28 「……とても、とても素敵なケーキね」
さらさら流れる水流の音を聞きながら、わたしは出されたお茶をひとくちいただく。主催者側の王太子妃殿下が先にお茶へ口をつけ「どうぞ」としてきたので、わたしの番なのだ。
王家の方が愛飲しているだけあり、お茶が美味しい。種類にもよるのだろう。甘く爽やかな香りが素晴らしい。
「カンネール伯爵令嬢、夏の宴では常識に欠くことが起き貴女も大層驚かれたと思うわ。そして、デミオン卿を受け入れてくれて感謝しています」
カップを戻したわたしへ、王太子妃殿下がそう告げる。
「アリーシュ王女殿下はご自身に対してとても素直な方なの。だから……時々思いがけないことが起こってしまうようね」
自分に素直とは、物はいいようだ。つまり我儘姫だから周囲もついていけないことが、ままあるという。でも、まわりはたまったもんじゃないだろう。
フォローする側からすれば、自重しろといいたくならないのかな。いや、流石に言い聞かせてるよね。それでもああなんだろうと思うと、お付きの方々へお疲れ様ですといいたい気持ちにもなる。
「デミオン卿は息災かしら?」
「はい。当家で健やかに過ごしています」
「卿にはお世話になったから、王女殿下とのことは大変残念に思っていたの。でも、相性というものもあるのでしょうね」
政略結婚なら、それらは全く考慮されないので気にかけるなんて珍しい。
(そういえば、王太子妃殿下と王太子殿下の馴れ初めはなんだろう? 政略かと思ったんだけど、実は違うのかな)
考えていると、女官がテーブルに何かを置く。きっとデミオン謹製のケーキだろう。ぱっと見た限り外見は飾り気もなく、ただ焼いただけの素のままの姿。美味しそうではあるが、華やかさに欠ける。圧倒的に素っ気ない、おうちのおやつのようだ。
けれども、よく見れば断面がとても特徴的だ。これは、切らないと分からないタイプ。
そして、王太子妃殿下が目を見開く。
「あ! ……あぁ……やっぱり、あのケーキなのだわ!」
王族とは、その、あまり感情を露わにしない人たちではなかったかな。常に微笑みの仮面で何事もやり過ごす方だとわたしは思っていた。
──が、どうやら今は違うよう。
「……き、奇跡だわ」
わたしの目の前で、王太子妃殿下が感動に打ち震えている。額に手を当て「尊い」とか呟いてるのは、聞き間違いだろうか。彼女の視界に、もはやわたしは消えているらしい。
「夢?」「現実?」と、頬をつねるのは、あらゆる世界共通の仕草なのか。あ、また「尊い」がでた。どうしよう、天を仰ぎだした。
さらに手が小刻みに震えているので、完全に勘違いとは思えない。東屋内の女官もうちのジルも、物音ひとつ立てず見守るなんてなかなかやるな。
(わたしはもうすでに、動揺してるわ!)
デミオンは何を仕込んだというのだ。このケーキ、お助けアイテムで作ってくれたはず。厨房で楽しそうに何か作っていたらしいので、わたしは特に何もいわないでいたんだけど。
しばし王太子妃殿下を観察していると、ようやく情緒が落ち着いたらしい。
「見苦しい姿を見せてしまったわね」
「ぜ、全然、全然大丈夫です!」
思わず、首を全力で振って否定する。いやだって、ここは何も見ていませんのジェスチャーが必要な場面。そう、わたしは何も見ていない。見ていませんとも!
とはいえ、妃殿下は気恥ずかしかったのだろう。ふふと微笑みながら視線が逸らされる。
「……わたくし、昔から本が好きだったの」
脈絡もなく語られるのは、昔話。
「公爵家の娘なんて、形ばかり。本当はね、部屋に篭ってカビ臭い古い本を読むのが好きだったのよ。そうだったから、他家の方々には裏でアレコレ言われていたわ」
それはいわゆる、本の虫とかいうものですかね。そうか、うちの王太子妃殿下は本好きだったのか。でも頭良さそうなので、悪いこととは思えない。
(もしやここ数年、各地の郷土料理的なものが持ち上げられて、王都でも流行ったのは王太子妃殿下の影響なのでは?)
父がすごく前に、何かいっていた気がする。
(子供に本を沢山読ませるべきとかいって、孤児を保護する養育院に多くの本が寄付される名目で、施設の環境改善が行われたのも、実は王太子妃殿下の影響?)
調べれば、まだまだありそうな気がする。これが本当に本当ならば、王太子殿下は良いお嫁さんをもらったと思う。
「何しろ……珍しい本が読みたくて、わたくし城に連れて行ってと父にねだるほどだったのよ」
本当に本が好きなんだ。
(デミオンの言葉に納得だわ)
途切れた瞬間に、わたしは合いの手の質問を投げかける。
「王太子妃殿下は、その時王太子殿下にお会いになったのですか?」
「……そう、らしいの。その、わたくし、本を読んでいると気がつかないことがあって、当時も殿下のことが分からなかったのよ。恥ずかしいわ」
王太子妃殿下が頬染めると、初対面の凛とした雰囲気が崩れ可愛らしくなる。ギャップだ、ギャップ。キリッとした人の照れる瞬間というものは、微笑ましいものだ。
(これが、殿下にはイチコロだったのかなぁ……)
「そうして、何度かお声がけいただいたのに、わたくし本当に気がつかなくて……、デミオン卿が殿下のところへ案内してくれるまで、少しも分からなかったのよ」
かくして、ふたりはやっと出会えたらしい。
(だから、王太子殿下の好感度が高いわけだよ。デミオンを買っているとは思っていたけれど、お嫁さんとの出会いに関係するなら、配慮してくれるのも分かる)
「その……、こちらのケーキは当時の思い出の品でしょうか?」
おずおずと尋ねれば、微笑みのまま否定された。
「違うわ。あら、勘違いさせてしまったわね。そうじゃないのよ」
じゃあ、何なの?
「わたくしが本を好ましく思うのはね、今はもう亡くなってしまった方々も、本の中では生き生きとしているからなの。だから、彼らの好きなものや楽しんだことを読むのが楽しくて、……このケーキはその中のひとつなのよ」
王太子妃殿下が、ケーキの断面をじっくりと眺める。
「このケーキは、もう何代も前この城に住んでいた幼い王女殿下の最愛。そして、失われてしまったケーキでもあるの」
王太子妃殿下が城の書庫で見つけた、幼い王女様の日記に書かれた物らしい。幼い王女様は生まれつき体が弱く、食も細かった。だから城の料理人たちは、何とか王女様の食が進むよう苦労したそうだ。
その苦心した末に生まれたのが、このケーキらしい。
「これは本当に特殊な作りなの。実は三層になっていて、ひとくちで三種類の食感と味が楽しめるのよ」
幼い王女様が喜んでくれるよう、頑張ったのだろう。
「上から、スポンジ、カスタード、フランとなっているのが分かるでしょう。ひとつのケーキの中に複数のケーキが存在している、これは奇跡のケーキなのよ。わたくし、ずっとこのケーキが見てみたいと思っていたの」
けれども、幼くしてアルカジアの門を潜った王女の後を追うように、このケーキを手がけた料理人も不慮の事故で門を潜ることとなったのだ。
遺されたのはレシピのメモ。汚れてしまい、ところどころが不明瞭だったため、今の今まで再現されず歴史の海の中へ沈んでいたそうだ。
「わたくし、本当に感動しているの。これはね、奇跡のケーキなのよ。ここには当時必死に誰かの笑顔を願い、幸せを思い、優しさをたっぷり詰め込んだ……そう、起こるべくして起きた奇跡なの。そういう、とても素晴らしいものだから──デミオン卿に感謝しなくてはね」
わたしは、目の前のケーキを見る。
確かに、三層になっている。ふわふわのスポンジが一番上で、真ん中はとろりとしたカスタードクリーム、そして前世の世界ではプリンと呼ばれるような、口当たりなめらかそうなフランが、三位一体で鎮座していた。
きっとこのケーキを初めて目にした、今はもういない王女様はとんでもなく喜んだだろう。見たことがない、宝物のようなケーキだ。彼女のためにと、色々な人の思いの丈が詰まった、とびきりのケーキ。
(デミオン様らしい、素敵なケーキだ)
わたしは彼を優しい人だと思う。そして、人よりできることが多い分、寂しい人でもある。デミオンはきっと簡単に何でもできるからこそ、人が苦労したり努力することを大切に思っている。憧れているのだろう。
(ああ、そうか。彼はひとりでできてしまえるから、誰とも繋がれないと思っているのかも……)
人と人が織りなす輪に、自分だけは入れないのだと感じているのかもしれない。
(お馬鹿さんだな、デミオン様は)
そんなことないと、わたしは思う。
王太子妃殿下がフォークを入れたので、わたしも続く。ふわふわなスポンジにクリームがとても良く合う。しかも、ふるっとして滑らかなフランは優しい味わいで口の中でとろけていく。
(こんなにこのケーキは優しくて、温かな思いで満ちているんだから、これが作れるデミオン様だって素敵なんだ)
今、わたしの口の中には、昔の人の柔らかな心がたっぷりだ。けれどもこれは一度、失われてしまったもの。埋もれて忘れ去られてしまったもの。
(だけど、デミオン様の類稀な才能で、こうしてまた誰かを笑顔にしてくれる)
この美味しさは、きっと口にした人を幸せにするだろう。そうして、その喜びが他の人への優しさへと繋がるのではないだろうか。
「……とても、とても素敵なケーキね」
王太子妃殿下の言葉に、わたしも頷く。
「素晴らしいケーキです」
(ほら、デミオン様はやっぱり素敵な婿殿だわ)
途切れた昔と今を繋いでくれるその人が、仲間外れなんてことはない。彼だって、誰かと繋がることはできるのだ。
それを今、わたしは心の底から味わった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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