第二百九十七話 理解した上で
視点なしです。
時は少し遡り、カタルシア帝国。
「えっ、お母様が……?」
カタルシアの天使とまで謳われる絵に描いたような麗しい姫君、カリアーナは珍しく目を見開いて驚いていた。それもそのはずだ。良く言えばベールに包まれている、悪く言えば出不精の母がわざわざ見送りに来るというのだから。
「やはり心配なのでしょう。このように早い出立…何より、娘を一人で行かせるなんて…」
カリアーナの御髪を整えているレイラが答えると、微かにカリアーナの口元が緩む。皇帝である父と皇太子である兄は罪悪感からなのか出発の準備をしている今も訪ねてくる事はなく、とても慕ってくれていた妹も屋敷に引きこもってしまっていると言う。そんな中で、家族の中で一番接点がなく、けれど何よりも子供である自分達に愛情を注いでくれていた母が見送りに来てくれると言うのだ。嬉しくないわけがなかった。
「皇后様の御心には敵いませんが、皆カリアーナ様には幸せになって欲しいと願っております」
「そんな顔をしなくて良いのよ。私は今、十分幸せなのだから」
暗い顔をするレイラにカリアーナは苦笑いが溢れた。きっとカリアーナがどれだけ言葉を取り繕っても皆が皆同じ顔をするのだろう。憐むような、悲しむような。
カリアーナは今日、友好国でもないアルバへ赴き、アルバの王太子アルベルトと婚約を結ぶ。
その事を誰もが快く思っていない事も、また知っている。父は娘を差し出す罪悪感に苛まれ、兄は引き留められない無力さに蝕まれ、誰よりも慕ってくれた愛しい妹は見送りにも来てくれない。そんな家族の状況を察してか、滅多に箱庭から出てこない母が見送りに来る。
きっと自分が結婚する時は、家族は皆揃って祝福してくれるんだろうと思っていた。過保護な父と兄の事だから、どんなに大臣達に急かされたって婚約者は吟味してくれるだろうし、妹も納得した相手なら背中を押してくれると。あまり外に出ない母だけれど、結婚式には出て欲しいから妹と一緒に説得してみようかしら。相手も見つかっていない時から、そんな甘い未来を想像する事があった。
「カリアーナ様…?」
鏡越しにレイラが心配そうな顔をしているのが見え、カリアーナは慌てて「何?」と答える。
「顔色が優れない様子だったので…」
「緊張しているのかもしれないわね。だめだわ、せっかく未来の旦那様に会いに行くんですもの。ちゃんとしなきゃ」
婚約しに行くと言ってはいるが、アルバ側の様子を見る限りでは帰す気はさらさらないとわかっている。使用人に対しても分け隔てなく穏やかに接してくれる皇族の面々が重い顔をしている事で、使用人達もなんとなく察している事だった。
「カリ───」
「ねぇ、やっぱり早いうちに出た方が何かと良いと思わない?」
レイラの言葉を遮りカリアーナが言う。それは暗に「早く支度を済ませたい」と言っているようなもので、カリアーナが滅多にしない言動だった。それだけでこれ以上の言葉は不要と突き放されたのだと理解したレイラは一言「はい」と答えると、また御髪を丁寧に整え始めた。その手が震えている事にお互い気づきながら、何も言わないまま。
───
「随分可愛くしてもらったのね」
久々に会った母の優しい声色に、カリアーナの表情が無意識に緩む。レイラが一歩下がって控えると、あっと気づいたようにカリアーナが頭を下げた。
「私は娘を見送りに来たのよ」
「!……はいっ」
満面の笑みでカリアーナが返せば、母ロゼッタも優しい微笑を浮かべた。母娘の見送りに、堅苦しい挨拶などいらないだろう。
「まさかお母様が来てくれるとは思っていませんでした」
「あら、私が薄情な母親みたいじゃない」
「意地悪を言わないでください…」
「ふふっ、ごめんなさいね。本当は近々お茶会に誘うつもりだったのだけど、こんな事になってしまったから私もびっくりしたのよ。いきなり婚約だなんて…」
お母様にしてはわざとらしい話し方だわ、と小さく驚く。ロゼッタほど情報に精通し秘密を握る人物もいないのだ。きっとこの騒動についても何か知っているに決まってる。けれどこうして見送りに来ると言う事は、カリアーナを守る事はできなかったと言う事だろう。それを全て理解した上で、カリアーナは一言「そうですね」と頷いた。
「私も最初は驚きました。けれどアルバの王太子殿下はお優しい方ですし、きっと関係も上手くいくと思うんです。お母様とお父様のような恋愛結婚は出来そうにありませんけれど、十分幸せになってみせます」
にこりと優しげに微笑む姿が作り物だと、一体どれだけの人が気づくだろうか。ロゼッタは笑みを浮かべていた表情から一瞬感情をなくし、すぐにカリアーナの手をとった。その顔には、悲しみの色が浮かんでいる。
「カリアーナ、あなたはとても優しい子に育ったわ。恵まれない子達に寄り添い自分の考えを行動に移し、その結果民に愛されて、国のために自分を武器にする事もできる。私にとってもかけがえのない可愛い子よ」
「お母様…?」
「だから、だからこそ。よく聞いて」
ギュッと握られた指先が熱い。これはロゼッタが強く握っているからなのか、カリアーナが緊張しているからなのか。
「私はあなたに、十分な幸せじゃ物足りないくらい、どうしようもないくらい幸せになってほしいの」
そんな母の言葉を、カリアーナはうまく受け止める事ができなかった。
お読みくださりありがとうございました。
前回の投稿から2年以上経ってしまいましたが、ここまで書いて完結せずに終わりたくはないので、どんな形であれ完結までは書き切ろうかと思っております。
お付き合いくださる方がいれば幸いです。




