第二百六十八話 翌日の早朝
視点なしです。
翌日の早朝。アステアは荒く揺れながら屋敷の門の前に止まった馬車に向かって、少しの溜息とともに「久しぶり」と投げかけた。アステアの隣についているライアンは微かに首を傾げたが、馬車の中から「お会いしたかったです、皇女様」と言う声が聞こえるとすぐさま姿勢を正した。
「その子が新しい近衛騎士ですか?」
「仮だけどね。それより、入っても?」
「もちろんです。お手は?」
「一人で乗れるって」
見送りをする者はいない。まだ全員が寝静まっている頃だからと言って、誰か一人でも見送りに来れば何か悟られてしまうかもしれないからだ。
昨日のうちに皇后にはどこへ行くのか、どれだけの期間戻らないのか、誰に協力を要請したのか、という内容の手紙を出している。何か不足している部分があればクレイグにでも聞くだろう。
とにかくアステアは、いち早く向かわねばならなかった。
いつもならエスコートのために差し出される手もなく馬車に乗り込んだアステアは、ライアンを隣に座るように促し、向かいに座る人物に目をやった。
「協力してくれるとは思ってたけど、本人が来るとは流石に思ってなかったよ。リアン」
どこか呆れた様子のアステアが言えば名を呼ばれた男、リアンが嬉しそうに笑う。
「皇女様の御身をお守りすると言う大事な任務を他の者には任せておけませんから」
「小伯爵の仕事の方が大事でしょ…」
「数日であれば勉学のために視察へ行ったと誤魔化しも効くと母に言われまして」
「夫人が背中押してくれたの?あ、伯爵はどんな感じ?」
「発言力もなくなって嘘みたいに大人しくなっていますよ」
風貌は冒険者とも思えるが、アステアとの会話を聞く限りでは貴族のようだ。名をリアンと言ったな、とライアンが思い出し、記憶している限りではそんな名前の貴族は知らないため、少なくともカタルシアの貴族ではないだろうと見当をつける。それは見事に的中し、ライアンは挨拶の際、リアンに優しく微笑まれた。
「フィニーティス王国のリディア伯爵家の小伯爵リアン・リディアだ。以前は皇女様の元でお世話になっていた」
「リディア…リディア!?あのフィニーティス王国随一の騎士の名門リディア家ですか!?」
騎士なら知らぬ者はいない。フィニーティス王国の騎士団長が長を務め、代々優秀な騎士を輩出してきた名門だ。最近は少しいざこざがあったようで後継者が変わったようだが、依然として騎士達への影響力は衰えてはいない。ライアン達が通う騎士学校イージスナイトカレッジにもリディア家で稽古を付けてもらったと言う生徒がいる。その全員が学園内で高位の成績を収める優秀者ばかりだ。
「そんなに驚かれるとは……あ、そういえば弟と仲良くしてくれてるんだろ?ありがとな」
「お、弟…?」
リディア家の人間、しかも後継者の弟と仲良くした覚えなどないはずだ。ライアンは記憶を漁りに漁ったが、結局誰かわからなかった。仕方ないとばかりにアステアが助け舟を出す。
「リンクだよ。もう家とは離縁してるからリディア家の人間じゃないけど、血の繋がりは消えないからね」
「リンクは元気にしてますか?」
「元気に騎士学校から来た生徒を扱いてるよ」
「え…?あいつ魔道具を作るために皇女様のところに行ったんじゃ…?」
「そうなんだけどねぇ…」
なんとなく、貴族なのではないかとは思っていた。だが、かの有名なリディア家の子息だったなどと誰が予想できるものか。離縁していると言う事は訳ありなのだろう。貴族界でそんな事があればすぐに噂は広まるだろうが、生憎とライアンは寮生活の中で外の情報に触れる機会が少なかった。
まさかアステアの元にいる魔道具士なる奇怪で腕の良い職人が、尊敬の念を抱く家門の息子…?そんなの驚かないわけがない。
ライアンはショート寸前の頭で、なんとか「な、なんで…」と言葉を絞り出した。
「そ、それが事実なのは、まぁ、はい、わかりました。え、あの、でもならなんでリンクさんを連れて来なかったんですか…?」
リディア家の人間だと言うなら剣の腕は相当なものだろう。しかもイザベラ達を軽く捻っていたのだ。連れて行くなら、外部の者ではなく屋敷内にいる者だけで済ませられたのではないだろうか。
「何度も言ってるけど、みんなそれぞれ任せたい事があるんだよ。ライアンを連れてくとなるとますますイザベラ達を止められる人がいなくなるでしょ?」
「それはそう、ですね…」
「あとクリフィードには、何かあったらリディア家の人間を使って良いって言われてるから。自分に心酔してる奴がいるんだからそいつを使えよ!って。今度会ったら口の利き方矯正してやる」
クリフィードとはまさかフィニーティスの第二王子の事だろうか…。それを呼び捨て…しかも矯正って…。ライアンは遠い目をし、窓の外を眺める事にした。アステアが思っていたよりも凄かった。色々と。
「協力するならとことんずぶずぶになってやろうじゃない!」
そんなライアンに気づく事なくアステアは満足げに言い切った。ちなみにリアンはアステアに会えた事が嬉しくて終始ニコニコだった。
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