11 「どこにいるのかと考えていたから、迷って正解だったよ」
やっと刺繍からの解放だ。
テーブルに広げられていた刺繍道具を片付けて、うちのメイドがお茶を給仕してくれる。結局、本日中には終わらなかったわたしの刺繍。分かっている。わたしはわたしの実力を知っているので、分かっていますよ!
「リリアン、今からふたつほど真面目な話をするわ」
「はい、お母様」
改まって母がいうので、わたしも背筋を伸ばす。
「お父様は貴女に伝えないよう言っていましたが、わたしは伝えた方が良いと判断しました。落ち着いて聞いてほしいの。実は本日午後より、ホール伯爵方が我が家においでになってます」
では、きっと彼も来ているのだろう。
「我が家は特にホール伯爵家とは婚約以外に繋がりがありません。特に今回の場合は話し合いに当事者同士、顔を合わせる必要もありません。とはいえ、万が一屋敷内で鉢合わせるのも好ましくありません。ですから、貴女を刺繍に誘いました」
「ありがとうございます、お母様」
「もう一点は貴女だけではなく、デミオン様。貴方にも関係することです。当家へ、チルコット公爵家から手紙が届きました」
「王太子妃殿下のご実家ですね」
「ええ、デミオン様。ですが、中は王太子殿下と王太子妃殿下からの封書が二通ありました。多分、デミオン様の現状を考え公爵家の名を使ったのでしょう」
「俺の襲爵に関する話でしょうか?」
「王太子殿下はそうかもしれませんね。こちらに手紙が、どうぞご確認ください」
母がデミオンに金縁のある封筒を渡す。くっきりと型押しされているのは王家のエムブレムだ。
「王太子妃殿下からの手紙は、リリアン、貴女への非公式のお誘いよ」
「わ、わたし……ですか?」
「ええ」
「王太子妃殿下は、きっとリリアン嬢へ何かお話があるのでしょうね。多分王女殿下のことだと思われます。俺が覚えている通りでしたら、サスキア王太子妃殿下はアリーシャ王女殿下と仲がよくなかったはずですから」
王太子妃殿下とか、わたし本当に遠くからしか見たことない人だよ。王太子殿下と同じような金髪に、古き良き美人といった顔立ちの方だ。王女殿下のようなふわふわさはないが、微笑んでいる姿はとても上品で優しそうである。
王女殿下と仲が悪いとは知らなかった。お嫁さんと妹の仲が悪いなんて、王太子殿下も大変だ。
「そこでね、リリアン」
ああ、また良くない笑顔の母にわたしは緊張しかない。
「王太子妃殿下に折角お誘いいただいたのだから、良い機会です。約束まで半月ほどあります。それまでにマナーを総ざらいしましょう。不敬となってはいけませんもの」
「そ、そうでしょうか」
「そうですよ、リリアン。デミオン様もその間、当家のかかりつけ医バーク先生に診てもらいます」
なんてことだ。いや、不敬になって大事件となるよりは良いんだけど。断るわけにも、逃亡するわけにもいかない。
「分かりました、お母様」
やだなぁ……偉い人と会うの。楽にしてといわれても、身分が下だと絶対楽にならないし。
(マナー頑張ろう。もうそれしかやることが思いつかないよ。妃殿下は知的な美人さんっぽいし、お馬鹿さんだと思われないようにしないと)
「リリアン嬢、当日は俺も登城します。途中まではエスコートできますから、大丈夫です。サスキア王太子妃殿下は朗らかな方です、ご安心ください」
「ありがとうございます、デミオン様」
だけどな、全然安心できません。王太子妃殿下がめちゃくちゃ良い人だと、祈るしかないね。
デミオンは、母にも刺繍を贈ることにしたらしい。最後に刺した作品を、とりあえず刺繍枠ごと渡していた。飾るための額は後で職人に作らせるとのこと。
母は勿論喜び、お礼にデミオンへ刺繍道具一式を贈ることにしたそうだ。母は家で刺繍話をできる相手が現れ、嬉しいのだろう。わたしがその辺不甲斐ないばかりに、デミオンにお任せしてしまった。
我が家の婿殿と姑関係は、とても良好そうです。
迎えに来てくれた侍女のジルを連れて、わたしは先に部屋を後にする。ホール伯爵とアレの鉢合わせを母は心配してくれたし、父はそもそも存在を秘密にしてくれた。わたしは娘として、とても愛されている。
どうしてこんな当たり前のことが、誰にでも平等に訪れないのだろう。前世でもそうだ。あちらでも親は子供を選べず、子は親を選べない。欲しくないという親がいれば、どれだけ努力しても望めない親もいる。
かつてのあちらのわたしの親も、良いとは思えない存在だった。父は優しくなくて、わたしや母を見下し己の優位性を守るような人間。母は普通に優しかったが、父とわたしなら常にわたしが折れるように促した。その場しのぎで正否など関係なく、わたしだけが我慢するだけの平穏を大切にしていた。
あちらのわたしは、もっと普通の親のところが良かったって、ずっと考えていたな。
(その願いが、今叶ってるんだよね)
わたしがデミオンを婿に選んだのは、この記憶も関係あるんだ。こういう親は嫌だし、都合良く使われているのが前の自分みたいで許せなかった。
廊下を歩きながら、窓を見る。
ささくれた心へは自然の緑が癒しになる。森林浴はストレスに効くんだったかな。うちの庭も広いから、解消できるぐらいの癒し効果あるよね、きっと。
「ジル、わたし庭が見たいわ」
「では、日傘をご用意しませんと。今すぐにお持ちいたします。少々お待ちください」
「お願いね」
「リリアンお嬢様こそ、以前のように勝手に庭へ出られないようお願いします」
「……はい」
ジルに忠告されて、わたしは頷く。日傘をさしてしずしず歩くのはとても令嬢らしいのだけど、わたしは苦手だ。あちこち駆けて行ってしまいたくなる。多分、前世の感覚が残ってるからだ。
同時に、こちらでの美白が大事という価値観も分かる。
大陸の方には、反対に日に焼けている姿が魅力的とするお国柄もあるらしい。この国に住んでいると、海の向こうの大陸とは関わることもなく終わる。ごく一般人ならば、大陸に行くこと自体まずない。
大陸はこのソニード国と暦も異なる。信仰の対象も違い、精霊王ではない別の存在があるという。だから恋愛観も異なり、もっと自由な男女のお付き合いがあるらしい。
その影響で婚約破棄や離婚も多いと、本当か嘘か分からない話も聞く。造船技術の発達に伴い、我が国との貿易も盛んになりつつある。それにより昨今は、大陸風の考えが入ってくるようになった。
若いと目新しいことに興味が向くので、わたしの元婚約者みたいに感化された人もいるだろう。
けれども、破棄を体験した身としてはこの国の恋愛観の方が好きだ。
廊下から見える窓には、青々とした木々と手入れされた花々が季節を謳歌する。夏から秋まで、特に我が家の庭は一番美しい時を迎える。
日差しに強いポーチュラカの小さな黄色の花弁の群れに、細長いラッパ型のアガパンサスの青が見事な対比になっていた。木陰となる場所では百合が咲くし、アーチ型に整えられた蔓薔薇も満開だ。貴族の庭では百合を植えるのが定番らしい。
ここでは百合も薔薇も青や緑、黄色が標準だ。稀に赤っぽい薔薇もある。ただ赤い百合だけは見たことがない。ピンクまではあるが、真紅の百合は品種として存在しないのか、聞いたこともない。
また、白い百合も別格だ。
純白の百合は、精霊王の愛でる花という言い伝えがある。その逸話にちなんで最愛の相手に例えたり、想い人を称える時にも使われる。婚約者や夫婦で贈り合う精石の装飾品のモチーフとしても、百合がよく選ばれるのだ。
そして伝説上の花でもあり、実物を見ることはまずない。大聖堂の聖域で唯一現存し、真っ白な花を咲かせているのだと秘めやかに語られるのみ。
(大陸では反対に、青い薔薇が決して咲かないなんて……ちょっと不思議だよね)
天候や季節、土壌の違いではないのだ。一部の花木は信仰する存在に影響されるらしい。それを誰もが不思議に思わないのも、ここが前とは違う世界と感じる箇所だ。
「……げっ!」
淑女らしからぬ声を出してしまった。
思わずわたしはジルを待たずに外へと続くテラスを抜け、庭へと降りる。何しろ、いないはずの人がいる。
どうして人の家の庭にいるの、この人。しかも裏庭はプライベートスペースで、客人が入り込む場所じゃない。もう帰ったのかと思ってました。
いい年して伯爵とはぐれたの? 迷子? クソ男のアラン・ホール伯爵令息さん。
「こんにちは、ホール伯爵令息。迷われましたか? お帰りはあちらですので、案内の者を呼びますね」
「……ああ、今戻るところなんだ。でも君の顔を見なかったし、話し合いの場にもいないなんて薄情だなと思って。どこにいるのかと考えていたから、迷って正解だったよ」
いや、不正解でしょ? 人様の家の中彷徨っているなんて、ただの不審者ですよ。それ以外の何があるっていうんですか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
最近やっとデミオンさんとジュリアンさんについて、分かってきた感じです。書くたびに、ぼんやりだったキャラクターがくっきり浮かび上がってきて、楽しいです!
この作品を気に入ってくださった方は、感想やいいね!、ブクマや広告下評価【★★★★★】等でお知らせいただけますと嬉しいです。