第二百九十八話 動揺してなるものか
視点なしです。
アルバへ向かう馬車の中。ふわりと窓から訪れた風に癒されながら、カリアーナは母ロゼッタに言われた言葉を思い出していた。
「お母様はいつも難しい事を言うわね、レイラ」
斜め向かいの席に座っていたレイラに言葉だけを投げかける。視線は窓の外を眺めるばかりだ。
「私には、とても単純な言葉の様に聞こえました」
「………そう」
カリアーナはツンっと痛くなる鼻先に気付かないふりをしながら、痛いくらいに拳を握り締めて答えたレイラに軽い返事をした。
だって気付いてしまったら、今まで堰き止めていたものが溢れてしまう。それは、決して許されない事なのだから。
「カリアーナ様、アルバへ着くまでは時間があります。少しお休みになられてはいかがでしょう?」
頑なに自分の顔を見ようとしないカリアーナを見て何か察したのだろう。レイラが提案すれば、カリアーナは緩く口元に笑みを浮かべた。
「そうね」
「一度馬車を止めて毛布を持って来させましょうか」
「必要ないわ。こんなに暖かい天気だし…」
「そう言って前に風邪をひかれたことが───っ!」
ピタリと、レイラの動きが止まる。
「……レイラ?」
思わずカリアーナが不安げな声でレイラの名前を呼ぶ。けれどレイラが笑みを見せてくれる事はなく、窓からじっと外を見つめていた。
「すみません、少し御者と話をしてきてもよろしいでしょうか?」
カリアーナを心配し悔しそうに俯いていた姿はどこかへ消え、今は皇族を守る騎士の顔つきになったレイラの言葉を聞き、カリアーナもコクリと頷く。それを合図にレイラは窓から身を乗り出して軽やかな身のこなしで御者席へ移った。
「団長…?」
御者をしていた団員がいきなり現れたレイラに首を傾げる。
レイラは団員にも笑いかける事なく、馬車が向かう先、壁岩に挟まれた川沿いの道を見つめた。
「ルートを変更する。あの道は通らないように」
「!はい…!」
理由を告げるのはあとだ。それよりも先にこの嫌な気配から遠ざからなければいけない。
レイラが感じ取ったのは、微かな魔術の気配だった。
しかも街中にゴロゴロいる安い魔術師ではなく、高等技術を持った───それこそ、国に雇われる様な高い能力を持った魔術師の気配。
魔術師は騎士にとって時に最高の味方であり、最悪の敵なのだ。知識はあれど肉体強化程度しか魔術を扱わないレイラにとっては尚のこと。過度に警戒してしまうのも無理はないだろう。
「マジャ、聞こえてる?」
『はい、どうかされましたか?』
小さな魔石が埋め込まれた通信機で最後尾を警護している副騎士団長マジャと連絡を取り、レイラが引き返す旨を伝える。するとマジャの的確な指示により一旦第一皇女一行の列が止まり、速やかに方向転換が行われた。
やはりこういう事に関して指示を出すのはマジャの方が向いているな、とはレイラの心の内である。
一言マジャにねぎらいの言葉をかけようと、レイラがもう一度通信機越しに声をかけようとした。
その時。
「っ!団長!前方に怪しい人影あり!カタルシア帝国の者ではありません!」
「!?」
御者をしている団員の報告にレイラが目を見開く。
妙な気配がする場所から引き返したばかりなのに、前方にいる?そんなバカな。けれど報告をした団員は魔道具で作られた眼鏡を装着している。それは御者として的確な判断ができるよう、視界を広くし遠くまではっきりと見通せる魔道具であり、使う前に点検済みだったため不良品という可能性もあり得なかった。
レイラはグッと奥歯を噛みしめ、前方に現れた不審者に警戒を強める団員達を見て頭を冷やした。団員が冷静に対処しようとしているのに、団長である自分が動揺してなるものか、と。
「マジャ、確認できてる?」
『はっ!すでに確認済みです!』
「わかった。前方は私が。後方をお願い」
『はっ』
方向転換した事により、魔術師の気配が強い川沿いはマジャが警護している後方。前方の不審者を警戒するのは当たり前だが、後方の魔術師から意識を逸らすのも憚られる。
レイラは思わず眉間に皺を寄せたが、息を吐くと共に思考を整理する。
御者の団員は川沿いの魔術師には気づかなかったが、前方の人影には気付いた。この事から前方に魔術師はいないと考えて良いだろう。いたとしても、川沿いに潜んでいる魔術師ほどの技量はないはずだ。
ここは森と川を繋ぐ見晴らしの良い一本道。ルートを変更するにしても、レイラから見て前方の森へは一度戻らなければならない。後方の川沿いへ戻るのは絶対にナシだ。婚約を控えているカリアーナを守りながら戦うには高等魔術師は厄介すぎる。
無理やり獣道を進もうとしたところで挟み撃ちにされていては逃げ切れるはずもない。で、あるならば。
「最悪、馬車は捨てて良い。カリアーナ様と馬一頭を必ず守り抜く事を最優先にして」
「!?」
御者の団員がありえないとばかりに目を見開く。カリアーナの馬車を任されるほどに腕の立つ騎士ではあるが、まさかこの状況でレイラからカリアーナの事を任されるとは思っていなかったのだろう。
賊に襲われた際、本来ならば騎士団長であるレイラはカリアーナの側に控え、戦いは団員達に任せる。それが一番カリアーナを危険に晒さない行動であるからだ。
だが今回は訳が違っていた。高等魔術師が隠れている後方、後方にいるはずのマジャからでも確認できるほどあからさまな前方。誘われているのは明白だ。いつもと同じ行動をすれば、かえって危険度が高くなってしまう。
「誘いに乗るのは苦手なんだけどなぁ…」
緑がかった黒髪が風に靡く。その瞳は、ただ目の前の敵だけを見据えていた。
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