幕間 王女アリーシュ
「……デミオンはあんな顔だったかしら?」
サーカスの舞台上のふたりを見て、王女アリーシュは首かしげる。お気に入りのネックレスが胸元でしゃらりと揺れた。
自分の知るデミオンは見窄らしい男だ。大好きだった先王陛下が選んだ相手だが、もっと素敵な殿方が良かったとずっと思っていた。
やっとこの間婚約破棄をして捨てたのに、また目の前にあらわれるなんて、考えてもみなかった。兄がいうには伯爵家に貰われていったらしいので、もう見ないで済むのではなかったのか。
仮面で顔を隠したとしても、その貧相さは滲み出るものだ。考えただけで、アリーシュは嫌な気持ちになる。
(最近、そうでなくても肌のツヤが悪いような気がするのよね)
思い返してみても、デミオンは好きになれない。自分の隣に立つには色々足りない男だ。優しくはあるが、デミオンは自分に相応しくない。それに、彼の何を考えているか分からない目が嫌だった。
(まるで全部がどうでもいいって感じなのよ。このわたくしが目の前にいるのに!)
アリーシュはもっと綺麗なものが好きだし、自分が好きと思うようなものでないと嬉しくない。アリーシュが喜べないなら、贈り物だろうが婚約者だろうが、意味などないのだ。全部無価値で、要らないものだった。
だからデミオンの贈ったらしいものは、良い品でも価値などない。女官に時折苦言を呈され、渋々使っていたが、やがて贈り主が全てジュリアンの名になり本当に良かった。
デミオンは嫌だと泣いていた己に、優しく慰めてくれた彼。ジュリアンだけが、アリーシュの辛い気持ちを分かってくれた。しかも彼は、アリーシュに相応しいほどキラキラしている。髪の色も同じで、顔立ちも好ましい。
(どうしてこんなに素敵なのに、先王陛下はジュリアンにしてくれなかったのかしら?)
最初から彼だったならば、自分は泣かずに済んだだろう。素敵なものは素敵な相手が贈ってこそ、だ。それが当たり前だというのに、何故周りは分かってくれないのだろう。
「衣服を整えてもらい、兄上も少しは見られるようになったのでしょう。カンネール伯爵家も後がないので、見栄を張っているんです」
そっと、ジュリアンが教えてくれる。
「あら、あの子野暮ったい服だと思ったけど、伯爵の子なの。だからなのね。でも、後がないなんて……どういうこと?」
「カンネール伯爵令嬢は、婚約者に捨てられたんですよ。ひとり娘ですから、どうしても相手が欲しくてしょうがなかったんです」
アリーシュはにやりとした。いけない、笑ってしまいそうだ。いいや、笑ってもよい相手だった。何しろ、なんて哀れで可哀想な娘だろう。自分なら、恥ずかしくて生きていけない。
(どうしても欲しいだなんて、我儘で卑しい子。貴族になんて相応しくないわ)
だから、焼きすぎた煉瓦みたいな髪色なのかしら、とアリーシュは思う。もっと綺麗な色にすれば良いのだ。髪を染める染め粉とてあるのだから、できないなんてことはない。きっと、綺麗に着飾ることもしない怠惰な娘なのかもしれない。
王都には美しくも可愛いアリーシュの真似をする、若い娘が大勢いる。彼女らはみんなアリーシュに憧れて、髪を金色にしてふわふわの愛らしい髪型にするのだ。兄の相手の王太子妃よりもずっと、皆がアリーシュを褒め讃えるからだろう。
「まあ、とても可哀想だわ。でもあの子地味だもの、髪型も流行りではないし。捨てられるのも当たり前ね」
「きっと、精一杯頑張った姿があれなんです」
その言葉に、アリーシュの艶々の唇が弧を描く。程度が知れている残念な伯爵家の娘に婿入りするなんて、デミオンはなんと不幸で可哀想な男だろう。
いいや、これこそが罰なのだ。きっと精霊王様が彼にそれを与え、身の程を弁えよと伝えているのかもしれない。
(ほら、わたくしの思う通りだわ。お兄様が口うるさく言うけど、悪いことなんて何もないわ)
全く、自分を謹慎などさせている父と兄はどうかしている。母も冷たいし、家族なのにアリーシュのことをちゃんと考えてくれない。
そこへ、ジュリアンの滑らかな声が懇願する。必死な旋律がアリーシュを慰め、とても心地よい気持ちにさせてくれる。
「美しく可愛いアリー……兄上などではなく、どうか私を見て」
ああ、今日も彼が素敵だ。アリーシュがいないとどうしようもないと語るジュリアンに、うっとりする。
その紫の瞳が、宝玉のような輝きが、己を映してアリーシュは幸せだ。本当に幸せだった。
「勿論よ、ジュリアンが一番わたくしに相応しいもの」
けれども、ツンと少しだけアリーシュは拗ねてみせる。己は王女で彼は信奉者、愛を捧ぐ相手なのだからいうことを沢山聞いて欲しい。
もっと褒めて、愛の言葉の旋律を奏でてくれないだろうか。この国で一番愛されているのだと、示してもらいたい。
(そうして、わたくしに沢山夢中になるのよ、ジュリアン)
「アリー?」
「では、もっとわたくしに会いに来なさい。最近、少ないのではなくて」
そうだ。
このお忍びだって、久しぶり。あの宴から、ジュリアンは少々素っ気ないところができてしまった。
アリーシュの指摘に胸を痛めたのか、彼が悲しそうになる。
「陛下と王太子殿下の目がありますから、我慢して控えているんです」
「……仕方がないわね」
彼にも父と兄の手が回っているらしい。酷い話だ。
「もう……わたくし、城は窮屈であれこれうるさく言われて嫌! 早く自由になりたいわ」
そうだ、アリーシュは王族だからこそ好き勝手できない。世の中の下々の者は毎日好きに生きられて、なんと羨ましいことか。
今日だって、こんな楽しい面白いことが彼らにだけ訪れると知って悔しかったのだ。だからジュリアンにお願いした。命令した。
ジュリアンがアリーシュの美しい黄金の髪を梳く。そのまま指を絡め、恭しく唇を寄せる。
「私も自由に憧れます、アリー」
ほら、こんなことだってデミオンはしてくれなかった、と、アリーシュは思う。だからといって、あの男に軽々しく許すつもりもなかったのだが。
パチリと扇を閉じ、アリーシュは呟く。
「あの地味な子、わたくし何だか気に入らないわ。デミオンだって楽しそう。わたくしと婚約してあげたのに、全然素敵じゃなかったのに……捨ててあげたのに、あんな姿不愉快だわ。ねえ、ジュリー……」
「悪いことですか?」
「あら、悪戯よ。怖いことじゃないわ」
そうして、彼女は己に相応しい恋人へ内緒話をするのだった。
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