13 「その程度の愛情すらもらえなかった、木偶の坊かと思いまして」
(……デミオン様)
わたしも唖然としたが、アランも驚いている。思ってもみなかったのだろう。
誰ひとりとして声を上げぬ中、彼は歩み寄る。木漏れ日が、まるで光の雨のよう。ゆるりとした足を進める様は優雅に尽きた。どこかの大広間の夜会で、輝くシャンデリアの下集う高貴な存在に相応しい。
その足元は青い芝生であるはずなのに、緋色の敷物を幻視してしまう。
彼は不遇ではあったが、確かに侯爵家嫡男だったのだ。あの大貴族ライニガー侯爵家に似つかわしい、品がある。ただ歩くだけの姿であろうとも、ここにいる誰よりも格が違う。
王女殿下という輝きにより、隠されていたのだろう。
「どうされましたか。先程のやり取りの続きをしても良いのでは? どうぞ、俺になど構わずお進めください」
自然な仕草でジルと入れ替わり、わたしの傍にデミオンが立つ。何かを言付けたのか、侍女が屋敷へと小走りしていく。
「君が……そうか、君がライニガー侯爵家の恥晒しで有名な男だね」
「お見知りおきを、どなたかは存じませんが」
軽い会釈ですら指先までも美しい。深海の瞳が細められ、典雅な笑みとなす。わたしは新しい扉を得てしまった。美しさとは造形だけではない。どう体を動かすかでもあったのだ。分かっていたのに分かってはいなかった。
デミオンの所作は完璧で、髪の毛一筋から爪先まで全てを完全に己の支配下にしているよう。そうして、寸分の狂いのない動きを見せつける。
誰が本当の貴族なのかと、それだけで知らしめるのだ。
「僕を知らないのかな? 似合わぬ服の道化のくせに」
アランがありったけの侮慢を込めて、相手を見る。正直、指摘が悔しい。
そうですね、そうですよ。デミオンの服は父のだから、どうしても体に合った物ではない。だけど、お前に言われたくもない、と正直なわたしは思ってしまう。
(明日、明日絶対仕立てに行く! お母様に言って、許可してもらうんだ!! デミオンよりチビのくせにー!)
なにしろデミオンは長身だ。勿論足も抜群に長い。本当に長い。ごく当たり前に立っただけで、アランより視線が高くなってしまう。
だからこその牽制なのだろう。だけど残念、煽りはデミオンも負けるつもりはないらしい。
「もしや高名な舞台男優の方でしょうか? 恥ずかしながら俺は疎くて、卿の役柄すら思い出せません」
うわー、キラキラした笑顔で言い切った。『冴エナイ君ナンテ知ラナイヨ』っていう、文字があからさまに見えるよう。電光掲示板みたいに主張が輝いている。
これにはアランも怒り心頭に発する模様。
「ふざけるな、誰が男優ごときだと! はっ、人を碌に覚えられないクズらしい台詞だね。何だいその言い草は? 廃嫡どころか除籍された身で、ホール伯爵家の僕にそんな態度で許されると思っているのか」
「さて? こちらはカンネール伯爵家庭園ですよ。ホール伯爵家御子息様は、どうやら自分の屋敷だと勘違いされてしまう方のようですね。ならば一度、診てもらったほうがよろしいのでは?」
とんと、デミオンが自身の頭を示す。なんてあからさまなやり口だ。アランの顔が見る間に赤くなり、プルプルと震えている。
アランはくそ男だが、それでも暴力が良くないことくらいは分かっているよう。きっと物凄く我慢しているのだろう。そもそも、貴族は耐える生き物である。
みだりに感情的になっては、物事が見えなくなってしまう。そうなれば掬われ落とされる、なんてこともある。
(まあ、貴族に限ったことじゃないけど。この世界にだって詐欺師はいるし、用心に越したことはないからね)
人生の落とし穴なんて、生きる世界が変わっても消えたりしないもの。危機感はどこにいようが最高の自衛手段だ。
「君……貴族ではないくせに、その態度が許されると思っているのか! ああ、自分の卑しい立場が分からないほど馬鹿なのだろうな。哀れなものだね」
「卑しさをご存じないのは、卿ではありませんか? 俺は生憎と今は鏡を持っていません。申し訳ありませんね、卿へ正しい認識をお伝えしたくとも、そのお姿を映してあげられないようだ」
「お前!」
「別れた女性に縋ろうなど、みっともないことこの上ないですよ。それとも見下しても良いと思いましたか?」
デミオンが一歩前にでる。
そうすると、余計アランとの身長差がハッキリしてしまう。アランにも分かるのだろう。噛み締めた奥歯の軋みが、こちらにも聞こえてきそうな顔だ。
デミオンが覗き込むようにして、彼に囁く。いいや、覚えの悪い生徒へ優しく諭す家庭教師のよう。
「若くて可愛らしい方を選んだというなら、それで卿は我慢すべきだ。欲張った犬が川に肉を落とすようなものです。吠えるべき場所を間違えれば、咥えたご馳走すら失いますよ。子供向けの寓話の定番でしょう。それとも、卿は寝物語に聞かせてもらえませんでしたか?」
「何の話かな?」
「伯爵家の次男なんて、嫡男の代わりの部品で末子のように愛でられる人形にもなり得ない。その程度の愛情すらもらえなかった、哀れな木偶の坊かと思いまして」
「ふざけるなっ!!」
「デミオン様!!」
アランの拳がデミオンへと向かう。直後、わたしの叫びが庭に響いた。
目の前でデミオンが倒れた。ドッと地面が揺れる。
よほど強かったのか、それとも慣れていなかったのか。自らの勢いのまま、アランも足をもつれさせた。デミオンに馬乗りになるかのよう、身を崩したアランの様子にわたしは後退りした。
「これは一体、何事だ!」
計ったかのように丁度よく駆けつけてくれたのは、使用人を連れてやって来たお父様、その人だった。
「ちが、違う! 僕は何もしていない!」
「お父様、デミオン様がホール伯爵令息に殴られたのです。暴力なんて信じられない。酷いわ……」
涙声で、わたしはふらつきながら父に報告する。一目見て状況を理解した父の顔は、いつになく険しい。
「ジル、リリアンに付いてくれ。他の者はデミオン卿を助けるように。誰か、すぐにバーク先生に連絡をしなさい」
「やめろ! 触るな! 僕は何もしてないんだ!」
我が家の使用人たちが、アランからデミオンを助けだす。その間、アランは何度も違うと叫ぶばかり。けれども、父の彼を見る目は冷たいもの。表情も、常の柔らかさが削ぎ落とされていた。
後ろを振り返り、追いついただろうアランの父親に問う。
「ホール伯爵、御子息にはどのような教育をされています? 他者へ暴力を振るい、しかも随分と我が屋敷内を彷徨ったようだ。常識では考えられませんよ」
「これは、なんらかの手違いがあったと……。アラン、お前部屋を出てから何をしていたんだ!」
「父上、これは誤解なんです。そもそも、僕はあの男にハメられたんだ! コイツです! 王女殿下に捨てられ、貴族でもなくなった。奴が僕に生意気なことを言い、偉そうな態度をとるから悪いんだ!」
息子の言い分に、一理あると思ったのか。それとも、夏の宴の騒ぎを覚えているのか。まず後者だろう。ホール伯爵がまじまじと、デミオンを見る。
爵位もない、実家から捨てられた若造ならば上手いこと誤魔化せると思っているのだ。でもそんなわけがない、それは楽観が過ぎるだろう。殴られ損なことを、わたしの婿殿(仮)はしない主義だ。きっと!
デミオンに駆け寄り、わたしは介抱をする。そうして、気が付いたように金縁の封筒をわざとらしく掲げてみせる。
「デミオン様、とても大切なお手紙が落ちたようですわ。殴られた際に、落ちてしまったのね」
さあ、よく見るといい。
この封筒のエムブレムは、一体どなたのものだったか。この国で知らぬ貴族は誰もいまい。
途端、ホール伯爵の顔色が変わる。カメレオンよりも素早い変色だ。デミオンが元は誰と婚約し、故にどういった方の覚えがあるかしっかり思い出してくれた。
「……こ、この大馬鹿者!! ……カンネール伯爵、この度の件内密のものとして欲しい。後日、改めて謝罪させてくれ。この愚息は我が家できちんと罰を与える。約束しよう!」
それから、思いついたように付け加えた。
「そうそう、先ほどの話し合いだが、是非金額を上乗せさせて欲しい。御息女には、愚息が大変な失礼を働いた。その気持ちを受け取って欲しいのだ」
「……娘への侮辱に金額など付けられるものではないが、感情的になってしまってはどこかの暴力者と変わらない。日を改めてまた話し合いましょうか、ホール伯爵。ただし、御子息は抜きにしてくれ。娘にも、二度と近づいてもらいたくはないね」
「勿論、大切な御息女に愚息を近づけさせません。暫くは外に出さないようにします。アラン、分かったな。お前は謹慎だ。そのどうしようもない性根を反省しろ!」
「……そんな」
暴れるのもやめて、呆然とするアラン。へたりと座り込む。足の力も抜けてしまったのか。
「全く、お前には失望した。顔も見たくない! 我が家に傷をつけおって……この失態どうするつもりだ」
顔を伏せたまま、元婚約者殿は言い訳すら失っていた。
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