第二百四十話 地獄のようで
視点なしです。
にこり、余裕の笑みを見せる皇女の口から放たれたのは、心底冷たい言葉だった。これにはさすがのライアンも本気で焦ったのか、失言をした友人を咎めずにはいられない。
「ロック!今すぐ謝れ!」
「名前はロック・ロジャーズ。以上。悪気があったわけじゃない。特別で優しい皇女様なら許してくれると思ってるぜ」
「ロック!!」
いい加減にしろ!そんな意味を込めてライアンがロックを睨み付ける。けれどそれを制したのは、誰でもなく皇女自身だった。
「皆様自己紹介ありがとうございました。ロックという方はどうやら礼儀がなっていらっしゃらないようですが、まぁ前もってライアンから話は聞いていましたので不問にいたしましょう」
「だ、第二皇女殿下、私の学友があり得ない事を…」
「ライアン、これ以上の言及は許しません」
「………寛大な処置に感謝します、第二皇女殿下」
仮だとしても近衛騎士になれた事を誇りに思っていたライアンにとって、学友が尊敬する皇女へ無礼を働くなど起こってほしくはない事態だった。複雑な心境で下げていた頭を上げたライアンは、ピタッと動きを止める。
「ただ、ここは私の屋敷だという事をお忘れなく」
にこり、もう一度微笑して見せた皇女の瞳は、笑ってなどいなかったのだ。
思わずヒヤリと冷たいものが背中を走り、ライアンは眉間に皺を寄せるロックに変わって力強く頷いて見せた。
「………皆様の自己紹介は聞き終えましたし、あとは私の屋敷の者達だけですね。申し訳ないのですが頭痛がしてきたので席を立たせていただきます」
スッと立ち上がった皇女を止める者はいなかった。獣人のメイドが静かに扉を開けると、皇女は軽やかな足取りで部屋を出て行ってしまう。その姿はとても体調不良の人間には見えず、出て行った理由は明白であった。
「…では、気を取り直して私どもの自己紹介と参りましょうか」
パンっと手を叩いて言い放ったのは執事だった。その立ち居振る舞い全てが優雅な姿は、公爵令嬢であるイザベラさえも感心してしまうほどだ。
「最初はリンク様、よろしいですか?」
「え?あぁ、別に構いませんよ」
リンクと呼ばれた青年が答える。格好から察するに職人なのだろうが、ソフィアとマシューはその名前の方に気が向いていた。
リンク、どこかで聞いた事のある名前だ。
「魔道具士のリンクだ。アステア様に拾われてここで魔道具を作ってる。何か道具関係で困った事があったら言ってくれ。修理も、改善も、作る事もできるから」
「ま、魔道具士!?」
「まさか貴方がシャーチクを作った方ですか!?」
ソフィアとマシューが驚きのあまり声を上げると、「知ってるのか?」と不思議そうにリンクが聞き返す。知ってるも何も、カタルシアの領土内にあるイージスナイトカレッジの教職員はもれなくシャーチクを愛用しているのだ。そのせいで訓練内容が鬼畜そのものになったのは言うまでもないが、それ以上に魔道具士と言うあり得ない存在が生徒達の間で持ちきりだった。
「まさかお会いできるなんて…あ、あの!魔道具を作っているところを見せてもらう事は可能でしょうか!」
「ん?あぁ、敷地内にある工房にいるからいつでも見に来るといい」
一躍時の人となっている人間と会える事などそうそうないだろう。マシューが喜びを露わにすると、誰かがクスッと笑った。
「?」
「あ、すみません。あまりに喜んでいたものですから…」
そう謝ったのは先ほど扉を開けた獣人のメイドだ。
「エスターと申します。何かご用があれば私の方へどうぞ。他にも使用人はおりますが、主に指示を出しているのは私とクレイグさんなので」
皇女付きのメイドというに相応しい気品溢れる姿に見惚れてしまいそうになるが、そこは貴族の端くれ。イザベラ達はなんとか表情筋をひきしめた。ちなみにマシューは「綺麗な人だなぁ」と素直な感想とともに顔を赤らめていた。
「次は…」
「!?あ、わ、私…ですか!?」
わたわたと落ち着きなく焦り始めた少女に、執事が優しく微笑みかける。その姿は父のようでもあり、教えをとく教師のようでもあった。
「あ…え、と、ディウネです。クレイグさんの元でお仕事と、勉強をさせていただいています。他にも子供達がいるんですが、今回は私が代表という事で…」
控えめな上目遣いで見つめられ、ソフィアが微笑する。マシューも安心させようと笑顔を見せ、イザベラとロックは呆れるように溜息をついていた。
「そんなに怯えなくても取って食うなんて事しませんわ」
イザベラが言うと、ディウネは少しかしこまった様子で「ご、ごめんなさい」と謝ってしまった。このままではいたちごっこのような会話になるような予感がするため、早々に執事がニコッと笑う。
「最後は私ですね。執事のクレイグと申します。第三屋敷の事柄全てをアステア様より委ねられておりますので、何か問題があれば私の方へ。皆様の指導も私がさせていただく予定ですのでよろしくお願いいたします」
優しげな風貌に物腰柔らかい姿。騎士団での訓練が地獄のようであったイザベラ達が、「ここの訓練は少しだけ余裕が持てそうだな」とほっと胸を撫で下ろす。
けれど、一人だけ。
ライアンだけが、額に冷や汗を流していた。
───…怒っている。
彼らと出会って数日のライアンでもわかってしまうほどに、彼らは怒っている。その事実は、ライアンが焦るには十分すぎるものだった。
お読みくださりありがとうございました。




