第六十六話 よくわからない感情が、動く
前話に続き、リンク視点です。
女騎士団長が放った一言に、兄貴が息を飲んだのがわかった。
「どういう…意味…」
「小伯爵があんたの事、なんて言ったか知ってる?兄は身勝手な人って言ったんだよ。リアン、あの子に何したの」
それはきっと、兄を信頼しているから出て来た言葉なんだろう。なぜ、人を尊ぶ事のできるあんたが弟に嫌われているんだ、と。
信頼しているからこそ出た言葉を、兄貴は無視なんてできない。
「……リンクに家を継ぐ気がないのは知ってた。俺が家を出れば苦労するだろうって事も予想してた。それでも、探してみたかったんだよ」
語られたのは、兄が探していた「何か」の話。その何かについて話す兄貴はどこか楽しそうで、見つけられたんだという事がわかった。
「探して、見つけて。それで、戻された、ここに。帰って来て驚いた。リンクは俺を憎んでいるし、親父は俺を第二皇女様の騎士にしようとするし」
………兄貴は、親父が自分を優遇してるって事に気付いてたんだろうか。俺にできない事があると親父は「何でそんな事もできないんだ」と真剣に聞いて来て、でも、兄貴ができなかった時は「お前は剣を磨け」と真剣に告げていた。同じ真剣な言葉でも、意味が違いすぎる。それが誰のための言葉だったのかも、今なら理解できてしまうんだ。
「…リンクには才能がある。俺が素直に小伯爵になっていれば、それは今頃世間に認められて、才能を生かせる場所にいたかもしれない」
あぁ、そうだ。だから、何か辛い事があった時は兄貴のせいにした。そうすれば、俺の力不足を痛感する事も、両親が俺を見ていないって事にも気づかずにいれるから。それがいつしか、兄貴を憎む事に繋がって、兄貴を見ると自己嫌悪をしそうになって、どうにか取り繕うために物騒な言葉を並べて。
「それでも、俺は探したかったんだ。だから、あいつを置いて家を出た」
そんな理由で、と俺が感情をぶつけても、兄貴は力なく笑うだけなんだろう。それだけ、その言葉には意思が込められていて、俺の感情が入る隙間なんてなかった。
俺がどんなに叫んだとしても、兄貴は謝る事なんてしないんだろうな。
「……リアンが自分の意思を貫いたから、あの子は諦めなきゃいけないの?」
「…そうだな。母さんは一度裏切った俺を当主にするつもりがないみたいだし、親父は…」
何か口籠る兄貴が気になって、息を潜める。
「親父は、俺を騎士にするつもりだったから」
それは、きっと親父が兄貴を尊ぶ理由。親父の中にある騎士ってものが、兄貴と共鳴でもしてるんだ。そして、それは、俺を見ない理由でもあるはずで。それが俺にないから、親父は俺を見てないんだ。
無意識に体が強張って、今まで感じてきた父の違和感が脳裏に浮かんでいく。目の前が真っ暗になるなんて事はなかったけど、ただ、変に力が入って、身動きがとれなくなった。
「……何、それ」
怒りの混じった、呆れの声。
「ふざけるのも大概にしなさいよ!!」
その怒声を聞いて、体がびくついた。そのせいで、入っていた力が勝手に抜ける。
「騎士にする?結構な事じゃない、リアンは私が尊敬するくらい立派な騎士になった。だけど何?弟には見向きもしなかったって聞こえるよ、今の言葉。あんたもあんただよ!自分の兄弟が苦しむだろうってわかっててなんで何もしなかったの?自分が追い求める事で傷つく人間がいるって気付いててなんで何もしなかったの!?」
ガタリ、音がして、女騎士団長が荒げた声のまま、紡ぐ。
「人が何かを諦めるって、どれだけ辛い事かわかってる!?」
………なぜだかそれが俺の事ではないような気がして、それでも俺の事のような気がして、不思議な気分になった。
よくわからない感情が、動く。
ボロリと目から零れ落ちた涙がその感情を伝えようとしていて、それでもそれに気づくほど今の俺は冷静じゃなくて、ずるずると壁を伝って床へ座り込んだ。
あぁ、ダメだ、これじゃぁ気付かれる。騎士団長であるレイラという人も、当然兄貴も、俺の気配を察する事なんて簡単なはずだ。緊張の糸が簡単に途切れてしまった今、気づかれるのも時間の問題で。
俺は足音を立てないよう、服の擦れる微かな音にさえ気を使って、立ち上がった。
早く、ここから離れないと。その思いだけで足を動かす。勝手に出てきてしまう涙のせいで多少濡れた床を蹴って、駆け足でその場を離れた。
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