24 「貴女に愛される夫になることを人生の指針にしましょう」
「まず最初に確認しますが、わたしのことは好きではないですよね? 大丈夫ですよ、本当のことをお話ししても。デミオン様とは日が浅いですから、期待などありません」
これで愛してるなんていわれたら、それこそ信憑性がなさ過ぎて無理だ。ものには順番があるし、即愛されるわたし! なんて発想もなければ自信もない。ついでに過剰な意識もない。
「……では、俺が今リリアン嬢に跪いて愛を語っても受け入れられないということですね」
「それ、本気で言っていますか?」
「冗談です」
ですよね。
突然それをされても、わたしは理解できないだろう。
デミオンは居住いを正し、改めてわたしを見る。思ったよりも普通そうだ。彼は随分とタフな人なのかもしれない。
わたしは釈然としないが、突っ込んでも誤魔化されそうな気がする。
「ですが、リリアン嬢。俺は貴女が好きですよ」
「デミオン様、好きには種類があります。全部が全部同じ意味ですが、向ける感情が少しばかり違うと思うんです」
「……そうですね、リリアン嬢のご指摘通りです。俺のこれは愛してるではありません。興味があるから好ましい。もっと様子を見ていたい、そういった類いです」
おう! いきなり、人扱いしない宣言をされてしまった。おのれ、わたしは実験動物なのだろうか? そもそもこちらの世界に、動物を使って実験してる人がいるのかも知らないのだが。それでもわたしは怒るつもりはない。ちょっと悲しいけれど。
何だろう。良い方面で例えるなら、夏休みの観察日記みたいなものか。アサガオの芽が出て、双葉になってちょこちょこ育っていくのを眺める楽しみは分かる気がする。花が咲くのが嬉しくて、朝起きるのを頑張ったなんていう話は、前世で見たことがある。
しかし、わたしには咲く蕾がない。人間だからね、当たり前だ。
「わたしの観察をしたいと、そういう興味があるということですね。ですが、わたしに最後のお楽しみはありませんよ」
「概ねそのような感じかもしれませんが、俺は何かが決定的に違う気配がします」
はて? それなら、何だろう。
(ひまわりの人もいたな。自由研究で太陽の方をちゃんと向いているのか調べてた子……いたような気がする)
最後に種も収穫したとか、小鳥さんにあげるのだとか聞いたことがある。……つまり、手懐けたいということだろうか?
「デミオン様は……その、わたしと仲良くなって餌付けしたい願望があるのでしょうか?」
「……そうですね、内容に心惹かれるところがあります。ですが、同時にリリアン嬢が手強そうだなということも俺は分かりました」
それは、野生動物的な意味ですか?
(警戒心が強いのは良いことだ。きっとこれは褒め言葉、うんそう!)
「俺の返答は、お眼鏡にかないましたか?」
「はい、始まりとして悪くないと思います。どうぞ、お好きなだけご観察ください」
生理的に嫌いとか、顔が壊滅的に無理とか、初っ端からそうきたらダメだが、興味が持てるならばチャンスありだ。
今までとは違う風に、わたしと仲良くしてくれるはず。
「ええ、そうさせてもらいます。俺はリリアン嬢へ婿入りする身ですからね、貴女のことがとても知りたいです。また、叶うなら貴女と素敵な関係を築きたいですね」
「ご質問があるのでしたら大概のことならお答えしますし、わたしもデミオン様とは良い関係でいたいと思っています!」
「では俺は、リリアン嬢……貴女に愛される夫になることを人生の指針にしましょう」
「……そうですか? もっとご自分に欲張りになってもいいのでは」
美味しいものを食べたいとか、いっぱい休みたいとか、そういうものではないのか。
「悪くはないでしょう、ね」
そう長いまつ毛をぱちぱちさせて微笑み、彼は小首を傾げる。婿殿(仮)のあざと可愛いが、過ぎる! なんて攻撃力の高さ。
(こ、これは、ダメって言われても聞き入れるつもりがないタイプのネだ!)
内容はさておき、生きる目標ができたのはなにより、としておこう。
「では、愛される夫として、手始めに俺のちょっとした事情を簡単にご説明します」
そういう彼は、新たにお茶を入れてくれる。分かっていたが、その手つきに不慣れなど見当たらない。何をどうして、どうするべきかを覚えている動きだ。
「俺はご存知の通り、ライニガー侯爵家の嫡男で生まれました。ただ、生まれる前に一悶着があったそうです。父にはれっきとした婚約者がいたのですが、そこへ俺の母が割り込んできたとか」
「……ですが、その、デミオン様のお母様は子爵令嬢だったとか」
しかも、天涯孤独の身。親族のいない令嬢が、どうやって侯爵家に選ばれたのだろう。
普通に無茶苦茶な展開だ。
「ええ、そうなんです。おとぎ話みたいでしょう。彼女は俺の祖父にあたる前侯爵に大変気に入られ、見事婚約者の座を手に入れた。待望の嫡男を生む女性に選ばれたんです。だからですね、父は母を嫌っていました。母が亡くなったその日のうちに、彼女の持ち物全てを焼き払ったぐらいですから、相当です」
そ、それはコメントし難い事実だ。わたしにだって分かるのは、徹底的に嫌いだったということか。
デミオンが新たに注いだお茶を勧めてくれる。
「そして父に望まれ、後妻となったのが今の侯爵夫人となる方です。彼女との間に生まれたのが俺の異母弟のジュリアン。父はその時、大層義母を褒めていました。きっと最初から、俺を後継にするつもりがなかったからですね。祖父さえいなくなれば、後はもう父の自由だ。祖父は絶対に俺を後継にしろと、父へうるさいくらいに命令をしていましたから」
「デミオン様のお祖父様は?」
「もうとっくにアルカジアの門を潜り、天宮の揺籠に還りました。故に父はジュリアンを後継にすると決め、俺は形ばかりの嫡男になりました。義母のお願い事が増えてきたのもその頃からです。俺は沢山叶えてあげましたよ。まあ、それが余計に父の心象を悪くしたのですが」
「言われた通りにしたのに、ですか?」
「ええ、俺は父に化け物と言われてますから」
は?
え?
(今、なんて言って……)
デミオンはその整った顔で、カップに口をつける。己の入れた飲み物を優雅に味わっていた。その姿は氷像の如く美しくも冷たいと思ってしまう。
「言いましたよね。俺は何でもできるんです。本当に、嘘偽りなく全てをきっと上手くできますよ。リリアン嬢はそれをどう思われますか?」
「す、素敵なことだと思うかもしれません、また人によっては妬ましく思うでしょうね」
そんなことで、そんな感情で、実の父が息子をそんな風に呼ぶのだろうか? いや、いる。わたしのあちらの世界なら、そんな人間だっているだろう。親が必ず善良であるなんて、決まりごとはどこにもない。
けれども、それは許してはいけないことだ。血の繋がりがあろうとも、口にしていい言葉ではない。
(……デミオン様は全てを完璧にできる人間はいない、と以前言っていた)
ならば、できてしまえる彼は何者だろう? 何者だと思っているのだ。
(いいや、その答えは今出たじゃないか!)
ああ、彼の父の言葉が全て。
「そうですね。俺も心当たりがあります」
「ジュリアン様ですか?」
「睨んでましたからね、貴女を」
そうだ、彼に気が付かれないなんて、万に一つもなかった。
「リリアン嬢、俺はね──約束された子なんです」
デミオンが正面で微笑んでいた。
その造形は左右対象で、きっと比率も完璧なのだろう。まるで作り物の微笑みだ。精緻な芸術であり、失われる前の美しさがそこにある。喪失前の一瞬だ。
けれども彼は穿たれた。
鑿を突き立てられたのだ。
ほら、見る間に仮面はひび割れ、はらはらと落ちていく。残るのは彼の残骸だ。薄っぺらい笑みを張り付かせた子供がひとり、いるだけだ。
それをしたのは一体誰だ? 彼の父親か?
呪詛のように、彼が呟く。
「それだけを望まれ、それだけが俺の唯一の価値なんですよ」
世界を映す眼差しは深海のさらなる底、見えぬ海淵を彷彿させる。人は一番高い山に登れても、宇宙にだって飛んで行けたとしても、まだまだ海の底は難しい。
そう聞いた前世の話をわたしは思い出し、唇を噛んだ。
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