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54 「デミオン様が傷つくなら、わたしが許しませんからね」

数分、遅刻しました。

また、明日は仕事の都合で更新お休みします。

 

 

「デミオン様?」

「すみません、リリアン嬢。懐かしい声がして……あの声は俺の義母である、ライニガー侯爵夫人ですよ。多分、不機嫌なことがあったのでしょう」


 そこで、彼が目を細める。


「……俺は今、懐かしいと言いましたね?」

「ええ」

「とても不思議な気持ちなんです。あの声を毎日聴いていた頃は、またかという感情しかなかったのに、今は懐かしいと感じるので」


 それは、彼がもうあの場所に属してはいないからだ。離れてしまった場所になったからだろうか。


「なんじゃ、白百合が気に食わん場所なら吾輩が壊してしまおうか?」


 デミオンの頭に上がった閣下が、逆さまになって彼に問う。それが邪魔だったのだろう。答えながらデミオンに払い落とされる。


「結構ですよ。今はどうでもいい場所ですから」

「ぎゃ!」


 落ちそうな閣下は、必死に肩に縋り付く。その様子を見ながら、わたしは考えを告げた。


「多分、侯爵家がデミオン様の家ではなくなったからでしょうか。それとも、デミオン様が我が家に慣れたから、ですか」

「そうですね、そうかもしれません。……俺の居場所はないと言われ続けたのに、あそこは必ず帰る場所であったんですよ。ですが、今はもうそこではなくなった……から、懐かしいと思うのかもしれません」

「人間は不思議だな」


 閣下がぼやく。


「それほど居心地が悪いならば、好きな場所へ行けば良いのではないか。白百合には恩寵がある。その体が壊れてしまうことはそうそうないぞ」

「心が先に壊れかけたなら、人間はね、どこにも行けなくなるんです」


 閣下の言葉に、イラッとしてしまう。恩寵があったから苦労したというのに、まるで分かっていない。


「たとえ、体が丈夫で何でもできるとしても、心が傷ついていたら動けないんです。それが人間です」


 そして、恩寵は体を守ってくれても、心は守ってくれないじゃないかと思うのだ。


「俺はどうでもいいと、諦めていただけですよ」

「いいえ、それは心の疲弊です」


 自滅するほどに、どうなってもいいと思ってしまうほど、デミオンは疲れていたのだ。嫌になっていたのだろう。


「……我が君の恩寵は得難いもので、だからこそ我々にとっての白百合は我が君に近しい存在だ。それは類い稀なる幸福とはならんのか?」

「身に余る幸福だから、その余剰が厄介になるんですよ」


 わたしの説明に、閣下が萎れ気味になる。


「もし、その恩寵を巡って諍いになった時はどうするんです。狙われるのは、きっと体だけではないでしょうね」


 そこまで考えているかは疑わしいが、どうしてもいいたくなってしまう。


 デミオンとて同じだ。

 人は異端を嫌うが、見る目を変えそれを至宝とみなせば血みどろの奪い合いとて起きる。その時、精霊が助けてくれるのだろうか? こんなことをいってる相手が、役立つとは思えない。


「デミオン様が傷つくなら、わたしが許しませんからね」


 彼の目を見て、わたしははっきりいっておく。わたしはただの人間だけど、精霊が体しか守らないならば、わたしは彼の心を守りたい。それができる人になりたい。


「……リリアン嬢」


 見る間にデミオンの目が伏せられて、耳が染まる。困ったように、彼が呟く。


「突然、俺を口説かないでください……」


 い、いや、それはデミオンとて同じだ。わたしの台詞でもある。


「で、デミオン様も同じです。おあいこですから、喧嘩両成敗です」

「……娘、それでは自滅だぞ。ともに倒してどうする」


 わたしはつい、閣下を裏拳で払ってしまう。いけない、感情が先立った。


「この暴力娘!! お前、吾輩に優しくないぞ! 大体、吾輩らとてちゃんと恩寵の白百合を守る凄い術を持っておる!!」

「では、今すぐなさったらどうです」

「そ、それは……」


 口ごもる閣下に、わたしは非難の眼差ししかない。


「ここぞと言う時に使うものであって、ほいほい使えるものではないのだ……」

「お役立ちしませんのね」


 その一言に、閣下が完全に萎れて、デミオンの肩で縮こまる。干物ウミウシの出来上がりだ。


「リリアン嬢、それぐらいにしましょう。少し、目立ち始めましたから」


 そりゃあそうだ。

 立ち止まって長話がすぎた。しかも刺繍の話でもない。さらに、今年の目玉作品の真ん前だ。わたしは社交用のおすまし笑顔で周囲に謝罪の会釈をし、そそくさと次の区画へと移動する。


 ありがたいことに、こちらは小作品コーナーらしい。額装された、小さな、けれども緻密な作品が並ぶ。それに人も少ない。


(助かった……)


 閣下との会話は気をつけなければと思っていたのに、これだ。わたしはもっと学習し、対策を考えなければ。


「……一人芝居にならないようにするのが、難しいです」


 つい、閣下の言い分に白熱してしまう自分が恨めしい。


「でも、俺のために言ってくれたのでしょう」


 デミオンが宥めるように、わたしの髪に触れた。


「貴女はいつも俺を守ってくれています。俺が貴女を守らないといけないのに」

「そんなことありませんよ。婿殿を守るのは、わたしがするべきです。それにデミオン様もわたしを守ってくれています。誰かがずっと一方的に守るばかりでは、疲れてしまいますしね」


 わたしは仲良しな夫婦になりたい。

 だから誰かだけがずっと守るなんて、フェアではない。それでは、デミオンをこき使った侯爵家と変わらない。


「俺がどうして、この刺繍展の最終日にリリアン嬢を誘ったと思いますか?」

「投票結果が分かるからと思ったのですが、違うのですか?」


 彼の突然の質問に、わたしは思った通りのことを答える。きっと結果を見にきたのかなと思ったのだ。

 母と刺繍展の話で盛り上がっていたので、今年の侯爵夫人の作品を見るためだと思ってしまったが、違うのだろうか。


「侯爵夫人の作品は、まあ……気になります」


 わたしもとても気になる。デミオンの手を借りずに、どこまでするのかめちゃくちゃ気になっている。


 そこで、デミオンが息を吐く。

 まるで今まで呼吸を止めていたような、重いものだ。


「……俺自身、この刺繍展へ一度も訪れたことはありませんが……父、いえ、ライニガー侯爵が必ず来るんですよ。夫人にどうしてもと誘われ毎年必ず、五年間そうだったので今年も来ると思ったんです」


 わたしは、彼の手を両手で握る。何故か、そうした方が良いと思ったのだ。

 包めば思ったよりも体温が低く、緊張しているように思えた。


 ライニガー侯爵──この国で有名な大貴族の当主。わたしも、それとなく調べたが詳しくは分からなかった。人の噂だと、顔が渋くて格好良いらしいことと、仕事熱心なことくらいか。

 遊び歩くこともなく、貴族として領主として真面目な部類に入るようだ。


「デミオン様は、侯爵様に会いたいのですか?」


 彼の深海の双眸が揺れ動く。


「どうなんでしょうね。あの人は一番俺を疎ましく思っていた人間ですから。自分に最も近いはずなんですが、最も嫌う相手であったので。理由は俺にだって分かります。でも遠すぎて……家族という気持ちがあまりないんです。血縁者と言うほうが、正しい気がします」


 それから、彼がふと顔を持ち上げる。

 展示されている作品のひとつを、見つめていた。わたしも一緒になり視線を向ければ、そこには額装されたひとつの刺繍がある。


 タイトルは『父親』


 見知らぬ誰かの父親の愛用品を、刺したものらしい。手袋にステッキ。それにタバコ道具。

 彼の父親も愛煙家なのだろうか。


「昔は……昔は、人並みに思っていたんですよ。どうしたら父に愛されるだろうと。母が亡くなり、祖父も亡くなり、子供の俺にはもう父しかいなくて」


 か細い声で、彼が謝る。


「情けない話ですみません」

「そんなことありません。……みんな同じですよ、みんな親には愛されたいと思うものです」


 幼いならば、尚更だ。

 そして、そんなちっぽけな願いごとが、どれほど難しいか思い知るのだ。自分の隣の誰かには確かにある愛情が、よりにもよって己のところに限って見つからないと。


 親の愛情なんてガチャのようなもの。当たり前にあると見せかけて、何度回そうと出てこない時は出てこない。それでもあると信じてしまうのが、子供の悲しいさがだ。

 誰かが作った、酷いマナー


 愛されないのは、己のせいなのだと非難させる。自分が悪いんだと思い込ませる、なんて残酷なからくりだろう。


(だからそれで、デミオン様が苦しむことも悲しむこともしなくていいんだ)


「とはいえ、愛されたいと願う子供に対して勝手な親もいますから。彼らも所詮ただの人間で、我儘な存在です」


 親が聖人君子だなんて、誰が広めたのだろう。

 とんでもない詐称行為だ。


「……リリアン嬢は変わっていますね」

「どこか変ですか?」

「貴女は伯爵夫妻から、とても愛されている方です。そういう世界いえで育ったのに、そうではないことをよく知っていると思いまして」

「……きっと異界渡りだからですね。異界あちらでも、そんな親が問題になっていましたから」


 リリアン・カンネールではなかった頃、立花と呼ばれていた頃、わたしはありふれた家庭に生まれて、ありふれて育ったからだろう。


 ただし、父親にちょっと疎まれ性別で軽んじられて、母親には我慢させられて、なんて家だったけど。当時わたしは何でそんな風に生きなきゃいけないんだろうと、考えていたからだ。


(その記憶を、何故か今も持っているから)


 十年前に思い出してから、ずっと疑問だった。


(だけど、これがあったから……わたしはデミオン様のことを考えられる)


「デミオン様はどうします。このまま先へ進みますか? 戻っても良いんですよ」


 進めば、そこには声の主と連れがいるだろう。侯爵夫妻がいるはずだ。喧騒がまた聞こえてくるから、予想通りの人物たちがいる。

 代わりに引き返せば、我が家で父と母が迎えてくれるだろう。いつも通りに笑顔溢れる温かい場所だ。


「……俺は進みますよ。これから何度会うことがあっても平気なように、ここで区切りをつけたいと思います」


 ならばわたしはお供するだけ。貴方の側に寄り添い、支えるだけだ。



 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 また、いつも誤字報告ありがとうございます。ありがたいです!


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