第二百五十六話 神龍の住処
視点なしです。
「………僕はサディアス教の教皇候補であって、神様の専門家ってわけじゃないんだけどなぁ…」
ヒラリと舞い降りてきた一枚の便箋を手にブレアが溜息を溢す。カタルシア帝国の皇帝であるディルクの主治医レント・ドットーレに見送られてサディアス教国に帰ってきたは良いものの、それからは毎日代わる代わる違う人がやってきてシャーチクの話を聞かれていた。一応拙いながらも報告書は書いたのに、おそらくブレアの口から直接聞かなねば納得できなかったのだろう。
だがそのおかげでシャーチクへの偏見はかなり減ったように思う。喜ばしい事だ。
そして次なる問題は、今ブレアの手にある便箋。
やっとシャーチクへの偏見もブレアの元に訪れる来客も落ち着いてきたというのに…。ブレアは元々面倒ごとが嫌いだ。自分で動くのも好きではない。
だがどうにも、あの皇女からとなると無視できない気がしてくるのも確かなのだ。
ブレアは仕方なくペンにインクをつけ返事の手紙を書こうとした。そんな時だった、ブレアの部屋の扉がノックされたのは。
コンコンッ──
またシャーチク関連の来客だろうか。もう何週間目だ、そろそろいい加減にして欲しいと願いつつ、ブレアは部屋の扉を開ける。するとそこに立っていたのは予想もしていなかった人物だった。
──ヴェント・ベール──
ブレアをシャーチクの調査に向かわせた張本人であり、ブレアの調査報告を真っ先に受けたはずの人。立場としては大司教。偉い人、と言うとヴェント本人に怒られてしまうが、正直ブレアはヴェントが苦手だ。だって偉い人なのだから。偉い人の相手は疲れる。
書庫で寝るのに飽きてシャーチクの調査を引き受けたが、できれば関わりたくはない相手だ。
「突然の訪問大丈夫だったでしょうか、ブレア様」
「大丈夫ですよ」
ブレアが微笑みかけると、あからさまにヴェントの視線が泳ぐ。その姿を見て、いつもは誠実で一直線な方なのに珍しい、とブレアが密かに驚いてしまう。
部屋の入り口で立ち話というのも申し訳ないのでブレアが部屋に招き入れると、ヴェントは用意された椅子に座るなり「何か、ありませんでしたか」と聞いてきた。
「何か…とは?」
「……いえ、何もないのなら良いんです。あまりお気になさらないでください」
教皇候補として名が挙がっているブレアはサディアス教国の中では気を使われる事も多いが、こうして部屋を訪ねて何かあったのかと心配される事はあまりない。大体は書庫に籠もって眠りこけているせいかもしれないが、それでも関わりの多くないヴェントの気にかけられるのはどこか引っ掛かりを感じた。
「………大司教は、神龍をご存知ですか?」
「神龍ですか…神話を把握している程度ですが知っていますよ。それが?」
「知人が神龍に興味を持っているようで……もし良ければ教えてくれませんか?」
「あぁ…あまり知っている事はありませんが、私で良ければ」
シャーチクの存在を知った時に怒り狂っていた男とは思えない優しげな表情だが、元々は心底優しい大司教なのだ。厳しく己を律する事ができ、周りに優しく、時に力強く発言する事のできるヴェントは誰からも慕われている。
真似しようとは思わないが、ブレアも尊敬の念を抱いているほどだった。
ヴェントに聞いたところによると、神龍の住処は「リュウの森」という所らしい。
龍が住んでいるからその名前なのか、もしそうなら安直も良いところだろう。ヴェントもそれ以上は知らないらしく、「そろそろ失礼します」と席を立った。
「もうお帰りに…?」
「はい。お時間を取らせました」
「そんな事は……大司教が僕を訪ねてくるなんて珍しいので、楽しかったですよ」
関わろうとは思わないが別に嫌っているわけではないのだ。ブレアが本心からそう言うと、ヴェントは目を伏せてしまった。
「……風が…」
「風…?」
「はい………いや、なんでもありません」
悲しげに笑ったヴェントがブレアに会釈をする。それを合図にヴェントが扉の方へ歩いて行き、ドアノブに手をかけた。
そこでふとブレアは思い出す。そういえば、ヴェントには失踪した子供がいたはずだ。教皇も気にかけていたようでとても賢く聡明だと言われていたが、数年前に行方不明になっている。
確かその時もヴェントは「風が、教えてくれたのに」と言っていたように思う。ずっと忘れていた幼い頃の記憶が呼び起こされたブレアはヴェントを呼び止めると、「確かもうすぐですよね」と言った。
「無事見つかる事を、お祈りしております」
それだけで伝わったのだろう。ヴェントはやはり悲しげな笑みで答えた。その表情に、ブレアは心を痛める。
「神の子であらせられるブレア様に祈っていただけるなら、きっと我が子も無事でいられる事でしょう。ありがとうございます」
毎年失踪した日は泣きながら一日中祈りを捧げ続ける父親の祈りが通じていないのならば、きっとブレアの祈りだって通じるはずがない。ブレアは慰めにもならない事を言ってしまったと後悔し、一方的に声を伝えてくる神様を少し憎く思った。
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