10 「お母様、その会では何をするのですか?」
いつもありがとうございます。
主人公の苗字を昨日の午後より、カーネルからカンネールに変更しました。
「あらあら、ふたりはとても仲良しさんね。わたしも嬉しいわ」
母の笑い声で、わたしはハッとする。しまった、ここはふたりきりではない。母がいる! なんて気恥ずかしさだろう。
アレだよ、アレ! 前世で学生の頃、部屋を掃除してくれたのは嬉しいけど、ベッドに置いていたちょっと際どいシーンのある漫画を見られた時と同じヤツ。
恥ずかしくて、母にありがとうをいえなかったのを思い出す。
「デミオン様は本当に凄いのね。同じ言葉の繰り返しになってしまうのだけど、その刺繍見事なものね。見覚えがあるわ、とても珍しい刺繍でしたので。確か北西部にあるという、とある地方の伝統的なものではなくて?」
「伯爵夫人の仰る通りです。北西部の一部の方が今でも続けられている、伝統的な刺繍です。カットワークが非常に繊細で、本物のレースと変わらないんです。最初に、この技法を生み出した方は天才ですね」
最初に刺した刺繍を指でなぞりながら、彼は呟く。その眼差しは少しだけ、眩しいものを見つめるようだ。
「何かを生み出すのは、俺が想像するよりもずっと途方もないことなんでしょうね」
「ええ、余人では思いもつかぬ苦労があったはずですわ。今日は素敵な作品の拝見が叶って、嬉しい日ね」
わたしは渡されたハンカチを改めて見る。このハンカチはわたしが思っている以上の価値があるのだろう。
わたしの目に映るのは、とても美しいレースの如き刺繍だ。わたしのへっぽこな刺繍とは似ても似つかない、本職レベルの物。さらに貴重な伝統品らしい。
(でも、どんな物だろうとデミオン様が贈ってくれたハンカチだからね。これはわたしの宝物!)
そこには市場価値も関係ない。わたしを思ってくれた相手が贈ってくれた、手作りの品物なのだ。
ほこほこした気持ちでハンカチを畳む。これに見合う物にはならないが、わたしの気持ちを込めた刺繍を頑張らなくては。
あんまり待たせるのも悪いので、ここ暫くは刺繍を続けよう。
そうこうしている間も、我々の刺繍は続く。主にデミオンが凄い。違うタイプの刺繍を始めている。今度は落ち着いた色使いながらも、絵画のような作品らしい。
サイズは小さいが、飾っておきたいほどに絵柄が素晴らしい。デミオンは絵を描いても一角の才能がありそうだ。万能かな。
「リリアン。貴女は、秋になれば大聖堂で行われる刺繍展の、ここ数年ずっと最優秀に選ばれている方を覚えているかしら?」
「…お母様。わたし、そちらは存じておりません」
大聖堂とは、精霊王の聖域を守る場所。もしくは信仰のための建物だ。精霊は人の前に姿をはっきり表さない。人が見ることを許されているのは、その身から漏れ出る光のみ。淡い光の塊だとされている。そのため、大聖堂には巨大な美しいサンキャッチャーみたいな物が飾られている。そして、大貴族や王族の冠婚葬祭に使われる場所でもある。
その大聖堂の刺繍展はわたしも知っていた。毎年行われており、国中の刺繍自慢の方々の素晴らしい作品が勢揃いする催しだ。見応えがあり、入賞作品は圧巻である。
本来は精霊王に捧げるためのもの。けれども、一般公開されるようになり、人々の投票が行われるようになったと聞く。最優秀に選ばれた作品は大聖堂で公開された後、一年間大聖堂の特別な場所に飾られるらしい。
とにかく、とても名誉なこと。
だが、わたしは受賞者に興味もなく、また刺繍にも興味が薄く、全く覚えていない。母はその様子に、ニコリとした。あ、これは良くない方のニコリだ。
「貴女は未婚だからと、少し甘やかしてしまったわね。たとえ刺繍が苦手でも、こういうことは覚えておくものです。いえ、寧ろ苦手だからこそ覚えておくのですよ。大聖堂の刺繍展は大変名誉なこともあって、貴族のご婦人方も沢山参加されています。どれがどなたの作品なのか、どのような作品なのか、それだけでも頭に入れておきなさい」
「はい」
「婚姻後の社交で、困ることになるのは貴女自身なの」
そうです。貴婦人の教養で名誉であるならば、それは大事な話題。誰もが覚えて当然のことになる。まして、刺繍は恋人、婚約者、家族といった近しい相手に贈ったりもする。これは貴族以外でも同じ。
精霊が好むのは一途な想い。つまり人の真っ直ぐな気持ちだという。だから皆、精霊術に関係なく思いを刺していく。この思いがもしもの時、大切な人の助けになれば良いと願って。
階級問わずして、共通できる話題のひとつだ。
「ここ数年続く最優秀は、俺の義母であるライニガー侯爵家夫人の作品ですよ、リリアン嬢」
あれ? あれれ?
「そうなのよ。もう六年にもなるかしら、ずっとライニガー侯爵家夫人が最優秀なの。リリアンもきっと見たことがあるわ。それはもう見事としか言いようがない作品なのよ」
「あの……お母様。それは、その」
「侯爵夫人の作品に関しては、大変心ない噂があるの。誰が言い出したのか分からないわ。でもそれによると、侯爵夫人ではなくて、別人に命じて作らせたんじゃないかっていう話よ」
「そうなんですか、伯爵夫人?」
デミオンがごく当たり前に尋ねている。対して、母は面白そうだ。
「仕方がないの。ライニガー侯爵夫人は、刺繍に関する話題をふっても答えられないのだとか。刺繍を大変好まれるご婦人方の会があるのだけど、何度侯爵夫人をご招待しても無視されるんですって。先々代の王妃陛下のお声がかりでできた伝統ある会ですのに、残念なことよ」
「お母様、その会では何をするのですか?」
「あら、刺繍愛好家の会よ。決まってるじゃない、皆さんで刺繍を楽しむのよ」
つまり、実演公開する会なのだ。
それは、それは出席できないんじゃないかな……うん。
「義母がたまに面倒なことになる理由が分かりました。感謝の代わりにひとつお伝えします。今回、侯爵夫人は出展できないかもしれませんね」
「まあ、それはお気の毒」
「それとも、今から頑張るかもしれません」
「あら、でも夫人はいつも大作をご用意してるから、なかなか厳しいんじゃないかしら」
「刺し手が多ければ、間に合うんじゃないでしょうか」
「ではどんな作品ができあがるのか、楽しみにしているわ」
ホホホとふふふが重なり合う。わたしはちまちま針を進めながら、今年の刺繍展の波乱を思った。
(いやー、もう、怖いわー)
っていうか、侯爵夫人ズルしたらダメじゃないですか。そんなことして見栄張っても、結局はバレてるし。
一部のご婦人方からハブられてるのでは、侯爵夫人。
(わたし、もうちょっと刺繍を丁寧にしよう。下手だけど将来のわたしのためにも、これ必要な技術だわ)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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