第二百九十五話 抱きしめた
視点なしです。
地面から伸びている金の鎖は強く男を捕らえて離さない。まるで罪人のように鎖に巻かれた男は、「離せ!」とヨルに向かって言い放った。
リアンを始め、ライアンとワイアットもヨルを見る。ヨルはアステアを大切そうに抱きしめている右手をそのままに、左手を男へ向かって差し出していた。…いや、まるで命令するかのように伸ばしていた、と言った方が正しいのかもしれない。リアン達は、直感的に金の鎖がヨルによるものなのだと理解した。
「ズレた道は正さなければいけないんです!神龍は主人公に力を貸す、それ以外の道筋になってしまったらいつもの遊戯と変わらないじゃないか!それではつまらないと私がお叱りを受けるんだ!」
まるで吠えるようにのたまった男が力づくで鎖から抜け出そうとし、それに比例して鎖の巻きつく力も強くなる。常人ならば骨が折れていてもおかしくはない。
「お、おいチェイン!これどういう事だ!?なんでお前…!」
ヨルの側にいたワイアットが声を上げれば、ヨルは初めてワイアットの存在に気がついたのか目を見開いて驚いた。
『ワイアットか…?』
「あぁそうだよ。それよりこれは…」
ワイアットは驚愕の表情でヨルの瞳を見つめた。魔術の実験や初めて魔術を使った反動で髪がいきなり伸びたり、瞳の色が変わる者がいると聞いた事がある。魔力に誘発されて起こってしまうそれはあまり多く起こる事ではないが、差して珍しい事でもないのだと。
けれど、けれどもこれはどう考えてもおかしいだろう。
神龍の瞳なんて、人が持って良い代物のはずがない。
「…お前、今の状況どれだけ把握してる?」
『わからん…が、すぐに理解できる状況じゃないって事はわかってる。て言うかなんで姫さんが泣いてんだ。姫さんの姉ちゃんになんかあったのか!?』
「は?あ、いや大変な事にはなってるらしいけど…」
どうやら完全に自分が死んだ事を忘れているらしい。生き返る過程で記憶が混乱したのか、いやそもそも本当に生き返ったのか?ワイアットは「暇だから」なんてふざけた理由で婆様に叩き込まれた知識をフルに使って考える。真っ先に浮かんでしまう可能性はどの仮説よりも真実味を帯びているけれど、その可能性はワイアットが何より否定したいものだった。だが、目の前でアステアを慰める事に必死になっている男を見ると認めざるを得ない。
「……“新しい神龍”に選ばれたのか…」
『………あ?』
ヨルがぽかんとした顔をして、ヨルに抱きついていたアステアも顔を上げる。涙に濡れていても美しさを失わないその瞳は微かに見開かれていた。
「はっ…ははっ…この世界ではそんなふうに言われているんですか…」
乾いた笑いが洞窟に響く事なく、けれど確かにその場にいる全員の耳に届く。誰一人として聞き返す事はなかったが、男は絶望や失望の色を纏った笑みで言葉を並べた。
「新しい神龍なんているわけがない。あるのはただの神龍の残りカスだけだ!神龍が自害した時に残る残滓だけ……それを!そんなものを!神の残滓をたかが人間に!エルフに与えるなんてふざけているじゃありませんか!人の魔力とは比にならない遺物だ!人一人生き返らせるのなんて造作もないほどの力を…寵愛していたとは言えたかがエルフに与えるなんて馬鹿げてる!周りに迷惑をかけずに死ぬ事もできないのか老害が!!」
きっと男は人間やエルフの事を、果ては神龍の事すら見下しているんだろう。全ての神がそうだとは言えないけれど、神龍がヨルを愛したように神だって人を愛すのだ。暖かな意思ある全ての生き物は何かを愛さずにはいられない。それを理解できない男は哀れまれている事にすら気づかない。姫を抱く“龍”の怒りにすら。
『今、なんて言った…神龍が死んだ?養父が、死んだって言ったのか…?』
「ッ…かはっ…!」
男を縛る鎖が際限なく現れ男をがんじがらめにする。息すら奪う勢いのそれは、確かに男の首にも巻きついた。
「ヨル!」
ヨルの名前を呼んで、ヨルの頬を両手で掴み顔を合わせたのはアステアだった。
『……姫さん…養父が死んだっていうのは…』
「…正直、わかりません。でももし亡くなったのだとしてもヨルのせいじゃないし、たぶん自害じゃないです」
泣いたせいで咳き込みそうになるのを我慢してアステアが真っ直ぐに見つめた瞳はやっぱり金と銀の色に変わりないけれど、それは神龍がヨルを心から愛した結果なのだろうとアステアは思う。
「神龍の事なんて分からないし知る術もないけど、それでもあれは自害なんかじゃなかった。それにもし本当に死んだんだったら、それは私が原因なんです。私があんなお願いをしたから…」
驚いたようにヨルが目を見開く。思わず泳ぎそうになった視線をどうにか合わせて、アステアは言葉を紡ぎ続けた。
「でも、だから、私が侮辱なんかさせたりしない。あんな男にヨルのお父さんの死は汚させない。怒るなら私に怒ってください、ヨル。どんな報いでも受けるつもりです」
『………』
ゆるりと、男を縛る鎖の力が緩んでいく。それはヨルがアステアの言葉に一旦ではあるが納得したからなのか、はたまたアステアの言葉に呆れ返ったからなのか。確かなのは、ヨルが縋るようにアステアを抱きしめたという事だけだった。
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