第二百七十三話 聖女の加護
視点なしです。
「お兄様!やっとカタルシアが姫を差し出したとは本当ですか!?」
嬉々とした声で執務室に飛び込んできたのは、花咲くような笑顔を浮かべたリリアだった。ルカリオと未だ波立つ貴族達との関係をどうしようかと話していたアルベルトは、無邪気な妹に目を見開くしかできない。
「リリア、そんな話どこで聞いた…?」
「バレットが教えてくれました!第一皇女がやっと頷いたんでしょう!?」
肯定を求めるばかりの問いにルカリオとアルベルトが息を詰まらせる。確かにカタルシアは姫をアルベルトの婚約者として、アルバへ送るという書状を送っていた。
日数で数えればあと三日。たった三日後、戦争にもなりかねなかった婚約の申し出が受け入れられるのだ。
だが、あのカタルシアが姫を素直に差し出すなどあり得ない、というのがルカリオとアルベルトの考えだった。
「……そうだな、三日後にはアルバへ来るらしい」
「!!やった!これでやっと姉妹になれる!」
「リリア、喜ぶのはいいが見ての通り仕事中なんだ。話は後で聞くから、今は帰ってくれるか?」
「あ、すいません!嬉しくなっちゃって…!」
「いや良い。喜びすぎて転ばないように気をつけるんだぞ?」
「お兄様は私を子供扱いしすぎです!」
そう言って可愛らしく怒る妹が帰っていく。アルベルトはその姿を胸を撫で下ろす気持ちで見送っていた。
「……リリアちゃんの耳に入らないようにしてたつもりだったんだけど、悪い。バレットに気づかれてたとは…」
「あの男の情報網はどうなってるんだ。婚約の話は秘密裏に……貴族でもスミス辺境伯にしか知らせてないんだぞ!?」
「バレットがカタルシアに注視してたって考えるのが妥当だろうな。まぁリリアちゃんが望んでいた事だし、当然と言えば当然かもしれないが…婚約が決定したという事まで嗅ぎつけるとは思わなかったな」
百歩譲ってリリアに知られてしまったのは良い。婚約が決まった以上、スミス辺境伯以外の貴族達にも知らせなくてはいけなくなったのが問題だ。
元々リリアが願った事によってアルベルトは父であるアーロンを殺した。そして協力を得るために貴族達を、アーロンがカタルシアの姫を戦争も厭わずに手に入れようとしているから、という理由で説得しているのだ。なのに貴族達に黙って脅迫紛いの書状を送ってカタルシアの姫と婚約した…?
貴族達が騒ぐのが目に見えている。すでにカタルシアが了承している分アーロンの時よりはマシだろうが、激化しようとしている内紛に油を注ぐ事は間違いない。
「それもこれも全部俺のせいだ…俺がリリアちゃんを説得するためとはいえ、あんな書状を書いたから…」
「自分を責めるなルカリオ。それに恨むならその書状を送ったバレットを……いや、こんな話をしていても意味はないな。それより第一皇女を迎える準備をしないと。不出来な出迎えはカタルシアの機嫌を損ねる」
「あぁ………結局リリアちゃんとバレットが言う秘策は用意されないまま婚約が決定するとは、運が良いのか悪いのかわからないな」
ルカリオの言葉にアルベルトは苦笑いで答えた。結局秘策がなんなのかわからず終いでここまで来てしまった。それがいかに愚かな事か理解はしているのだ。けれどリリアやバレットを目の前にした時、なぜだか言葉が出てこない。まるで操り人形にでもなったかのような気分には吐き気までしてくるのに、リリアの笑顔を見ると全てを賭してでも叶えてやりたくなってしまう。この感情がなんなのか、すでにアルベルトは理解できなくなっていた。
リリアへ向けていた感情が家族以上であったとしても、今はもう違うものに変化しているのだ。
──絶対に逆らえない──
アルベルトはどこかで直感していた。
───
姫のために用意された一等豪華な部屋のベッドに、リリアは思い切りよく飛び込んだ。枕を胸に抱き嬉しさを噛み締める姿はまるで恋する乙女のようだ。
「やっと、やっとだわ…!やっとお姫様と姉妹になれる!!」
かの人は姉だから、家族だから愛されているに過ぎない。誰のものでもないから側にいられるのだ。なら、他の人間の家族になったら?他人のものになったら?………そうなれば、かの人をお姫様が愛する理由はなくなるだろう。
そして愛する人をなくしたお姫様に寄り添うのは、親族となった自分だ。
リリアはそんな思いを抱きほくそ笑む。
「お兄様にもお姫様はあげない、誰にも、絶対に…」
お姫様と兄を結婚されるという案もあるにはあったが、それでは兄のものになってしまう。それはどうしても嫌だった。お姫様は私のもの、そう言った時のバレットは、随分と嬉しそうな顔をしていたとリリアは思い出す。
「バレットも私の幸せを望んでくれてるのね。優しい人…」
初めて自分を特別だと言ってくれた恩人は、今も自分のために動いている。リリアはその事実が嬉しく、それゆえにベッドから飛び起きた。
バレットは今、リリアの望みが叶う可能性を少しでも上げるため、アルベルトやルカリオから要求された秘策の元へ行っている。どうやらその秘策とやらはある一個人らしく、説得に苦労しているとか。
であれば、とリリアは思う。旅路の先で怪我でもしないようにと。安全な旅ができるよう祈るために、リリアは教会へ向かった。バレットが自分の元を離れてからの毎日の日課なのだ。
───それが「聖女の加護」になっているなど、知る由もなく。
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