第二百十二話 夜を瞳に宿して
カミラ視点です。
「勘違いしないでちょうだいね。ただ事情を聞くためよ」
フォローなのか、娘の機嫌が損なわれているのが嫌なのか、どちらにしてもロゼッタ様の言葉によって、冷えた第二皇女様の瞳が一旦落ち着きを取り戻した。互いに海や泉にも例えられる瞳をしているお二人だけれど、第二皇女様は二色だからなのか夜を思わせる時がある。底冷えした夜を瞳に宿しているのなんて、第二皇女様くらいだ。
「何を話していたのかはさすがにわからないけど、まぁ何かあったんでしょう。貴女の騎士は翌日、一言も告げずにいなくなったわ」
事情を聞くだけと言いながら、何かあった、なんて言ってしまっているロゼッタ様に口が開きそうになる。第二皇女様はどんな反応をするか、少しビクビクした気持ちで様子を伺っていると、案外けろっとしていた。
「そうですか。わかりました」
「あら、素直ね」
「ここで食い下がっても答えてはくれないんでしょう?それに、父様もクレイグも答えてくれなかったから、たぶんお母様は今回私に甘くなってるんだろうなぁって」
「さすが私の娘、全部お見通しなのかしら」
「母様じゃないんだからそんな事あるわけないじゃないですか。…そろそろ、失礼しますね」
「他の話は聞いていかないの?」
「あとは大方父様と兄様が騒いで、魔術だ医術だと私の事を目覚めさせようとしたんじゃないですか?」
「正解。わかってるなら良いわ」
クスクスと笑い合うお二人の間に、もう冷えたものは何もなかった。皇族という立場がある上での家族。それは時に家族としての情よりも立場を優先させなければいけないものだけれど、そこに情が一切ないわけではないのだ。
第二皇女様はその後、残っていた紅茶を全てお飲みになられてから、席を静かに立った。
ロゼッタ様に皇后宮の外まで送るよう言われたので、第二皇女様を案内するために私もその場を後にする。カタルシア帝国で一等美しいと言われる皇后の箱庭を横切り、使用人までもがいない静寂を纏う廊下に出た。
「カミラは何か知らない?」
ふと届いた問いかけに足を止めて振り返る。第二皇女様は私とは目を合わせずに、青空が広がる窓の外を眺めていた。
「クレイグの事について」
それはあまりに予想外の事で少しの間私は答える事もせずに頭を回転させた。もしかしたら第二皇女様の近衛騎士であるヨル様の事を聞かれるかと思っていたけれど、まさかクレイグさんについて聞かれるとは思っていなかったからだ。数拍置いてから、「騎士様の事、ではないのですか?」と聞き返してしまった。
皇族に対して質問に答えず聞き返すなんて不敬な事だ。私は内心焦りながらも、こんな事では怒りそうもない第二皇女様の答えを待つ。
「ヨルは理由はどうあれ私の側を離れた。なら、私が気にかけるべきは側にいる人の方だからね。お母様の話を聞く限り父様が無理矢理追い出したわけでもないみたいだし…カミラはクレイグと交流があるでしょ?」
「はい。お会いすると立ち話をするほどには親しくさせていただいていますが…」
第二皇女様の表情は至って普通の笑顔。それがあまりにも普通で、逆に私の心を鈍く揺らした。第二皇女様の言葉の真意はわからない。けれど、かの騎士は今、もしかして第二皇女様に切り捨てられたのではないか。
「クレイグがなんで不機嫌か、カミラわかる?」
私にあの腹の見えない方の何がわかるというのか。私よりよほどクレイグさんについて知っているはずの第二皇女様は、それでも私の答えを待っていた。
であれば、答えなければいけないのが下々のにいる人間の宿命だ。
「……主人が傷ついて、何も感じない従者はおりませんから」
ただ、それだけ。あえて付け加えるとするなら、献身的に尽くしている主人が自分のいないところで傷ついたなど、己を殺してしまいたいほど自分の無力感に晒されるはずだ、という事。
しかも傷ついた主人を放ってその主人を守るべきはずの騎士が暴走したなんて事を知れば、湧いてくるのは怒りだけ。第二皇女様が目覚めるまでの二週間。ロゼッタ様の使いで皇城に行った際にクレイグさんと会ったが、その時は酷く穏やかに微笑まれた。それがいかに異様な事か、ロゼッタ様を楽しませる話題の種である第二皇女様も十分理解できるはずだ。
腹の中で罵詈雑言を並べ立てているだけならどれほど可愛いか。きっと、私では想像もできないほどの怒りを煮えたぎらせている事だろう。
「あのクレイグがねぇ…」
まさかそんな事は思いもしなかった、とでも言いたげな顔をする第二皇女様は、自分がいかに恐ろしい者を飼っているかわかっているのだろうか。わかった上でこの反応なら、きっと一生第二皇女様の腹の中は覗けないような気がした。
まぁ、覗く事すら私の立場からしてみれば不敬なのだけれど。
「教えてくれてありがとね、カミラ」
ロゼッタ様によく似た笑みを浮かべた第二皇女様の瞳は、美しい夜空のようにも見えた。
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