第三百三話 我らの最愛
視点なしです。
「マジャ!!!」
戦いを抜け現れた姿に、マジャはハッとしたように顔を向ける。
「馬を確保でき次第カリアーナ様を連れてアルバへ向かう!走れない者、馬を確保できない者は切り捨てろ!」
それは、あまりに“らしくない”命令だった。
第一皇女騎士団の騎士団長はとても甘い人間だ。相手どころか自分にも甘いのは玉に瑕だが、決して人を見捨てない。
見捨てるはずがない。だからこそ、わかりやすい。
「はっ!」
やはり甘い人だから、その選択をするのは“らしい”と言える。
マジャは腹の底からの返事をし、馬車の馬を一匹離した。次いですぐに馬車の扉を開ければ、レイラからカリアーナのそばにいるよう言い渡されていた騎士が驚いたような顔をする。
おそらく先ほどのレイラの言葉に驚いているのだろう。確かにあの甘い団長があんな事を言うのは驚くよなと思いながらも、マジャは毅然とした態度でカリアーナに手を差し出した。
「団長がお待ちです」
カリアーナはすぐにその手を取り、悲しげな顔をして馬車を降りた。ずっと馬車にいたのだから賊を襲うフィニーティスの騎士に気づいたわけでもないだろうに、なぜそのような顔をするのかとマジャが一瞬気に留める。
それは、耳打ちされた言葉によってすぐに解決する事となる。
「ごめんなさい。私のせいね。貴女はもっと、強い人なのに」
馬車の中からでは賊の正体までは気づけないだろう。それでも、何度も守られ見てきた己の騎士の姿を見間違うわけはない。
マジャはレイラと肩を並べるほど腕の立つ騎士であり、本来このような戦闘になった場合は先陣を切って賊を斬り伏せる事も少なくない人間だった。だが今回はカリアーナが幸せになる道を考えたばかりに動きが消極的になっていたのだ。
マジャがいつものように暴れていれば、この攻防も多少は騎士団有利になっていたかも知れないほどに。
カリアーナは、自分のせいでマジャの動きが鈍くなったと思っている。さっと顔を青ざめさせ、マジャが否定の言葉を発しようとした。それは違うと、動けなかったのは自分が勝手に迷ったからだと。
けれどすでにカリアーナはマジャの手を離し、数メートル先のレイラの元へ向かっていた。
「馬に乗るのは久々だから、邪魔になったらごめんなさいね」
にこりと戦場に似合わない笑みを浮かべるカリアーナに、いつからこの方は作り笑いが上手くなったのだろうかと、レイラは思う。きっと最初からなのだ。出会った頃から、ずっと作り笑いが上手かった。
だからこそ、いつ返ってくるかもわからない手紙を待ち、少しずつ溜まる便箋を愛おしそうに見つめる表情は、作り物ではなかったとレイラは確信している。
ひらりと伸ばされたカリアーナの美しい手を、レイラは取らない。
レイラはすでに馬車から離した馬に乗っていて、カリアーナを見下げるような形になっていた。なぜ引っ張り上げてくれないのかと不思議そうに見上げてくるカリアーナに、レイラはただ微笑んで見せる。
「申し訳ありません、カリアーナ様。今回だけは、皇后様の命を優先させていただきます」
一頭の馬が一直線に駆けてくる。器用に人波を避けながら、愛しい人を攫うため。
「感謝する」
瞬間、レイラの前からカリアーナは攫われていた。風に吹かれて届いた言葉は確かにカリアーナを愛した男のもので、レイラはグッと息を詰まらせる。
「レイラッ!!!」
困惑したような、責めるような、そんな張り裂けるような声で呼ばれたのは初めてだった。どうか憎まないでほしいと思いつつ、レイラは芝居がかった動きでカリアーナを攫った馬を追う。
「カリアーナ様が攫われた!!」
ずっと鳴り止まなかった喧騒が一瞬の間に動きを止める。賊は即座に逃げ出し、騎士団は最愛の君主が攫われたと告げられ今にも死にそうな顔をした。
「賊など捨て置け!決して逃すな!」
一番足の速い馬車の馬はレイラが乗っているし、馬車を引くもう片方の馬はマジャが馬車から離れられないよう鎖で繋ぐのを、視界の端で確認している。戦場の中でも堂々としている二頭の馬を思う存分走らせてやれないのは申し訳ないが仕方ない。
レイラはカリアーナを攫った馬を追う騎士達を横目に、頃合いを見て落馬した。得意ではない魔術も用いて受け身は取ったものの、ガンっと強い衝撃を受けて地面に転がる。
体力を消耗した騎士が馬に追いつく事はない。例え同じ馬に乗って追ったとしても、戦神殿には敵わないだろう。
できるだけ早めに撤退の指示を出さなければいけないなと思いつつ、レイラは近づいてくる足音に気がついた。
「見事な落馬でした」
「ありがとう。マジャは追わないの?」
「私一人追わなかったところで気付かれないでしょう。それより、体力を消耗しているとはいえ状況判断能力がないですね、うちの団員は。そのおかげで成功したとはいえ、帰ったら鍛え直しましょう」
「ギリギリまで迷ってた人間が言える事じゃないでしょう、私も、マジャも」
痛い所を突かれたのか返事をしないマジャを、レイラが軽く笑う。
「帰ったらお叱りが待ってるだろうから、まずはそっちからだよ」
皇帝の最愛の娘が攫われたとあっては大騒ぎになるはずだ。その娘を守っていた騎士には想像を絶する罰が待っているに違いない。
けれども彼女は我らの最愛でもあるのだ。この選択に悔いはないと、レイラとマジャは穏やかな面持ちで笑っていた。
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