だったのよ!! アナタは仕事仕事で、毎日仕事ばかりだから分からないでしょうが、わたくしは時間がなくて……」
ここに来て、侯爵夫人は夫の背後に人がいると気がついたらしい。
「まあ、この人のお知り合い? どなたかしら? 素敵な方ね」
わたしは心の中でぎょっとする。驚き過ぎて、顔にも出せない状態だ。
(ちょ、ちょっと待ってー!! オバさん、気がつけよー! 自分の義理とはいえ、息子でしょう!!)
元息子なんだけど、侯爵夫人は分からないのか。見た目が変わったからか、はたまた普通に貴族らしい今の流行りの服を着ているからか。
(確かにデミオン様は健康体になって、ガリじゃないし、体も鍛えてますよ。髪もキューティクル極めて、ばっちり伸びました。目にクマは消え、お肌もツルスベモチ肌ですが……でも、気が付こーよ!!)
わたしは愕然しかない。
デミオンをチラ見したが、あちらは想定内らしい。平常運行な顔をしていた。
わたしが隣にいるのに、侯爵夫人の視界にはいないよう。どストレートにデミオンしか見ていない。
(え、何? ロックオンなの? 侯爵夫人、そういう趣味なの?)
捨てた癖に、気が付かないまま物欲しそうにしないで!
「ねぇアナタ、こちらはどういうお知り合いの方かしら?」
声が弾んでいる。
(めちゃくちゃ声高くなって、取り繕ってるよ)
さっきの醜態が嘘のように、すました顔で夫人は侯爵に尋ねていた。多分、侯爵もちょっと動揺してる。
何しろ、ライニガー侯爵はどんなに息子が変わってても、一発で分かったお人だ。お前何で分からないんだ! っていうお気持ちかもしれない。少し同情する。
「夫の知り合いならば、わたくしの知り合いになるわね。折角だから、この後どこかでお話ししましょうよ」
この人は何なのだろう。人の婿殿(仮)を、ナンパしないでくれ。お茶とかに誘うな。隣にいるわたしに気がついてほしい。
令嬢を連れている令息を単身で誘うのは、きっと教本違反だ。当たり前過ぎて、社交ルールにも載っていないかもしれないが。
「美味しいお茶の店を知っているのよ。それともお料理の方がお好きかしら? 身分のことで気後れしているの。そんなこと、気にしなくてもいいのよ」
(いや、寧ろ気にして! 身分じゃない別のことを、ちゃんと気にして!!)
「……ぼろ雑巾の製作者が、白百合に近寄るな!!」
閣下がきいきい文句を言って、威嚇する。まあでも、侯爵夫人には見えないので彼女は気にしていない。
「黙りなさい」
一歩踏み出そうとする夫人を、やっと侯爵が止めてくれた。肩に手を添えて、しっかり動きも止めてくれている。
「大丈夫よ、アナタのお知り合いと仲良くなるだけなの……」
「違う。いいから、黙るんだ」
けれども、理由なくダメといわれて素直になれないのが人間だ。人にもよるが、侯爵夫人はそのタイプらしい。
「アナタ嫉妬して……」
「いいから、黙れ! 黙りなさい!!」
そこで、デミオンが遂に吹き出してしまう。お上品に口元を押さえつつ、彼は楽しそうに侯爵夫人を眺めた。
「残念ながら、そのお誘い了承しかねます。俺が分かりませんか? お久しぶりです、もと義母上。ご壮健でなによりです」
「嘘でしょ───────!!!!!!!」
今度こそ、大絶叫が講堂内全域に響き渡る。
顎が外れる勢いで、侯爵夫人は大口開けたままデミオンを凝視した。上から下までねちっこく見て、ますます口を開けっぴろげたままになる。
その妻の口を一拍遅れて、ライニガー侯爵が塞ぐ。けれども放たれた声はもう回収できない。周囲どころか、他の区画の人々すらこちらに顔を向けてくる状況だ。
侯爵はデミオンとわたしをひと睨みすると、口を塞いだ妻を引きずるように連れていく。苛立たしげに会場を後にしたのだ。
その後、状況を誰よりも早く把握したフィンレー侯爵夫人が高らかに笑い、はちゃめちゃ楽しそうに会場を素早く出ていった。
(このネタ、速攻で社交界に出回るわ)
多分、ライニガー侯爵夫人は社交界に出られなくなる。もしかしたら、侯爵に禁止されるだろう。
自業自得だから、仕方ないのだけど。
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