56 「お前は、あの悪婦そっくりだ。従順な顔で過ぎた毒を滴らせる」
本日分は短いです。
侯爵の姿に気がついた周囲が、わたしたちから離れていく。その気持ちは分かるが、こうやって遠巻きにされるのはいい気持ちがしない。
目の前、デミオンの父親ライニガー侯爵は長身痩躯の男性だった。今のデミオンより細いが、身長は似通ったりだ。あと足が長いのも遺伝だろう。
わたしから見ても、若い頃はイケメンでしたという顔立ちをしている。あまり癖のない白っぽい金髪で、全体的に色素が薄い。そして、この何とも言えない圧がとても親子だと思う。
チラリと横目で見るのは、己の妻か。その視線に呆れが滲むようだ。彼はどうも愛妻家ではないらしい。
(デミオンのあの譲らない圧は、父親譲りなのかも)
大貴族だからなのか。存在にプレッシャーを感じてしまう。
「もう一度聞く。何故、お前がここにいる」
ウミウシ閣下よりも低い声が、問いただす。
その眼差しの鋭さから、誰に尋ねているのか丸わかりなほど。間が悪いことに、丁度、侯爵夫人たちの悪態が途切れた時だった。
わたしは不安を抱きデミオンを見る。いざという時は、わたしが庇うつもりでいた。
(わたしが彼をお婿にもらったのだから、責任的なものは全部わたしにある)
だが、わたしの視線に彼は瞬き返すだけ。それから、よく出来た微笑を作る。貴族の仮面のように、それを口元に描く。
「お言葉ですが、ライニガー侯爵。大聖堂の刺繍展は身分問わずに楽しめる催しですよ」
「そうだが、今日は最終日だ。用のない者は入場するべきではない」
「それは早計というものです」
デミオンの柔和な笑みと声は、頑なな老人の機嫌をとるかのようだった。同時に、互いの視線を絡め相手の隙を探る。
「ほう? では、関係者だと」
対する侯爵の瞳は、山奥で静寂に包まれた湖底かもしれない。デミオンよりも碧く、同じだけ昏い。底の知れなさは親子でいい勝負だと思う。
「恥ずかしながら……男性の身ではありますが、本日は自分の作品を見にまいりました」
「自分の作品、か」
侯爵が、嘲笑うかのように言葉を舌に乗せる。きっとそう。彼を、デミオンを、侯爵は己より下にしておきたいのだ。
分かりやすい嘲りは、よく出来た息子であってはいけないとでも語るよう。
「ええ。大切な方を想い針を刺すのは、とても楽しい時間ですよ。侯爵ご自身は流石に経験がないでしょうが、ご夫人にうかがってはいかがですか?」
デミオンの笑みが深くなる。
艶やかな唇が見せるのは、侯爵が示したものと同じもの。
「五年立て続けに、最優秀へと選ばれるほどの得難い腕をお持ちの方です。俺が口にするよりも、ずっとお詳しいでしょうね」
微かなざわめきは、デミオンの台詞に同調するかのよう。五年立て続けにとった最優秀がどんなものなのか、分かるものには分かるのだ。
彼らの意思を後押しするかの如く、さらにデミオンが目を細め笑顔という皮肉を色濃くする。
「子爵のわりに、生意気な口だ」
「耳が早い。俺が襲爵したのをご存知でしたか?」
「お前のような男、早々に我が家門から叩き出すべきだった」
「出来たではありませんか。念願が叶ったのに、まだ望みますか?」
ふんと、侯爵が鼻を鳴らす。
「のうのうと生きている姿を見せられたのだ。叶ったとは言えぬな」
ゾッとする声で彼はいう。怒りを凍りつかせた、そんな響きをまとわりつかせ告げてくる。
「お前は、あの悪婦そっくりだ。従順な顔で過ぎた毒を滴らせる。次はその娘か? 誑かすのが上手いものだな」
「随分な言い方をしますね。まるで以前、誰かを俺が惑わしたようだ」
「以前も何も、お前が後妻を惑わしたのだろう? アレは愚かなところもあったが、あそこまでではなかった」
そうして、ライニガー侯爵がわたしを見る。
そこに感情は見えない。デミオンへ注ぐほどの嫌悪も、妻へ滲むうんざりとした様子とも異なる。
「カンネール伯爵令嬢、この男はやめておけ。貴女の手には負えまい」
その声に、先ほどデミオンへ示した嘲笑もない。
ただ、静かなだけ。
ただ、言葉を紡ぐ。
「これは毒を持つ──其方も報いを受けよう」
まるで、厳かな予言のようだった。
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