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55 「あんなボロ雑巾、我が君の御前に供えるわけなかろう! 視界にも入れたくないわ!!」

 

 

 厳かな大聖堂の講堂で、一際甲高い声を上げるのは見目麗しいご婦人だ。スタイルも良く、出るとこがちゃんと出て魅惑の凹凸の持ち主らしい。柔らかな濃い金色の髪を高らかに結い上げ、宝石でできた花を幾つも刺していた。


 遠回りに人々が、様子を窺っている。


 ここだけ、人の流れが滞ってしまったのだろう。わたしもデミオンも、たどり着いた先で立ち止まる。


「あなた、もう一度言ってみなさい。わたくしへ、そんな言葉を吐いて許されると思っているの?」

「侯爵夫人、お言葉が乱れているわ。それもこれも、お育ちのせいなのかしら?」

「お黙り!」


 そう叫ぶのが、きっとライニガー侯爵夫人なのだろう。先ほど聞いた声と同じだ。顔立ちは美しい方だが、今の形相はいただけない。

 周囲のご婦人方が噂する。


「あらあら、大変な場に鉢合わせてしまいましたわ」

「ええ、本当に。ライニガー侯爵夫人にフィンレー侯爵夫人と言えば、犬猿の仲。荒れるのは必然ですわね」

「でも、今年のライニガー侯爵夫人の作品がアレでは、フィンレー侯爵夫人が笑ってしまうのも無理ないわ」

「そうね、きっと今年は、悲願かなってラドクリフ伯爵夫人が選ばれるに違いないもの」


 なるほど。人だかりの後方には、とんでもない大作がある。優勝圏のラドクリフ伯爵夫人の作品の二倍、いやさらに大きいかもしれない大きさだ。

 大きさ勝負ならば、ぶっちぎりで最優秀に選ばれそうなほど。けれども、出来栄えは残念無念。


「前衛的って言えば、褒め言葉に入りますか」

「それでは、言葉に失礼ではないですか」


(デミオン様が、結構辛辣に言ってる。まあ……ちょっと冒涜的とは思うけど)


「まて、娘! お前、こんな物を我が君の貢物に相応しくとか言うつもりか? こんな、こんな禍々しい怪奇な雑巾の寄せ集め、我が君の目に触れさせたくもない!!」


 閣下もお怒りで、とてもプンプンしている。熱でも出たように、湯気が立つほどらしい。あと、雑巾はお掃除道具なので、もっとちゃんとしてますよと補足したい。


「ですが、期日までに出展するぞ! と言う絶対の矜持だけはひしひしと感じますよ」


 出来栄えは別としてだが。

 そうなのだ。

 わたしたちが近寄らずとも分かるほどに、その刺繍は酷かった。閣下が雑巾なんて評するのも頷ける。明らかに、寄せ集めなのだ。斬新? なパッチワークだろうか。


(いや、それを言ったら全国のパッチワーク愛好家に暗殺されそう。よほど時間が足りなかったんだろうな。お金でどうにかできる余裕もなかったに違いない)


 その道のプロに頼めなかったのは明白で、きっと屋敷中のメイドをかき集めて使ったのだろうと想像する。事実、それを裏付けるように、周囲では失笑がちらほらだ。


 「ほらやっぱり」と声が漏れる。「侯爵夫人の作ではないと思っていたのよ」と、違う声もする。

 それが、話題の当人の耳にも入ったのだろう。


「今、酷いことを言ったのは誰なの!」


 息子と同じ明るい青色の瞳が、周囲をぎろりと睨む。強気で勝気な人でもあるらしい。それを冷ややかにプークスクスするのは、側にいるフィンレー侯爵夫人。細身のスレンダー美人だ。


「デミオン様は、フィンレー侯爵夫人をご存知ですか?」

「義母のライバルらしいですね。家格は同じですが、フィンレー家の方が歴史が古いんです。あとは……女性の年齢を口にするのはマナー違反ですが、義母の方がほんの少しだけ上でして」

「それは、とても繊細な問題ですね」

「夜会のドレスの色が重なると分かった日などは、急遽アレンジするために、徹夜で刺繍するよう駆り出されましたよ」


 その光景が、ものすごくリアルに思い浮かぶ。多分、今目の前での諍いのままの声量で命令したのだろう。

 やはり、ドレスの刺繍はなしだ。デミオンはやる気があるようだが、そのエピソードを聞いてしまうと無理だと思ってしまう。彼にはさせられない。


「わたし、どなたかとドレスのお色が被ったとしても、そんな無茶言いませんからね。今からお約束します」

「ええ、リリアン嬢は言わないでしょう。貴女はそういう方だ。でも、そんなことがあってもリリアン嬢が一番似合っていると思いますよ。少なくとも、俺の目にはそうとしか映らないでしょうから」


 その台詞に心配になる。デミオンの審美眼はどうなっているのだろう。


「お世辞として喜んで受け取りますが、綺麗なものは綺麗と思っていても大丈夫ですからね」


 わたしは彼に、まだまだ見せたいものが沢山あるのだ。わたしだけが特別に見えるのではなく、一緒に特別に美しいものを見て回りたい。


「ふざけないでちょうだい!! いいこと、わたくしが最優秀に選ばれたら、アンタたちみんなとっちめてあげるわ」


 ライニガー侯爵夫人が金切り声で、周りの貴族を怒鳴りつけていく。

 怖いなー、これ脅迫になるのではと、わたしは思う。


「デミオン様、前に侯爵夫人が可愛いと評してましたが、それは本気なんですか?」

「浅はかで欲に正直で、ある種の可愛いさはありますよ。婚姻相手としてはお断りですが。それよりも、嫉妬してくれるリリアン嬢の方が、俺は可愛いですし」

「いえ、嫉妬というより、趣味が悪いなと思いました」


 返すと、デミオンがぺそっとしてしまった。垂れた幻の耳が見えそうだ。


「父の、侯爵の代弁みたいなものです。俺はリリアン嬢一筋ですからね」


 その肩で、閣下が作品にまだ怒って鎮まらない。熱々の薬缶のよう。わたしの回りは賑やかだ。


「あんなボロ雑巾、我が君の御前に供えるわけなかろう! 視界にも入れたくないわ!!」


 そうなんだよ。ボロ雑巾とまではいかないにしても、ツギハギだらけで、刺繍の色は揃ってないし変な色も混じってるし、はぎ合わせも凸凹だ。いや、刺繍の技術が図面に追いついていないので、全体的にボコボコしてて酷いんだけど。


(多分、元の図案の風景画は綺麗なんだろうな。下絵の線ばっちり見えてるし。それを裁断してノルマ制にして、やっつけ仕事になった感じかな……)


 ここだけは、きっと本職の絵描きに描いてもらったのだろう。ライニガー領の領都を緻密に再現したと、下書き線だけで分かる。刺繍が大胆に穴だらけで、刺されていないからこそ察せる優秀な仕事ぶりだ。


「でも、これを出展するなんて……勇気ありますよ。わたしは普通に諦めます」

「そこが義母の底力ですね。俺も真似できないです」


 感心しちゃダメなんだけど、互いに感心してしまう。そんなわたしたちとその他大勢の前で、ご婦人たちの喧嘩はヒートアップしてきた模様。


「……そう言えば、侯爵様がいませんね」

「父、いえライニガー侯爵はきっと……」


 突然、デミオンの声が途切れる。

 ぎゅと繋がった手が握りしめられた。


「……何故、ここにいる?」


 どこかデミオンを思い出す、深い瞳と険しい顔がすぐ向こうにいたのだ。

 


 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 誤字報告も、本当にありがとうございます。大助かりで、感謝しております!


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