50 「あら、デミオン様は好物は後に残す方なのですか?」
更新時間、遅刻しました。暑さのせいです。皆様も、お気をつけください。
使用人たちに見送られ、わたしたちは馬車の中。ジルも一緒だ。向かいにジル、わたしとデミオンが隣同士なのも以前と同じ。
ガタゴト揺れる我が家の馬車だが、今回はそれほど悪くない。揺れてお尻が痛いのが旅行の醍醐味なんていう方もいらっしゃるが、わたしは断然揺れない方が大好き派だ。
痛みに喜びを見出す嗜好はない。
ジルも今日の乗り心地に、少々首を傾げがち。足元や外をちらほら見ている。原因が分からないのだろう。
それもそのはずだ。
「どうだ! 吾輩の素晴らしさを、骨の髄までじっくり感じ入るがよい!!」
と、威張りんぼの閣下のお陰であるため。
昨日もお茶をした際に、移動時の揺れの話になったのだ。体に響きますよねと話したところ、それはいけませんねとデミオンに返された。
そうして、あれよあれよと話が進み、閣下の守護? の範囲だろうということで、決着がついた。
(そう、これはデミオン様のお尻を馬車の揺れからお守りするため! その恩恵に、わたしもおこぼれをいただいているのよ!!)
そのかいあって、わたしのお尻もジルのお尻も今日は楽ができるよう。馬車内のクッションもあり、快適だ。
「吾輩を褒めても良いのだぞ!!」
閣下がデミオンの膝の上で、ぴょこぴょこ訴える。その気持ちは分からなくもないが、生憎目の前にジルがいる。わたしは一人芝居などしないのだ。
え、お嬢様大丈夫ですか? 幻覚を見ているんですか? なんていう、悲しき視線など一度の経験で十分過ぎる。二度目など、来なくてよろしい!
「そら、娘褒めるがよい!!」
痺れを切らした閣下が、わたしの膝上に来る。より近づくためか、ますます体を弾ませる。
だからだろう。ぼよんと一段と高く弾んだと思うと、わたしのお胸にへばりついてしまったのだ。さっと青ざめる閣下。目が合うわたし。
びったーん!!
瞬時に、閣下は馬車の中のお星様になってしまった。馬車の窓ガラスにぶち当たり、煎餅のようになってひらりと落ちていく。
「すみません、近頃の害虫は躾がなっていないようで……思わず叩き落としてしまいました」
ハンカチで手を拭きながら、デミオンがうそぶく。
笑顔が眩しい。何かよく分からない、イケメンのみに許されし鱗粉のようなキラキラまで見えてくる勢いだ。
人並外れた美貌という圧で、今の暴挙をなかったことにしてきている。
「む、虫を払ってくれて……ありがとうございます」
お礼を言いながら、閣下の無事を願う。精霊なので死なないと思うが、ダメージはあるだろう。閣下のことだ、先ほどのは不慮の事故にちがいない。
(アオウミウシなのに、更に青くなってたし……)
「それと、そのハンカチ……使ってくれているのですね」
わたしが指摘すると、デミオンが恥じらうように頬を染める。相変わらず、乙女力が高い。
「リリアン嬢が俺に贈ってくれたハンカチなので、本当は宝物として厳重にしまっておきたいのですが……使ってくださいと言われてしまっては、それもできません。ですので、貴女と出かける時に使用しています」
「ハンカチですから、どんどん使ってくださいね。また刺繍できましたら、デミオン様に贈りますよ」
ちょっと時間がかかるが、ときめく婿殿のためだ。ハンカチの一枚二枚、いや店の棚から棚までプレゼントしてもよいくらいである。
(さすがに、生涯かけてそれだけ刺繍できるか分からないけど……あと、四、五枚ならわたしでもなんとかなるはず!)
「俺も……リリアン嬢へドレスをお贈りする時は、ひと針ひと針心を込めて、刺繍したいですね」
「デミオン様、それはお針子さんのお仕事ですよ?」
あの……そこは、別にドレスでなくともと、わたしは思う。プロ顔負けの腕前だと知ってはいるが、普通にプロに任せてもいいと感じる。
「ですが、リリアン嬢が触れる物ですから……。では、俺はいつか挙げるだろう婚姻式のドレスにします。一生に一度ですから、気が抜けませんね」
やばい、デミオンの目が本気だ。これは刺繍したドレス着て着て! と、ねだる腹づもりの視線では。
ホホホ……と、わたしは笑う。
阻止するべく、言葉を連ねる準備へ入る。何しろこの世界では、嫁のドレスに刺繍する斬新な殿方は未だ出てきていない。
だからといって、デミオンに先駆けになってもらいたくもない。よく考えなくとも、婿殿を手玉に取る悪女と呼ばれそうだし、何より時代が追いついていない。
「いけませんわ、デミオン様。デミオン様ご自身の装いもあるのですから、やはり専門家にお任せいたしましょう。わたしのドレスへのお気持ちは嬉しいのですが……デミオン様と折角お揃いの衣装を仕立てる機会ですので、」
「そうでしたね。ドレスと貴女自身では、リリアン嬢の方が大切です。……ご安心を、俺はドレスに取られませんよ。いつでも、貴女に愛される夫となる所存ですから」
いや、あの?
「デミオン……さま?」
「ドレスに嫉妬するリリアン嬢は、可愛らしいですよ」
「……ちが」
う、といいかけた唇は指で止められる。
「そういうことにして、俺を喜ばせてくれませんか? ね、リリアン嬢」
耳朶に唇が触れるほどの至近距離で小さく紡がれて、わたしの鼓膜は昇天した。否、しかけた。美声って怖い。
(あ、新たな、口説き方を覚えてきた……!!)
ジルが生温かい目で、わたしたちを見ている。お嬢様ったら、なんて可愛らしいのでしょうと、その瞳が語っている。
(そ、そんな訳ナイナイ! そんな可愛い令嬢なら、とっくに結婚してるから!!)
だがしかし、婿殿を大切にしたいという気持ちならば、負け知らずだ。前世の武将にあやかり、泣かぬなら泣かせてみせようホトトギスな気持ちで挑みたい。
わたしは知らぬ間に赤くなったような気がする頬を誤魔化すため、ちょっと咳払いをする。それからジルに目配せした。待ってましたとばかりに、キラキラし始めた顔は見なかったことにする。
ジルが差し出した箱を受け取り、わたしは隣の席のデミオンを見る。
「……あの、馬車の中でお渡しすることになりましたが、その……今朝仕上がったばかりなんです」
そっと箱を開け、彼に見せる。
中身はブレスレットだ。時間がないのでとてもシンプルで、精石もひとつだけで大きくもない。だけど、彼に贈りたくて、どうしてもと母に願った。
バレないよう、店の者にはこっそり来てもらいお願いした品物だ。
災難避けという、加護もありふれたもの。
「これを、俺に……ですか?」
「はい。シンプルですが、デミオン様に似合うと思い選びました」
装飾は細い、植物を思わせる彫り紋様だ。貴族のものにしては素っ気ないかもしれないが、代わりに内側には彼の名前を刻んだ。わたしから彼への贈り物だと分かるように。
彼が瞬きする。深海の瞳が見開かれ、零れそうだと思ってしまう。今にも空から落ちる星のよう。
そっと、手が伸ばされた。
消えてしまう虹を掴むように、解けてしまう雪を手にとるように指が触れる。
「……大丈夫です、こちらはデミオン様だけの贈り物です」
他の誰でもない、貴方のためのプレゼントだ。
貴方を想い、貴方の幸せを願い、貴方の幸いを祈る、そのためだけの贈り物。
「……ありがとうございます」
ぎこちなく、ブレスレットを彼が手に取る。
つぶさに眺め、口元が徐々に綻んでいく。甘いキャンディを頬張ったみたいに、デミオンの唇が優しい形になる。
贈り物を握りしめ、彼がいった。
「貴女を……リリアン嬢を抱きしめてもいいですか?」
「それだけ喜んでくれるなんて、わたしは光栄です!」
さあどうぞと腕を広げれば、それより大きく広がった彼の腕に抱き込まれる。すっぽりだ。
「……俺の初めてばかり奪ってくる貴女が素敵過ぎて……心が苦しいです」
「では、今泣いても良いですよ」
「……それは、もっと後にとっておきます」
「あら、デミオン様は好物は後に残す方なのですか?」
問えば、少し腕に力が入る。
「そう……ですね。多分、そうなんです」
それから、小さく告げる。
そういうことも、今初めて考えました──と。
向かいの席で、ジルが手で両眼を覆い見えないフリをしてくれていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
出来立てホヤホヤなので、誤字等あるかもしれません。
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