第二百七話 為せる技
視点なしです。
「わ、悪かった!!!」
リンクの声でヨルの動きが止まった一瞬、その言葉は放たれた。数秒にも満たないけれどその言葉で微かに剣の軌道が外れ、ヨルが振り下ろした剣は飛ばされた痛みで動けずにいるジュードの顔横を通過する。
地面に突き刺さった衝撃からか剣には罅が入り、それはヨルがどれほど力を込めていたのかを証明する事となった。
たらり、ジュードの額に汗が流れる。
「あ、謝る!俺が悪かった!!」
武神に選ばれたと宣った人間が情けなく足を震わせる。遠目では砂埃も邪魔してよく見えないが、その言葉だけでリンクがジュードを軽蔑するのは容易だった。
けれど、その言葉が真意かどうかはさておき、ヨルの動きが止まったのは良しとするべき事だろう。リンクはアステアが確かに息をしている事を確認し、ステージ上へ降りられないかと周りを見渡す。だが、それは幻影の中の静寂にポツリと落とされた。
「謝るなら、死んで詫びろよ」
「えっ」
「!!ッとに聞かん坊が!」
声は拾う事ができないが、リンクの元にまで届く殺気は尋常ではない。ヒリヒリと肌を刺激し、気絶してしまいそうなほどの圧は経験したくない部類のものだ。
リンクは盛大な舌打ちをかまし、「おいッ!」と出した事があるかどうかわからないほどの大声でジュードに呼びかけた。
「今すぐ逃げろ!!武神だかなんだか知らねぇけど本気で殺されるぞ!!」
「ッ!!」
その忠告はジュードのプライドを傷つけるとともに、本能を刺激する。そしてその本能は、確かに「逃げろ」と叫んだ。
力の入らない足で地面を蹴り上げる。ステージまで叩き落とされたせいで頭から血が出ているが、死ぬ量ではないのだから構うものか。
どうにかヨルから離れようとするジュードが、走り去った先。ステージの中央へ一歩足を踏み出した時。
すとんっ、とジュードの体から力が抜けた。
「あ?え、なんっ…」
意味がわからないと言うふうに言葉にならない声を発するジュードは、気づく事ができない。己が、あまりに強いヨルの殺気によって、逃げるという行為を放棄してしまったという事実に。
ハッハッと荒くなる息が耳を刺激して、幻影魔術に魅せられた観客達の歓声が遠い。
死にたくないと思っているはずなのに、脚だけではなく体全てが動かない。絶望という他ない状況に、ジュードは後ろから迫り来る存在に視線を投げた。
その姿は、神をも食い殺し、首輪など付けられるはずもなく、鎖など意味をなさない獣の如く。
あぁ、ここで死ぬのか。
妙に冷静になったジュードの頭は、先ほどまで自分が貶していた皇女の事を思い出していた。これは、誰に飼えるものでもない。きっとあの皇女もいつかは食い殺される運命だ。手綱など握れるはずのないものを飼った人間の最後など、碌なものでは無い。
あぁ、それは、俺もか…?
そこでやっと己の過信に気づき、過ぎたものを望んだ愚かさに気づいた。あまりに遅い気づきであり、けれども死ぬ前にやっと気づく事ができた真実。
ジュードは体の動くままに瞼を強く閉じ、罅が入って見るに堪えない剣が己に刻まれる刹那の瞬間を想像して、最後まで死にたくないと願い続けた。それは無駄な足掻きに終わったか、はたまた神に届いたのか。
目の前にある事実はただ一つ、ジュードに死は訪れなかったという事のみ。
「古の森で眠られている養父君に笑われてしまいますよ」
この場に不似合いな、あまりに優しい声がジュードの前に降り立った。声の主はにこやかに笑い、「怒りをお納めください、龍の子よ」と囁いた。
その声に思わずジュードが硬く閉じていた瞳を開ければ、目の前には数日前に雇った踊り子が立っているではないか。次いでヨルに視線が行くと、剣を握っていた手からはボタボタと血が流れ、剣は地面に落ちていた。
何が起こったのかさっぱりわからず、ただ目の前に現れた踊り子を見つめる。
「………」
「言葉も発せないほどに意識をなくしましたか。自分の主が傷つけられて怒るとは、まるで宝を守る龍のようですね」
並べられる言葉に敵意はない。止められる事なく流れ続ける血は、ヨルの手から零れ落ちて地面を赤く染めていく。
「それほどまでに、彼女の事を大切に思っているのですか」
秩序が保たれた言葉は聡く、全てを見透かしているようだった。深くまで沈み込んだヨルの意識は未だ浮上する事はないが、ピタリと動きが止まる。
一部始終を見ていたリンクからしてみれば神の為せる技とでも評したいほどだが、生憎と一瞬気が抜けたせいで腹の傷が傷み始めている。本当に一秒にも満たない時間だったが、ヨルの手を傷つけた弓矢を見た。どこからか狙われている可能性も否めないし、かと言って自分にヨルを動かせるとも思えない。どうしたものかと今日何度目かリンクが頭を抱えると、ユラリ、後ろで誰かが立ち上がる気配がした。
ぽいっ──
力の入らない肩で投げてしまえば、そんな可愛らしい効果音にもなるだろう。リンクは気絶していたはずの主の手から放たれた石ころが、綺麗にヨルの頭に当たる瞬間を目撃した。
「人の話を聞け、バカ」
苛立ちを募らせた声が、どこともなく消えていく。けれど後ろを振り向き目を見開いたヨルには、エルフゆえの聴覚ではっきりと聞こえていた事だろう。
次の瞬間アステアは、透き通った硝子の破片の上に倒れ込んでいた。
お読みくださりありがとうございました。




