30 「俺は特別です。誰とも違い、誰とも同じではありません」
昨日はお休みしたので、連休中は休まず更新する予定です。
「デミオン様、素晴らしいケーキをありがとうございます!」
屋敷に帰ってから、わたしはデミオンの両手を握り、ぶんぶん振りながら感謝を込める。気持ちを表すなら、思いっきり弾けてぶつけたほうが伝わるのではと考えるのだ。
何しろわたしには、あちらの記憶があるのでそこら辺の令嬢よりぶっ飛べる自信がある。それに良いご令嬢でいても、取られる時は取られるし、捨てられる時は捨てられる。
ならば、こちらからふん捕まえて離さないほうが確かだなんて、最近しみじみ思う。
「えっ……と、その、とても喜ばれたよう、ですね」
「はいっ!!」
返事は食い気味だ。
「デミオン様のおっしゃる通り、サスキア王太子妃殿下は怖い方ではありませんでしたし、とても大切なお話をしてもらいました」
「……ええと、それが、と、リリアン嬢、ケーキの話ですか?」
振り回し過ぎて両手がすっぽ抜けそうになるが、そこはデミオンだ。すかさず握り直してくれる。ちなみに、背後でジルがどうしてよいか分からない顔をしている。
ごめん。最近、よりわたしが分からなくなってきたのだろう。しかし、わたしは今後もデミオンのために戦う所存なので、ありきたりなかつてのわたしとはお別れしようと思う。
「そうです! デミオン様は、あのケーキの逸話をご存知で用意したのですよね? サスキア王太子妃殿下が感動しておりました。わたしも同じく、凄く胸がほっこりしました。あんなに素晴らしいケーキは生まれて初めてです!」
「そ、そうですか。俺も嬉しいです、から……ここではなく、場所を変えてお話をしませんか?」
「ハイ!」
元より、そのつもり。やはり食い気味でわたしは答え、彼を連れ出す。行く先は我が家の東屋。人払いすれば、あそこが一番人の耳が遠い。
どうか、わたしが貴方を口説き落とせますように。そうひたすら願う。
本日も我が家の庭は美しい。王城の庭は散策できなかったので比べられないが、一番落ち着くのはやはり自分の家の庭だ。
ジルには前回同様、ジル自身も含め人払してもらう。彼女の顔には大丈夫ですかと、心配が文字となって表れているよう。それを「大丈夫」といいきって、彼女も東屋から追い出した。
わたしは距離が近いが、東屋の椅子を動かしてデミオンと隣同士で座る。念のため拳ひとつ分の隙間を確保して、彼と並んだ。
「出かける時はとても緊張していましたが、リリアン嬢はもう大丈夫そうですね」
「これも全て、デミオン様のお陰です。改めて言いますね、素晴らしいケーキを作ってくれてありがとうございます」
そうして、再び彼の手を握る。こうやって、手から手へ気持ちが浸透したらよいのに。けれども、思いは言葉を重ねなければ伝わらない。
「あのケーキは、本当に色々な意味で素敵なケーキでした。デミオン様は、王太子妃殿下が失われたケーキを探されていたことを知っていたのですか?」
「ええ、あの方が王城の書庫で古い日記を見つけ、王太子殿下に伝えた時、俺も一緒にいましたので。それ以来、気にしているだろうと思っていました」
「当時のレシピのメモ書きも、ですか?」
「そうです。後からになってですが、偶然殿下に相談されたことがありました。だから内容は覚えていましたし、侯爵家であれこれすることによって知ることもありますから」
あれこれとは何だろう?
「リリアン嬢は……きっと厨房に立ったことはないでしょうね」
「はい、わたしは経験がありません」
「食材を調理する際、それぞれ法則のようなものがあるんです。料理人は経験で知っているのだと思います。熱を加えれば固まるもの、反対に溶けるもの、食べ物でも変化はそれぞれ違うものなんですよ」
食材の化学反応かな。わたしも詳しくは知らないけれど、卵の黄身と白身の凝固温度が違うのは知っている。だから半熟のゆで卵ができるし、反対に白身をとろとろにした温泉卵なんて物も作れるのだ。
それらは多分、料理や菓子作りへ密接に関わってくるのだろう。
「そこを覚えてしまうと、少しばかり穴があるレシピでもなんとかなります」
そうかな? そんなに簡単かな? わたしにはできそうにない話だ。
「覚えるのは大変ではありませんか?」
「そうでもないです。リリアン嬢、世にどれだけ料理をする人がいると思いますか? 俺たち貴族に仕える人間もいれば、金銭と交換に行う店もある。庶民は自分たちの食べるものを自分で作ります。味の差に大なり小なりあるでしょうが、みんなができることですよ」
ああ、こういう時のデミオンは素敵だと思う。饒舌になって語る彼は、楽しいことを話していると分かる。
声も少し違う。
「料理の書物はありますが、種類は少なく、どれも学術的な面が強い。健康や宗教的面もあり、庶民には難しい。だから俺はね、もっと楽しく身近な本であれば良いと思うんです。誰かの美味しい料理と作り方を皆で共有できるような、身分関係なく誰もが気軽に楽しめる、そんな日がいつか来るべきだと」
それは素敵な夢だ。
わたしも知っている。美味しいものは人の心を温めてくれる、最高の暖炉となると。
「デミオン様も、同じことをなさったではありませんか? 作れなくなってしまったケーキが、今日再び日の目を見ました」
失われた喜びが、もう一度息を吹き返したのだ。あのケーキを作るのに、当時どれだけ時間を費やしただろう。わたしには分からないが、けして簡単ではなかったはず。
それでも諦めず作ったのは、喜んで欲しい相手がいたからだ。その思いを、デミオンは掬い上げた。だから王太子妃殿下もわたしも、そこに込められた心へ触れることができた。
「わたしは本当に、素敵だと思ったんです。わたしは歴史に詳しくありません。でも、もしかすると、あのケーキのように同じく失われた思いがこの世にはあるんじゃないかと思うんです」
わたしはデミオンの顔を見る。その深海の瞳を見つめた。なにものも映さないのか、あるいは見え過ぎしまうのか、どちらとも分からぬ深海魚の眼差しを受けとめる。
「わたしはデミオン様のその手が、その特別さが、埋もれてしまった誰かの心を過去から今へと繋げられるんじゃないかと思っています。いいえ、信じているんです」
握った手を、強く握る。わたしの心を彼に見せられたら、簡単なのにと思ってしまう。
「……そうですね、俺は特別です。誰とも違い、誰とも同じではありません──約束された子ですから」
「でも、デミオン様はわたしのお婿さんになる方です。隣にわたしがいます。こうやって手を繋いでいられます」
「明日には離れているかもしれませんよ」
「じゃあ、明日も明後日も手を繋ぎましょう。大丈夫です、これを繰り返せば年がら年中繋がってることになります!」
わたしは握る彼の手を見せた。軽く振って、切れてしまわないと伝える。けれども、デミオンはかぶりをふる。プラチナの髪が左右に揺らめく。
「……リリアン嬢はもっと俺のことを知ってしまったでしょう?」
「精霊の愛し子のことですか?」
深海の瞳が揺れ、閉じられる。
もう、誤魔化しはしなかった。
「……まるで祝福のように呼びますね。それを知ってから、俺が幸せだったことなんて一度たりともありませんよ」
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