第六十三話 また、逃げる
ブラッドフォード視点、カリアーナ視点、視点なし、と続きます。
戦場には一輪たりとも咲いていない花を見つめ、やらかしてしまった失態について思いを馳せる。………本当に、やらかしてしまった。
あの母上相手に怒鳴るなんて、命がいくつあっても足りない事態だ。他人から「威圧的」だと言われるタイプの母だが、それでも本気で怒る事は滅多にない。だが今回、俺の怒鳴り声を聞いた瞬間に顔を真っ赤にさせて、「ふざけているのは貴方でしょう!!」とビンタされてしまった…。我が母ながらパワフルな人だ。
………まぁ、こちらに非がない事は明らかなので謝りはしないが。
そもそも他国の姫を息子同士で取り合えと言う母親がどこにいる。相手を好きになるという感情はそこまで軽いものなのか?
「……馬鹿みたいだ」
こんな事で拗ねている自分も、母を怒らせた自分も…弟が彼女を好きになった事にショックを受けている自分も。
母や自分の気持ちから逃げるために訪れたのが、自分を騎士として育ててくれた恩師の庭園だというのも情けなさに拍車をかけている。…リディア先生がいなくて助かった。こんな情けない姿を見せた日には、戦場から帰って来れなくなるだろう。
………フィニーティスに帰ってきてから、憂鬱な事ばかりが起きている気がする。パーティーにしても、弟の事にしても。弟がさっさと王位を継いでくれたなら、俺も心置きなく戦場を駆けられるのに、なぜか今回は長い間引き留められている。母上や大臣達ならまだしも、父上に「もう少し居なさい」と言われてしまえば何も言えない。
そんなくだらない事を考える頭に落ちてきた声は、もう聞く事のないと思っていた声だった。
「……第一王子殿下…?」
えっ、と声が零れ落ちるより先に、紫の瞳と目が合った。
───
庭園を散歩していれば、やはり目を引くのは美しい花々達。いつの日か、アステアが「姉様は花も似合うね!」と言ってくれたのを思い出して、自然と笑顔になってしまう。
一人でいるのに笑顔なのは、他人から見たら気味が悪いのかしら。…まぁ一人だから良いでしょう。
ゆっくりとした足取りで花のトンネルを歩く。花々の隙間から覗く光が暖かくて心地が良くて、最近庭師が庭のデザインについて悩んでいたから、同じように花のトンネルを作って欲しいと頼んでみようかしら。きっと素晴らしいものができるわね、と帰国してからの小さな楽しみを思っていれば、どこからか吐き捨てられるような声がした。
その声は、頭に居続けていた、あの声。
「……第一王子殿下…?」
ボソリと呟いて、一歩前に出る。するとそこにいたのは、片頬を赤くした、あの人だった。
───
花のトンネルから見えた姿に、ブラッドフォードは息を飲んだ。その姿は、あの夜見惚れた人と、同じで。
「カリアーナ姫君…ですか…?」
無垢な白雪の髪を忘れるはずなどなく、その吸い込まれそうな輝く紫の瞳を見間違えるなんてあるわけないのに、ブラッドフォードはつい聞いていた。それは、幻ではないか、と尋ねるように。
「ご挨拶が遅れました。カタルシアの第一皇女、カリアーナでございます」
慌てた様子で頭を下げられ、ブラッドフォードも応えるように頭を下げる。
すると何が面白いのか、カリアーナはあの夜の日のように微笑んだ。
「やっと、ご挨拶ができましたね」
「!…それは、本当に申し訳なく…」
あの日の自分は逃げるように弟に全てを任せてしまったのだと思うと、途端に自分が恥ずかしくなる。ブラッドフォードが視線を地面に向かって彷徨わせれば、カリアーナがまたクスクスと笑った。
「大丈夫ですよ。ご事情があったのでしょう?その後王城へ訪れても会えないものだから避けられているのではないかと思ってしまっていましたが、そうでもなさそうですし」
カリアーナの優しげに笑う表情とは対照的に、ブラッドフォードの表情は固まってしまった。姫は、王城へ何度か訪れていたのか。もしや、弟に会いに来ていたのではないかと。
「姫も、乗り気だとは…」
「え?」
「あ、いえ、なんでもありません。姫君はなぜここに?」
諦めの悪い女々しい自分が嫌になって話を変える。するとカリアーナは、小さく笑って「付き添いです」と答えた。
「付き添い?」
「えぇ。私の騎士の付き添い。その子の会いたい人がこの屋敷にいるんです」
「…そうなのですか。では、姫君は…」
「邪魔しないようにここにいるんですよ」
嬉しそうに語るその顔を見れば、騎士との仲が伺える。そうか、彼女は騎士とも分け隔てなく接してくれるのか、そう思うと、ブラッドフォードの心に優しい痛みが響いた。こんな事で希望を見つけてしまう自分も、彼女に手を伸ばせない自分も、痛々しいにもほどがある。
「姫君はお優しいのですね。私は休憩に来ていたんです。そろそろ時間なので失礼します」
また、逃げる。戦場から帰ってくるたびに称えられているとは思えない情けなさっぷりだ。けれど、彼女はそんな男の逃げ足をいとも簡単に止めてしまうのだ。
「待ってください!」
あの夜のように、ブラッドフォードはやはり彼女に振り向くしかなかった。
お読みくださりありがとうございました。
もう少し、暗い?ちょっと落ち着いたトーンの話が続くと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。




