46 「誰かにとって、ここは最愛のフィクションなんだ」
今回のお話は、ちょっと気持ち悪いかもしれないです。
「……吾輩、話の続きをしてもよいのか?」
デミオンにお茶のおかわりを入れてもらったまま、わたしは閣下の問いかけにハッとする。
(知らない間に、時間が経ってる……!!)
それもこれも、デミオンのせいだ。あのウィスパーボイスがいけない。思い出し、わたしはまたプルプルしながら耳を押さえる。
ただ囁かれただけなのに、威力が絶大過ぎた。このままでは、こそこそお喋りするたびに体の力が抜けてしまう。
(鼓膜って、どうやって強化できるんだろう? 筋肉みたいに、逞しくする方法が思いつかない)
それとも、わたしも彼にやり返せばいいのだろうか?
(でも、何を言えばいいのか全然わかんない)
私の羞恥心は平均的なので、おすすめの台詞とかハウツー本が欲しい。切実に思う。
そんなわたしへ、閣下が心配のご様子で話しかけてくる。
「……娘、その、まだ顔が赤いが、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です、わたしまだやれます!!」
シャッキとしなきゃと頬を叩き、わたしは背筋も伸ばして姿勢を正す。
「それで、議題は何でしょう!」
「俺の母のことですね。それに関してですが、おあつらえ向きの物がありますよ」
ぱさりと、テーブルに置かれたのは誰かのメモ帳だ。手作りらしいのか、似通った大きさの紙を束ねた物。サイズは手のひらに収まる小ささ。そこへ、これまた小さな文字でびっしり書き連ねている。
閉じ紐の代わりに、ネックレスが括り付けられていた。
「これは、デミオン様の物ですか?」
「俺ではなく、俺の母の唯一の遺品です。彼女の物で、俺が持つべきだった物はこれだけだったので。母が肌身離さず持っていたからか、インクが滲んで読み難い所もあります」
事実、文字の小ささもさることながら、全体的に黒ずんでおり、ホラー映画の雰囲気すらある。
「本当は、誰にも見せず処分しようかと思っていたんです。ですが……リリアン嬢。母と同じ異界渡りという貴女にならば、もしかしたら意味があるかもしれません」
「デミオン様、今、拝見しても?」
「どうぞ。なんなら、そこの海洋生物も見ても良いですよ。ただ中身が妄執の塊なので、頭が痛くなるかもしれません。どうかお気をつけください」
わたしはその言葉に緊張しながら、手早く斜め読みする。
「……これは」
そこには、ひとりの女性の半生が書かれていた。子爵令嬢のある種の成り上がり物語だ。約束された子を生むために、それが定められたルートだと信じて疑わない女性の日記だった。
彼女は十六才の誕生日に、どうも前世を思い出し覚醒したらしい。だから日記もその日から始まっている。その後は、あれこれ世界のことを調べ確認し、想像通りであると確信したことや、攻略についての記載。
(そうして、ライニガー侯爵家の侯爵夫人になるべく、動き出したんだ……)
前侯爵に取り入るのに、前世の記憶通りに未来を語り、あれこれと予言してピタリと当てていく。でもそれは難しい話じゃない。だって彼女は知っているのだ。
(ここは、◾️◾️◾️◾️の世界だから……か)
デミオンの母親は、確かにわたしと同じ転生者だ。ひとつ違うとするならば、彼女はこの世界を何らかの物語だと完全に信じ込んでいたところだ。ひたすらそうだと思い込み、周囲も全てキャラクターと見なしていた。
だからだろう。徐々に彼女の幸福が崩れていく。リアルという隙間が広がり、綻びが生じていく。
(おかしい? どうして? 彼女は何度も己に問い、そうして自らへ言い聞かせている。あの子を生めば、あの子さえいれば、自分は幸せになるのだと、世界がそう変わるのだと……約束の子、精霊の愛し子、最高の恩寵の白百合……完全で完璧なハッピーエンド)
それはデミオンを生むことすら、いいや生まれた我が子とて彼女にとっては自分を幸せにするアイテムと語るも同じ。
(……肝心の作品名が塗りつぶされてるから、媒体が分からないけれど)
「俺の母は俺を生むのが宿命で、それだけが目的だったらしいですね。それ以外は何も考えていない。俺ですら、生まれればどうでもいいらしいなんて、笑えます。誰が犠牲になろうとも構わない。盲信的過ぎる。俺の父親が嫌うのも分かりますよ。……俺でも無理だ」
そう、それが彼女の教義で、彼女の全て。
だから彼女はライニガー侯爵の元からいた婚約者を破滅させ、蹴り落としもした。デミオンの母親にとっては、当然のこと。お話の中の悪役令嬢を断罪するようなものなのだろう。
ルートを正す、正当な鉄槌なのだ。
(これ……胸くそ案件だ)
「現侯爵の元々の婚約者は、とっくにアルカジアの門を潜られたのですね」
侯爵夫人となった己の立場を確実とするために、デミオンの母親は彼女を修道院送りではなく、人を使い醜聞まみれにしていた。
令嬢として退路を徹底的に絶たれたのだ、選ぶ先なんてたったひとつしかない。悲惨で痛ましい最後。
(こんな……酷過ぎる。エグくて、気持ち悪い……)
わたしは吐きそうになり、口を覆う。
純粋であればあるほど、異常な発想。
それを嬉々として記す文字に、わたしは目眩を覚える。彼女のそれは明らかに悪意そのものであるというのに、彼女はそれこそが善行であると思っている。
満面の笑みすら、浮かべていただろう。
何しろ、この世界は彼女のための大団円。用意された結末は幸福以外あり得ない場所。全てはそのための布石で、キャラクターがどうなろうとモブだから知らんぷり。
自分の道を決定とする材料でしかない。
「これは……薄気味悪い怪文書だな。吾輩、この日記とやらの思念に当てられて具合が悪くなってきた。娘も気をつけろ」
一緒に覗き込んでいた閣下が、後退りする。
わたしも日記から手を離し、目元を揉む。頭痛がしてきそうだった。
(でも、わたしにも分かった。ここは、ただの異世界じゃないのかもしれない)
誰かにとって、ここは最愛の物語世界なんだ。
ああ……と、わたしの心がうめく。
(だったら、今もこの世界には現在進行形で主人公がいるかもしれないんだ……)
よく考えなくとも、デミオンは出来過ぎてる存在だ。あからさまでパーフェクト過ぎる。属性が過積載で、オーバーキル気味なのだ。
また、元ネタは知らないが、続編がある可能性は捨てきれない。
(……彼はきっと相手役だ。誰のためなんて分からないけど、そんな気がする……)
ならば、まだ見ぬ誰かがわたしを排除しようとしてもおかしくない。
(そうだよね、通行人が相手役とくっつくなんて、誰だって許さないよ)
わたしはぎゅっとする胸に手を当てる。自分が恨まれる理由は明白だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
そんな感じで、デミオンママの暗黒日記の話でした。
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