45「デミオン様は、わたしの不自然さに気がついていたんですね」
「俺の母が、その異界渡りとはどういうことだ?」
「そのままの意味だ。それ以前に、異界渡りとはどんなものか分かっているのか」
閣下の言葉に、わたしは言葉を続ける。
「こちらの世界ではない世界で生きた者が、転生したということですね。その前世、つまり以前の記憶があったり、それが人格にも影響があると、そういうことでしょう……閣下?」
ばらしたくない。だけど、もう無理だ。
わたしの一番の秘密、誰にも伝えていない秘密。ここではないどこかで生まれて死んで、こちらに転生してきたこと。
「そうだ」
閣下が肯定する。
「それはつまり……」
わたしは腹を括る。呟くデミオンを見た。
本当は土下座するべきなんだろう。だが生憎と、今の体ではできない。けれども、わたしは精一杯頭を下げる。
ぎゅとした両手が震えた。打った背中が無理な姿勢で痛む。だがわたしの心は違う痛みを恐れていた。
怖いなと思う。今までだって怖いことは沢山あったのに、今が一番怖い。
全部知られたら、どうなるんだろう。
(なるようにしかならないよ!)
そうだ。
なるようにしかならない。だから、彼に全部説明しなくては、それがわたしに不利だとしても仕方がない。
(……軽蔑されたらどうしようかな)
考えただけで苦しくて、きゅっと唇を噛む。かわりに涙は零さない。わたしは、こんなことで泣ける女の子じゃないから。
(……そうだね、わたし可愛くない子だ。愛想尽かされるのも仕方がない、か)
特別なデミオン。
そして、わたしも普通じゃない。
普通ではないのに、普通のフリをしてきた分だけ、わたしの方がずっと卑怯だろう。
「デミオン様、ごめんなさい。わたしは貴方へ秘密にしてきたことがあります。本当はここではない世界で生まれた記憶があり、今のわたしもその影響を受けています」
「ですが、それは俺に謝ることではないですよね。俺こそ貴女に伝えていないことが多くありましたから」
その言葉に、わたしは頭を振る。
「わたしは、デミオン様の境遇を多少は知っていました。その上でお声がけしましたが……そこに、打算があったのです。その……前世のわたしもよく物語を読んでいたんです。それらには種類があるのですが、わたしはよく継子虐めものを読んでいました。不遇の主人公が、やがて幸せになる話ですね。デミオン様はまさにそれらの物語の主人公のようであり、だからわたしは貴方を……」
「俺を選んでくれたんですね」
こくりと頷く。
「わたしは物語の登場人物のようなデミオン様だからこそ、お声がけしました。そうして、物語通りならばきっと彼は素晴らしい人だと決めつけて、思い込んで、貴方を見ていました」
「そうですね、どうして貴女が俺を選んだのか、不思議ではあったんです。俺も貴女も見ず知らずの他人だ。噂で俺のことを知っていたとしても、どうしてだろうと思いました。何を考えているか分からなくて、警戒もしていましたね」
その返答に、わたしは乾いた笑いを漏らす。馬鹿な自分を笑う。
(ほら、彼は既にわたしを見透かしていた)
「そうでしたか……デミオン様は、わたしの不自然さに気がついていたんですね」
「ええ」
彼に肯定されてしまった。
そうだ。わたしの行動は突飛だったろう。根拠も曖昧で、勢いだけできた。なにしろその根底が前世の記憶で、物語のお約束なんていう馬鹿げたものだ。
頭がおかしいどころではない。
「リリアン嬢、俺が貴女に尋ねたことを覚えていますか?」
何の話だろう。
「俺はね、初めて会った貴女に聞いたんですよ。俺を信じてくれるのかと。あの時、どう答えたか言ってください」
「……お任せください、と言いました」
「そうです。他にも色々言ってくれましたね。さらに最後に、運命を共にすると言ったんですよ」
デミオンの深海の瞳が、すっと細くなりわたしを捕らえる。唇が淡い笑みを彩り、まるで質の悪い花のようだ。
それとも、あちらの世で魂を欲しがる悪魔はこんな顔でサインをねだるのか。
(だったら、わたしもきっとペンを持ってしまう)
そうして熱に浮かされた選択をし、己を引き渡すのだろう。
「貴女は、貴女が思うよりもずっと善良な人間だって知っていますか? だから貴女は、俺が貴女を捨てる、或いは別れるなんて考えているでしょう」
「ですが……」
言い募ろうとするわたしの唇へ、デミオンが指を当てる。覆い被さるように、彼に迫られていた。
「前にも言いましたが、俺は性格の悪い男ですから、そんなことしませんよ。寧ろこれ幸いと貴女につけ込みます。例えば、発言の責任をとってくださいとね」
デミオンが唇を寄せる。
一緒に彼の髪が流れた。わたしが寝てばかりなので結っていないからか、彼の三つ編みはどこかへちょっとしている。だが、彼自身は器用なので辻褄が合わない。
もしや、わたしができるようになるまで、わざと不細工にしているのだろうか。
それはあながち間違いではないと、すぐに知らされた。
「でも貴女は、こんな俺を好きでいてくれるでしょう?」
わたしの鼓膜へ、毒のように甘く囁くのは懇願だ。太々しいほど我儘な願いごと。
「ね──リリアン、もっともっと俺を好きになってください」
彼の息づかいが、わたしの皮膚をなぶる。他人のそれにぞくりと駆け上がるものは何だろう。距離が近すぎて、相手の体温までこちらに伝わりそうだ。
否、もう伝わっている。
だからわたしは、こんなに顔が熱いのだ。そうでなければおかしい。
去り際、その顔も俺だけのものですよ、と告げるのだって原因だと思う。
後から、そっと閣下に声をかけられるまで、わたしはすっかり使いものにならなくなっていたのだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
できる事が多いわりに、持ちものの少ない人なので、手に入れたものを手放すわけがないという話です。
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