第四十九話 美しい事だった
ブラッドフォード視点のお話です。
「兄上、どこに行ってたんだ?」
声をかけてきたのは、二年ぶりに顔を合わせた弟。
「中庭の方に少しな。お前こそどうした。いつもは人気のない場所にいるだろう」
「……俺だって多少は顔出しくらいするって。それより、母上が呼んでたよ。早く来なさいだと」
「…そうか」
行く気はない。俺の気持ちを察したのか、弟は大袈裟に溜息をつくと、「俺は知らないから」とだけ言葉を溢す。…これは、いつもの事だ。
決して母上を軽視しているわけではないが、言付けを受けた弟が一言「見つからなかった」と言ってしまえば、今の会話はなかった事になる。久々に帰ってきて早々にパーティーを開かれる俺の心労を心配してなのか、弟はいつも俺の逃げ道を作ってくれるのだ。
「……一つ、聞きたい事があるんだけど」
「なんだ?」
どこか気まずそうに口を結ぶ弟の姿は、幼少期に時折見た不安げな顔に似ていた。
「中庭で、なんかあった…?」
……その問いの正解は、弟に教えてはいけない。
「何もなかったぞ」
俺がポーカーフェイスを貫けば、弟はただ「そっか」とだけ呟き、それからもう用はないとばかりに踵を返した。
中庭での事は、夢なんじゃないかと思うほど美しい事だった。
見慣れた庭も二年もの間を戦場で過ごした身としては懐かしく、ただ思い出に浸るために噴水まで歩いていた。本当にそれだけだったけれど、そこで俺は、短い人生で初めて人に見惚れたのだ。
「第一王子殿下、こんなところでどうされたのですか?」
声をかけてきたのは、真っ赤な血とは対照的な何も知らない無垢な白髪と、特徴的な紫の瞳を持った女性。一目でカタルシアの姫君だとわかった。
俺が言葉をなくして立ち尽くしていると、姫君は一歩近づいてきて心配そうに顔を覗き込んできた。
「第一王子殿下…?」
「なんでもありません…」
やっとの思いで顔を隠すように手を動かせば、姫君は何が面白いのか微笑んで、「そうですか」と美しい声色で告げた。
「少しお話いたしませんか?」
その誘いに乗る事ができればどんなに良かっただろう。だが、生憎と俺は女性への免疫が全くと言って良いほどないし、何より女性相手に何を喋れば良いのかもわからない。最近彼女ができたと浮かれていた部下は「勢いですね!」と力説していたが、他国の姫相手に勢いでいけるはずもないだろう。
「……いえ、私はこれで失礼しますので」
段々と赤く染まる顔を見せたくなくて、心にもない言葉を吐く。姫君は力なく笑って、けれど俺が来た道を辿って戻ろうとすると「待ってください!」と叫んだ。
「第一王子殿下、あとで改めてご挨拶させていただきたいのですが、よろしいでしょうか…」
振り向けば見た事もない弱々しい手が小さく震えていて、初めて抱く感情に頭が揺れた。かろうじて思い出したのは、騒がしい部下達の冗談交じりのアドバイス。
「また、お会いできましたら、その時は」
柄にもなく口角をあげてしまった。上手く笑えていただろうか。
けれど、少し考えれば頭が冷える。
いくら母上が望んでいるとは言え、彼女はカタルシアの姫だ。何より、俺のような戦場を生きがいとする男と夫婦になってなんの得がある。王太子になるのは十中八九弟なのだから、俺の元に嫁いでくる意味などない。
だから、姫君とは、もう会う事はないだろう。
国の次期皇后として迎えるならばまだしも、王になれない戦しか脳のない男と結婚させられれば、彼女の未来は真っ暗闇だ。
「母上にはいつも通り上手く言っとくけど、多少の挨拶くらいはしてくれよ?」
呆れた様子で振り返らずに言う弟に小さく笑い、「あぁ」と声を返す。すると弟は一瞬、ほんの一瞬だけ俺の方を一瞥し、歩き出した。
「相変わらずだな、兄上は」
ボソリと呟かれた言葉の真意はわからず、俺は弟を黙って見送る。
それから自分も足を進めようと弟に背を向けた。だが、弟の足音の他に軽い、おそらくは女性らしき人の足音が聞こえ振り返れば、弟が向かう先に姫君と同じ白雪の髪が見えた。けれど瞬きをするとそこには何もなく、見間違いかと肩を落としてしまっていた。
社交的だという姫君がこんな人気のない廊下にいるわけがないだろうに。
幻覚まで見るなんて、どれだけ俺の脳裏に姫君が焼き付いているのだろう。少し怖いくらいだ。
溜息をつき、今度こそ足を進める。姫君の事は良い思い出という事にしよう。彼女に俺は釣り合わない。
そう思って歩き出した俺の背中を、弟と、もう一人。
姫君と同じ白髪の少女が見ていたなんて、俺は知らなかった。
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