5 「……カンネール伯爵令嬢は、俺を、俺を信じてくれるのですか?」
「は、え、……か、カンネール伯爵令嬢」
目をまん丸でデミオンが慌てふためいていた。頬こけて目もクマバッチリで髪もパサついてるけど、顔のパーツの配置には何一つ問題ない。
上手いこと等配分された位置をじっくり見てても、バランスが良くて歪みがない。療養すれば何ら問題ないだろう。ついでに我が家のメイドさんとビューティーサロンごっこして、美しさを極めよう! なんて考えてしまう。
「さあ、さあ、デミオン様! どうか、我が家の婿殿に!!」
だがしかし、そこでふたりを引き離すように誰かが割り込んだ。
「リリアンー!! は、は、はしたないから、その手を離しなさい!!」
「お父様、何をするのです! わたしは今我が家の薔薇色の未来を賭けて、お婿の打診をしているのです。こんな優良候補、もう巡り会えません! きっと我が家の家宝になります!!」
「家宝って、リリアン! 人は物じゃないよ。僕は君をそんな子に育てた覚えはない!!」
「それは言葉のアヤではないですか! 物だなんて、お父様でも失礼が過ぎますよ!!」
「いやいや、僕はリリアンに注意しているんだけど」
「ほら見てください、デミオン様だって驚いているではないですか! 謝罪要求します!」
「ちが、それはリリアンの言動のせいだからね!」
父娘で延々と言い合っていれば、そこでぶほぉっ! って、どなたかの吹き出す盛大な音がする。
あ、王太子殿下が崩れそうになってる。あれですね、腹筋駆使して頑張って、笑わないようにしてるんですね。分かります、それ苦しいですよね。
わたしも前世の職場で体験しました。上司のヅラが前後間違ってるの、どうしようかと思いましたもの。
「き、君たち……カンネール伯爵も、落ち着きなさい。デミオン卿も、その…す、座ろうか」
一歩踏み出したジェメリオ殿下がふらついてしまう。咄嗟に側近が支えたが、遂に王太子殿下は笑いだされ、それはもうすこぶる楽しそうでなによりです。
「失礼をした、すまない」
ジェメリオ殿下が謝ってくれる。でも目の端っこに笑いの涙が見えているので、まだちょっと楽しいのかもしれない。
「デミオン卿の婿入りを望むと聞いたが、カンネール伯爵。卿の御息女は婚約者がいなかったのかね?」
「それは……」
言い淀む父に代わり、わたしが話す。挙手してしまったのは前世の名残だ。
「ハイ! わたしはごくごく最近、四年ものの婚約者に婚約破棄されました。若くてお金持ちの女性に乗り換えるということで、愛し合うふたりのプロポーズを見せつけられました」
あれ、室内が凍りついている?
城勤の護衛騎士さんも、王太子の側近さんも、それどころか給仕係さんも完全なるフリーズだ。いや、王太子殿下とデミオンも同様かな。
「……非常に、非常に辛い話をさせてしまったようだ」
「もう過ぎた話です」
「カンネール伯爵令嬢は精神が堅牢なのだな」
お誕生日席なジェメリオ殿下を中心に、左右でわたしと父、お向かいにデミオンでの着席だ。座ってすぐ、給仕してもらった紅茶から良い香りがする。
「では、カンネール伯爵家ではデミオン卿を娘婿として迎え入れると」
「はい、勿論です!」
食い気味で答えるが、これこそが情熱と分かって欲しい。
「デミオン卿はどうだろう? 私個人の意見を言わせてもらえれば、卿をこのまま失うのは惜しいと思っている。叶うならば、このままカンネール伯爵家に婿入りも良いのではないだろうか。このように、カンネール伯爵令嬢は大変前向きな考えの持ち主だ」
「……俺にはあまりにも過ぎた話で、驚くばかりです。また王太子殿下のお言葉、身に余るもので……買い被りすぎではと」
「卿は随分と自信がないな。まあ、あの家族では仕方あるまい。だが、私は卿と過ごした幼い頃を覚えている。私がまだ覚えられぬ乗算式や歴史など、卿はすらすらと答えていたではないか」
「それはたまたま、偶然の産物です」
「果たしてそうであったかな。まあ、卿がそう思うならば、それでもよい。だが、カンネール伯爵令嬢との話は是非受けて欲しいものだ」
王太子の後押しもいただいたからか、デミオンがこちらを向く。視線が合ったと思ったのだが、また俯いてしまった。シャイな方なのだろう。
「俺は廃嫡どころか、除籍される身。貴族籍を失った俺は平民となりますが、それでも良いのでしょうか」
「……それは」
「お父様、何を渋っているのです! わたしはデミオン様でしたら、平民でしても問題ありません! デミオン様は今まで、侯爵家嫡男としてご自身を立派に修めてきたと信じております」
直接話をうかがってはいないが、きっとそうに違いない。そもそも先方は王家主催の宴で堂々と婚約破棄などしてくる、常識知らずだ。
そんな輩の言い分なんて、右から左にスルーするよ。信用できないからね。
「……カンネール伯爵令嬢は、俺を、俺を信じてくれるのですか?」
顔を再び上げた彼と、真っ正面で瞳と瞳がぶつかり合う。疲れ目だが、その奥には真摯な光が宿っている。それと、まだ諦めたくないという──僅かな望み。
くたびれた顔の中に、願う心が確かにある。ならば応えてみせるのが、女の愛嬌ではありませんか!
「お任せください! わたしはこれぞと決めた旦那様には、誠心誠意尽くす気持ちでおります。困難には背へ隠れるではなく、手を握って共に断崖絶壁を登りきりましょう。そこで素敵な朝日を拝んで、一緒に幸せになりませんか?」
ロッククライミングは前世でも経験はないが、苦労をふたりで分ければ半分こになるだろう。喜びはふたり分だから、二倍になって味わえる。
昔の人は上手いこと言ったものだ。
大丈夫、わたしは大好きな人のためなら、チントンシャン。三つ指ついて、一歩後ろをしずしず歩くことだってできる女。うん、できる。きっと、できるとも!
「ここはドーンと、不沈船舶に乗ったつもりでわたしと運命を共にしてください!!」
思わず、熱い思いの丈が拳となって胸を叩いてしまった。この、乙女渾身のボディランゲージを信じて欲しい。
「待て、デミオン卿は平民とはならない」
わたしの挙手が移ったのか、ジェメリオ殿下も軽く手を上げ発言する。
「卿の身分に関してだが、確かにライニガー侯爵家から籍を外されているようだ。けれども、デミオン卿がそれで貴族でなくなることはない。……少し私に時間をくれないだろうか?」
「ジェメリオ殿下。もしやそれは俺の母たる、前侯爵夫人に関する話でしょうか?」
「そうだ。前ライニガー侯爵夫人は子爵家で、彼女以外に継ぐべき親族がいなかったらしい。そのため爵位は王家預かりとなっている。本来は卿が侯爵家当主となった時にと思っていたが、こうなったならばすぐにでも返還及び襲爵手続きを行う」
へー、デミオンのお母様は子爵令嬢だったんだ。でも侯爵家へ嫁入りなんて、それ立派な玉の輿では? どういう経緯なんだろう。
しかも他に貰い手がないなんて、珍しい。天涯孤独の子爵令嬢なんて、どこかのヒロインのよう。
「ハイ! では、手続きが終了しましたらすぐにでも婚姻しましょう」
「は?」
「こういうことは、できるだけ早く済ましておくと良いと思います」
わたしはまた挙手して、発言してしまった。
いやだって、そうでしょ? この手の話、わたしは前世で読んだ小説や漫画で詳しいんですよ。
予言しよう。絶対だよ、絶対。こちらが上手くいってきたら、誰かが必ず横槍入れてくるよ。
それがクソ野郎のアランなのか、略奪令嬢マリアなのか、それとも我儘アリーシャ姫かもしれないし、まさかの格好つけパツキンのジュリアンかもしれない。
埋められる外堀や何かは、早急に埋めておきたい。危険を避けるためにもそうだ。手っ取り早く婚姻済まして、悪いことだってない。
お披露目は後からでも、こぢんまりしたものでも、わたしはこだわらない。事情があり身内だけのお披露目ですのなんて、世の中にだってあるだろう。
(でも、邪推されちゃうのかな? まあ、両親に相談しよう)
「私も、それには賛成する。我が妹のことながら、どのような言動をするかも分からない。また、場合によっては婚約破棄を翻すこととてあるだろう。考えられないことだが、今夜その考えられないことが起きたのだ。もう何が起きても、妹に関しては驚かないつもりだ」
ほう、王太子殿下も気が付かれたんですね。賢そうで国の将来に安堵しました。あと、自分の妹が残念姫だという可能性に、自覚がおありなのですね。
この話し合いで、項垂れてしまったのはお父様だけらしい。もうお嫁に行くなんて……と、ボソボソ言っている。いやでも、お婿をもらうからお家を出て行きませんよ、わたし。
「リリアン・カンネール伯爵令嬢。不束者ですが、どうぞ幾久しくよろしくお願い申し上げます」
立ち上がり、デミオンがわたしに向かって最高礼、つまり王族級のお辞儀をしてくれる。片足を後ろに下げ右手を胸に、もう一方はしなやかに伸ばす。指先まで綺麗に整ったものだ。
そうして、頭を下げてくれる。
「顔を上げてください、デミオン様」
目の前にはやはりひょろっとした、不健康万歳の殿方がひとり。でもその両眼に灯る希望を、わたしは素晴らしく思う。そうだ、貴方は可哀想じゃない。
「貴方を迎えられ、わたしは誇らしく思います。貴方の培ってきたものを、その尊い価値を、わたしにも守らせてください」
その手で積み上げたものに対し、胸を張って欲しいんだ。
誤字報告で、作中の女の愛嬌ではありませんかの愛嬌を甲斐性とご指摘いただきましたが、こちらはリリアン本人が可愛いさと思っているので、愛嬌のままと致します。
他にもあった、幾つかの誤字脱字の報告ありがとうございます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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