第二百十三話 濁った夜空は雲ごとどこかへ
母様から話を聞きカミラからも話を聞いた限りでは、ヨルは本当に私の側を離れたらしい。それが円満ではない事だけは確実だけど、少なくとも私が目覚める前に出て行ったんだから、たぶん私の意見を聞く気はなかったんだろう。
加えて、クレイグの不機嫌の理由もわかった。
「クレイグって意外に私の事好きだよね」
「お言葉の意味がよくわかりませんな」
にこやかにはぐらかす姿はいつも通り。クレイグがヨルに怒っているなんて、たぶんクレイグが私の質問に答える事を断らなければ気づかなかったかもしれない。
そもそも感情を隠すのが上手いクレイグが、自分に対して「私情」なんて言葉を使うとは想像もできなかった。それに、私が言った事に対して宥める事はあっても、あんなにはっきりとした拒絶を示す事なんて滅多にない事だから。
……きっと、ヨルがクレイグの逆鱗に触れてしまったのだろう。
それが私であると言う事は、主人としては嬉しい限りだ。
「あ、そういえばリンクの事なんだけど」
「はい、なんでしょう」
兄様の屋敷へ向かっている途中。短い距離を馬車で移動しなきゃいけないのは面倒で、見慣れた景色を眺めるのにも飽きて聞いてみる。
「リンク、いつから気付いてたかわかる?」
幻影魔術の事、と続けると、クレイグが少し目を見開いてから「ほぼ最初から予感はしていたそうです」と答えた。私の予想だとヨルの試合を間近で見たいと言った前からだと思ってたけど、まさか最初からとは…。
「どうやら魔術を主に動かしていた支配人がシャーチクを利用していたらしく、シャーチクを作る際に使用した自分の魔力に気付いていたようです」
「へぇ……えっ、ん?」
魔道具を作る時、作った人間の魔力が混ざってしまう事がある。無機物である道具に魔術の術式を書き込む作業の過程で混ざる事が多いらしく、今回もシャーチクにリンクの魔力が混ざっていたと…。
いや、でもそれ物凄く微量でしょ!?
国一番の闘技場を管理していた支配人にシャーチクが配られる事自体は不思議じゃないけど、そんな微量なものをよく見つけられたものだ。
だからジュードと初めて会った時、あんなに食いついて会場の方見てたのか…。
「つくづく優秀だねぇ」
リンクもヨルも、と続ける事はなかった。
だけどそれだけで私の言いたい事がわかったらしいクレイグは、少し間を置いて答える。
「えぇ、リンク様もとても優秀な方です」
それはどういう意味なのか。私はクレイグほど人の心を読む術に長けていないからわからない。
ただ、クレイグが少なからずヨルを評価していた事は知っているから。身を挺して私を庇いお腹に瓦礫を突き刺されたリンクと、私が傷を負った事によって暴走したヨル。どちらを評価するかも、なんとなくわかっている。
「そうだね、リンクも優秀だ」
だから、私は頷く。たぶんクレイグは、どっちにも共感してるから。たぶんリンクを称賛して、たぶんヨルの気持ちに同感しながら怒りを感じている。
顔には出さないけど複雑なんだろうなぁ、と勝手に妄想。
そもそも、ヨルに対して敬語を使っていたのは、私の側をいつかは離れると思っていたからだ。
この結果も、もしかしたら自然なのかもしれない。私の側にはクレイグとエスターと、あと新人のリンクが残って、やっぱりヨルは離れて行った。
忠誠を誓わない騎士は、掴めない雲のようにどこかへ消えてしまった。
雲のゆく道を阻む事なんて誰もできやしないし、阻もうとすら思わないだろう。今回だってそうだ、ヨルの暴走を止める事なんて誰も出来やしなくて、私の側を離れる事を止める人間はいなかった。
惜しいと思わないわけではないけど、離れるとわかっていて側に置いていた。いつか離れると思っていた。わかっていたから、例えばエスターやクレイグが突然いなくなってしまったら、と想像した時よりショックが少ない。
「………アステア様」
「大丈夫だよ。探すつもりなんて、最初からないから」
一緒にいて安心できる人達の中にヨルがいたとか、ヨルが笑い飛ばしてくれたから前に進めた時もあったとか、あの、懐かしい色をもう二度と見られないのかとか、色々、思うところはあるけど。
自分から去った人を追いかけるなんて、そんな真似しても重たいだけだ。
私が一番苦手な忠誠だって重い物だから。そんな事言ってる私が重い事したら、きっとヨルにからかわれて終わってしまう。それはなんだか無性にムカつくので、私はそっと目を閉じた。
少し心に穴が空いたのは、仕方のない事だから。
濁った夜空は雲ごとどこかへ行ってしまったのだ、と自分に言い聞かせながら、優しく私の頬を撫でる風に慰めてもらった。
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