第二百五十話 世界が───のために
視点なしです。
「私を疑っていらっしゃるんですか?」
そう問うたのは兄に願い一時の安寧を手に入れた姫だった。その瞳はゆらゆらと悲しげに揺れ、その隣で同じく悲しそうな表情を浮かべる従者は「そんな事はないよ」と告げる。
「王太子様はきっと不安なのだろう。神話の存在など目にする機会もございませんからなぁ」
従者らしからぬ言葉遣いで姫を慰める男に王太子であるアルベルトは眉を潜めた。だがそれすらも姫の怯えを煽るだけなのか、さらに悲しそうな顔をする姫を見てアルベルトは「わかったよ」と一つ頷く。
「だけど時間は限られてるんだ。カタルシアがいつ本気になるかもわからない。できるだけ早く頼む」
この申し出をするのは何度目になるか。自分に安寧を与えて欲しいと願った姫は、アルベルトにまた姉妹が欲しいと願った。何度か交流のあるカタルシアの優しげな姉を気に入ったらしく、彼女と話したいと無邪気に笑う姫にアルベルトは有無を言わさず頷くしかなかったのだ。
だが今から婚約の申し込みをしても、友好国とまでいかないアルバへカタルシアの第一皇女が嫁いで来てくれるかは定かなところではないだろう。加えて、王が崩御するより少し前から姫の話し相手になっていたらしい男が、「第一皇女の婚約者はもう決まっているらしい」という情報を与えてしまった。
そうなれば姫は目を潤ませ、「早く姉が欲しい」とアルベルトに願うなど想像に難くない事だ。
そこで一番に頭を悩ませたのが、アルベルトを支え宰相の座につく事が緊急貴族会で決まったルカリオである。
カタルシアの皇帝が子供を溺愛しているなど周知の事実だが、それを姫に説明したところで到底理解してくれるとは思えない。なんとか姫の願いを断らなければ…と考えた末に、ルカリオはある提案をした。
──カタルシアともし戦争になったとしても対抗できる手段を用意できるなら、第一皇女を迎え入れましょう──
ろくに外の世界を知らない姫にこの提案は酷だとも思ったが、そうしなければただでさえ国民への対応で忙しいのだ。十中八九戦争へ発展しかねない願いを聞き入れる事はできない。
だが、最悪な事に姫にはすでに切り札となる存在がいた。そしてその存在を教える者も、また側にいたのだ。
「わかっていますよ!バレットが嘘をつくはずがないもの…ね、バレット!」
「もちろん。姫は特別な方だからきっと彼も直に頷くはずだ」
にこりと微笑みかける姿のなんと異様な事か。だが姫が信用してしまっているのでは仕方ない。アルベルトはすでに姫に反論する事すらできなくなっていた。
アルベルトは舌を打ちたい気持ちを抑えバレットと呼ばれた従者とも言えない男を睨みつけてから、静かに姫の元を後にした。
───
アルベルトが自分の執務室へ帰ると、そこにはルカリオの姿があった。
「またリリアちゃんのところ?」
「……あぁ」
「その様子じゃ今回も聞き入れてもらえなかったのか」
「………」
黙り込んでしまったアルベルトに、ルカリオは己の失態を嘆いてしまう。カタルシアへ送った手紙は、元々送るつもりのないものだった。効果があるかはわからないが攻撃的な文面にして先に姫に読ませれば、少しは考えてくれるかもしれないと。どうにか悪い流れを止めようとした苦肉の策。
だが、それをバレットに知られてしまったのだ。いつの間にか送られていた手紙は皇帝の元に届き、瞬く間にカタルシアは殺気立ってしまった。
馬鹿な事をした。
そう思わざるを得ない。今考えればなぜ手紙などと言うものを用意したかもわからない。ただ、あの時はそれが最善だと信じて疑っていなかったのだ。少しは目を覚ましてくれるだろうと、信じていた。
「………まるでリリアちゃんの願いを叶えるために動いてるみたいだな」
「?」
首を傾げるアルベルトに、ルカリオは寂しげに笑う。
支えたいと思った男は、目の前にいるはずなのに。まるで世界が姫の…リリアのために動けと言っているようだ。世界の中心がさも彼女であるかのように、少なくともルカリオとアルベルトの周りは大きく動いている。
「なんでもないよ。それより報告な。カタルシアは動く気配がない。たぶんこっちの出方を伺ってるんだと思うけど…」
「それだけカタルシアには絶対的な自信があるって事だろう?こちらとしては都合の良い話だな」
「馬鹿か。対抗手段である力が手に入ってないのに自暴自棄みたいになるなよ」
吐き捨てるように言ったアルベルトにルカリオが溜息をつく。誤算はバレットが手紙を送ってしまったところから始まっている。何もない状態で、何も用意していない状態で戦争を仕掛けてしまったようなものなのだ。だが、ルカリオはある事を直感していた。
カタルシアはアルバが仕掛けない限り何もしてこない。
なぜだかリリアやバレットの姿を見るたびに深まるその考えは、少しずつルカリオとアルベルトを侵食していた。そんな事があるはずがない。そう思うのに楽観的に考えるようになってしまうのだ。
まるで本当に、世界が───のために回っているかのようで…。
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