第二百九十四話 金の鎖
視点なしです。
「待て!話は終わっていませんよ!そんな事をしてただで済むと思っているのか!?」
届くはずもないのに、滑稽になるほど焦りを露わにして男が叫ぶ。アステアはそんな男には目もくれず、これから何が起こるかわからない不安に目を瞑りながら、唖然と飛び去った神龍の後ろ姿を見つめていた。
空高く、真っ直ぐに。洞窟の中であるはずなのにいつの間にか天井には大きな穴があいていて、神域は神龍の心の中のようなものだから神龍の思いのままに動かせるのだと思い出してから、アステアは心の中で「きれい」と思った。あいた穴を通って真っ直ぐに空へ向かう龍の姿は、遠目から見ても神々しく美しかった。
『ふむ、まぁこのくらいか…?』
とうの神龍はと言えば、すでに地上のアステア達が見えなくなるほどの上空まで達してから、おそらく遠い真下にいるのだろうアステア達を覗き込んでいた。これからする事はヨルの体にだいぶ負担をかけてしまうし、神龍も経験がない。やり方は知っていてもやろうと思った事がなかったのだから当たり前だ。
なのに、あんな少女一人の存在で思い直してしまった。
潮時だったというのもあるだろう。けれど確かに、あの少女の存在は神龍にとって大きかった。
『感傷に浸るのは、一度死んでからにしよう』
地上から飛び去った時と同じく、大きくバサリと音を立てて翼を広げる。周辺にいた鳥達は驚きのあまり飛び去り、雲すらも神龍を尊ぶように退いていく。あたりは、青空一色。
ビュンッ──
風を切る音が聞こえる。落下よりも数段速い速度で神龍が真下へ降下したのだ。それはもう早く、光のように速く、瞬きの間に終わってしまうほどの一瞬。
──起きる時間だ、我が愛し子よ──
次の瞬間にはもう神龍の姿はどこにもなく、ただ洞窟にはもう一つ穴ができていた。ヨルの、真上に。
「あ、ああ…やってしまった……こんな過干渉するなんて聞いてません!これじゃあもう本来の道筋には絶対に戻れないじゃないですか!」
なんて事をしてくれたんだ!と叫ぶ男よりも、アステアはまず先にヨルの側へ走った。何が起こったかはわからない。ただ男と神龍の様子を見ていた限りとんでもない事が起きたのはわかったから。
元からヨルの側にいたワイアットはなぜだか腰を抜かしていて、池の鯉のように口をはくはくと動かしている。
「ヨル…!」
名を呼んでも反応なんてするはずないけれど、呼ばずにはいられなかった。もうヨルの体が傷つくのが耐えられなかったから。
けれど、そんな心配は杞憂に終わる。
『──……ん……ふぁっぁあ……あ?……ひめ、さん…?』
のそりと、屋敷で時折見た、ヨルが昼寝から起きる時と同じ動作。欠伸をする顔がほんの少し前まで見慣れていたというのに懐かしい。
「……………えっ」
呼ばれ慣れてしまったその呼び方は、確かにヨルしか呼ぶ事がなかったもの。その声も、その銀の月を思わせる瞳も何もかも変わっていない。
ただ、左目が龍を思わせる金に変わった事以外は。
『なん、で、姫さんがここにいんだ……?』
きっとこの場にいる誰もが聞きたい疑問は「なんでヨルが生きているのか」という事だろう。一度死んだ人間は生き返らない。それはエルフだって同じだ。だからこそヨルと同じエルフであるワイアットだって、あそこまで動揺していたのに。
けれどアステアは、どうしようもなく困った顔をしている自分の騎士の問いに答えた。
「えと、迎え、に…?」
あ、いや違う。そうじゃなくて、と慌てて訂正したアステアは、自分自身で何を言っているのか理解すらできていないのだろう。目の前で、先ほど死んだ事を自分で確認した男が生き返ったのだ。いやもしかしたら元々死んでなんていなかったのかもしれない。けれど、それならなぜリアン達は死んだと言ったのだろうか。わからない、わからない事ばかりで頭が痛くなってくる。けれど、確かにヨルが喋っている事だけは、生きている事だけは理解できた。
「ヨルが…生きて、る」
『あ?あ、あぁ、まぁ、生きてるが…』
確認するように、その事実を噛み締めるように、はたまた浮ついたように溢れた言葉にヨルが頷くと、次の瞬間にはヨルは強い衝撃に襲われた。と言っても、ヨルにとっては片手で受け止められる程度のものだったが。
「い、イギでる…」
『!?ちょっと待て!なんで泣いてんだ!?』
「よる、よる、よる」
『おう?あ?いや待ってくれ、本当にどういう状況なんだこれ』
「よるぅ…」
『あーはいはい!生きてるよ!それがなんだってんだ!?』
意味がわかない!と物語るようにヨルは困惑の色を表情に浮かべる。けれど、自分に抱きついて泣き出してしまったアステアの事を引き剥がそうとは決してしなかった。
「神龍の存在を消したらそれこそ道筋が全くの別物になる…ああ、最悪だ、最悪すぎる。………もうこれは、過干渉覚悟で記憶をすり替えるしか…」
ふらつく足で一歩足を踏み出したのは、神龍を止めようと必死に叫んでいた男。男が伸ばした手を見てリアンは悪寒を覚え、男が向かう先がアステアとヨルの元だと気づくや否や男を止めようと走ったが、その足はすぐに止まる事となった。
「金色の、鎖…?」
男の体には、男を拘束するように無数の金の鎖が巻きついていたのだ。
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