第九十三話 私はここからが本番だから
リディア邸に入って案内されたのは、リディア夫人の時とは打って変わって簡素な客間だった。何度か訪れても一度も入った事の無かった部屋で、上品さは忘れずに、けれど花の一輪もない寂しい部屋。
「急な提案で申し訳ありませんでした。どうぞお座りください」
挨拶なんて最低限で、気品だけを漂わせる椅子に座るよう促される。目の前で社交辞令ばかりの笑顔を浮かべているリンクが、私の隣にいるサーレを一瞥した。ちなみにクレイグ達は別室で待機中である。
「サーレ、大事な話があるから少し立ってもらえるか?」
「え?でも、それだと二人っきりに…」
「すぐ終わる。わかってくれるよな?」
サーレの顔が少し引きつったから、おそらく今のリンクの顔は仮面なんだろう。対他人用の顔を大事な人に向けられれば、誰だって少しは傷つく。
「あとで三人で話しましょう?サーレ」
「姫殿下……わかりました。じゃぁ、失礼します…」
素直に席を立ってくれたサーレに一つ安心して、扉の閉まる音をジッと待つ。なんだかサーレの足音にさえ気を配ってしまったから、扉の閉まる音が響くと一瞬だけ肩の力が抜けたような気がした。サーレがいなくなれば残るのは当然私とリンクだけで、リンクは静かに言葉を紡ぎだす。
「直接申し上げます……貴女は何がしたいんですか」
初めて会った時の暴言なんてどこへやら、私を見据える姿は完全に小伯爵のものだった。だけど、瞳の奥に揺れる不安とか、そういうものが隠しきれていないのも事実で、戸惑っているのが丸わかり。まぁ、リンクの方から言い出してくれたのは有難い。
「どうしてそんな事をお聞きになるんですか?」
「……母の様子がおかしくなった、と言えば、おわかりいただけますよね」
「おかしくなっただなんて、お母様に使う言葉ではないでしょうに」
少しはぐらかしてしまえば、苛ついたのがすぐにわかった。多分リディア夫人とリンクは似ている。似たもの親子というやつで、それ故に行き違いも多いんだろう。
リディア夫人の時は私から仕掛けたけど、リンクはまだ若い分、自分から仕掛けてくるところがあるみたいだ。
「そんなに怒らないでください。……そうですね、確かに、リディア夫人とお話をしたのは事実です」
「では!」
「それでも」
いったん言葉を区切って、言葉をはっきりと伝えるためにリンクの目を見据える。私が自分から視線を向けた事で、リンクが一瞬怯んだ。
「決めたのはリディア夫人本人であり、リディア夫人はとても聡明で、母として、子を思いやれる方だと思っています」
リンクが聞きたいのは、きっとリディア夫人が意見を少しずつ変えてきている事について。
サーレが言っていたように、リディア夫人はリアンが帰ってきてもリンクに跡を継がせると言っていたから、いきなり変わり始めた事に戸惑っているんだろう。
「そんな事はわかっています。ただ、何があったのか、という事を聞きたいだけです…」
少し拗ねたように返された言葉はなんだか可愛らしくもあるが、これ以上機嫌を損ねないために素直に答える。
「特別な事はありませんでしたよ。リディア夫人は子供に目を向ける事のできる人であり、貴方の才能にも気づいていた。それだけの話ですから」
リディア伯爵とは全く違って、リディア夫人は本当にできた人だと思う。確かにリディア夫人の正しさっていうのは作られたものかもしれないし、脆いものかもしれない。けれど、その正しさと一緒に優しさと暖かみを持ってるってところは、とても人として出来た人だと思う。
リディア伯爵の場合、なんでか知らないけど子供の人生勝手に決めて、自分だけ満足する状況を作ろうとしてるわけだし。傷ついたわけでもなく、閉じこもっているわけでもないから余計に質が悪い。
「そうですか……わかりました。第二皇女姫殿下と茶会をされてから母が父と話す機会が多くなり、少し気になっていたんです。直接話を聞けて良かった」
少し心配してたけど、リンク結構大丈夫そうかも…?
私がはぐらかしても声を荒げようとはしないし、なんか落ち着いてる感じがする。リアンを前にして殺すとか言うくらいだったから、もう少し荒れてると思ってたんだけど。何かあったか、それとも元々の性格なのか。どちらにしても、これなら引き抜きの話が少しはできるかもな…。
「私からも一つ良いですか?」
そう切り出せば、リンクは不思議そうにこちらを見る。私が何か言い出すかなんて想像もしてなかったみたいで、私から会いたいって言ったの忘れてるのかな?なんて思うくらいだった。
一応リディア夫人を見たリンクの心境を確認できたような気がするから及第点には達したけど、ここまで落ち着いているなら私の本題に入らせてもらおう。
「魔道具に、興味がおありなんですよね?」
申し訳ないけど、私はここからが本番だから。
お読みくださりありがとうございました。




