第八十話 まだ良い方なのかもね
母親というものは強いと思う。自分の母親を見ていて思っていた事だし、今世でもお母様の事は強いと思っている。だけど、それと同じくらい弱くもあると思っていたり。
「色々と話を聞いてくださってありがとうございました…」
気恥ずかしそうに涙の跡に手を当てるリディア夫人の表情は、どこか晴れている。
「私は何もしていませんよ」
「…こうして何か直接的にお言葉をかけてくださる方など今まで一人もいませんでしたから。第二皇女姫殿下のような方は珍しいですよ」
褒めてんのか貶してんのかわからんな…貴族とは感覚がズレてる自覚はあるから、何も言わないけど。
「そんな珍しい人である私が話を聞いたんです。すっきりしたでしょう?」
少しふざけてウィンクなんかもしちゃったりすれば、リディア夫人はふふっと笑って「そうね」と答える。なかなかに打ち解けられたかな?
「第二皇女姫殿下といると不思議と自分の弱い部分を晒してしまいそうになるんです。出したくなかった言葉が出るというか…無理やり吐き出せと喉を突かれているような…」
「あれ、貶されてます?」
「そんなまさか」
また笑った。
なんかからかわれている気がしてきたけど、まぁ気が晴れたなら万々歳だ。正直まだ苦手意識というものは残っているけど、この人だって苦労してきた。そもそも貴族は子供の世話を乳母に任せるのが常だ。普通の母親よりも、子供の悪い部分を見ない。そう考えると、ある意味良いとこどりだったりするから、リアンのように子供が裏切りともとれる行為をするとは夢にも思っていなかったのだろう。
その点、リディア夫人はちゃんと二人の子供の性格まで把握してたんだから、まだ良い方なのかもね。
「………リアンの事は、まだ当主にするべきだとは思えません」
少し間を置いて、落ち着いたトーンで話すリディア夫人が、私の目を真っ直ぐと見据えた。
「ですが、考えてみましょう。リアンに意思があり、リンクに意思がない。この事実は変えられないのですから」
当主になる意思、それがあるリアンを当主にした方がきっと良いのだと、リディア夫人も心の隅で思ってはいるのだろう。私は一つ頷くと、にこりと微笑んだ。
「リディア伯爵家の命運が幸福で満ちている事をお祈りしております」
なんて言って、リディア伯爵には天罰でも降れば良いと思っているけど。リディア夫人とリアン、リンクにはそれなりの幸福があっても良いのかなぁ、とは思う。
とりあえずリディア夫人との話し合いには成功…だと思うので、私はこれ以上長居する気もなく、早々にリディア夫人に「それでは」と軽く頭を下げた。
「私も、第二皇女姫殿下に幸運が訪れる事、切にお祈りしております」
そう言って微笑を浮かべたリディア夫人を見て、私の鼻を爽やかな香りがくすぐった。あー、そういえば紅茶拭いてなかったっけ。……このまま良い感じで終わりたいし、素直にエスターに怒られるか。
私は気に入っている紅茶の匂いと共に、その場を後にした。
───
「私はアステア様ではなく!!!紅茶をかぶせた相手に怒っているんです!!!!」
案の定目の前で声を荒げるエスターを見て、苦笑いしかできない。
馬車に戻ってみれば別室で待機していたはずのクレイグが待ち構えていて、私にタオルを差し出して、「派手にやりましたねぇ」と呟いて。私が、なんの手出しもしてない、と反論すれば物凄く驚かれて、なんとなく気分が沈んでいたのに。
「そんな怒んないでよぉ…」
いつもの癒しエスターはどこに行ったの。
「ですから!!私はアステア様に怒っているわけではありません!!!」
「怒ってるじゃん…」
紅茶を被らせた相手のところへ今にも突撃しそうな勢いのエスターと向き合っていると、なんだか私が怒られているような錯覚に陥ってしまうのだ。いや、怒られるだろうなって予想はしていたけど。
当然、このままリディア夫人のところへ突撃させるわけにはいかない。あと、単に追求されるのが好きじゃないのだ、私は。
「おい、エスターの嬢ちゃん。そこらへんにしといた方が良いんじゃねぇか?」
私の心情を知ってか知らずか、そう声をかけたのはヨルだった。
「紅茶をかけられた事を労った方が姫さんには愛されるぜ?」
なぁ?と聞いてくるヨルに大きく頷く。うん、そうだぞ、エスター。私は追及されるより労われる方が好きだ。……って、ん?愛されるって何。
「あ、愛され!?」
どうやら私と同じ疑問を抱いたらしいエスターが顔を赤くすると、ヨルがニヤリと笑う。
「姫さんは可愛い奴の方が好きだからなぁ。もしかしたら逆の奴は嫌われるかもしれねぇなぁ」
「え、え、そ、そうなんですか…?こんなに怒ってたら嫌いになりますか…?」
「うぇ!?あー、まぁ可愛げがある方が良いけど…え、何この流れ…」
私が答えた事で、なぜか目を潤ませたエスターは「もう怒りません!」と叫んだ。
「ガミガミ言いませんから嫌わないでください!!」
どうやら私に嫌われると思ったらしいエスターが抱きついてくる。う〜ん、今日もエスター節が効いてるね…。
エスターを抱きとめながらヨルに視線をやれば、面白そうに笑っていて、遠くで様子を見守っているクレイグを見れば、何を考えているかもわからない笑顔を浮かべていた。
……ちょっとこの状況に安心している自分は、随分感覚が麻痺しているらしい。
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