第二百五話 名ばかりの剣
視点なしです。
「なっ!?」
驚きのあまり、多少なりとも女受けの良いジュードの顔が歪む。口は大きく開き、瓦礫の山を見つめる目は驚愕と困惑の色に染まっていた。
「あ…?んだよ、お前だけか、よ…」
舞い上がった砂埃から姿を現したのは皇女までもが魅入った夜の化身。けれど、その瞳がとらえた光景はつまらないものだった。
国の姫を攫うほどなのだから、それなりの自兵はいるのだろうと踏んでいたのに。幻術は警戒にあたいするものなので隠れている可能性も捨てきれないが、見た限りではひとっこ一人いない。ここにいるのは紛れもなく支配人であるジュードと、自分の主人だけなのだ。
ヨルは落胆の色を抑える事ができず、けれどそれ以上に、自らの言葉を一瞬途切れされてしまうほどの強烈な香りに気がついた。
嗅いだ事のある匂い。決して「忠誠は嫌い」と宣った主人から香る事のない匂い。
それはあまりにも、部屋中に広がりきっていた。
「ヨルさん!アステア様見つかりましたか!?」
後から追いかけてきたリンクが肩で息をしながら、斬られる事のなかった部分の壁に手をつける。額には汗が滲んでいて、ヨルを追うために全力で走ってきたのだということがうかがえた。
「?…!!」
ヨルが一向に返事をしない事を疑問に思ったリンクが一歩、部屋へ踏み入る。けれど、そこから一歩たりとも動けなくなった。
リンクは、あまりにも違いすぎる圧に押し潰されそうになってしまったのだ。
圧は殺気から来るもので、その殺気は呼吸をするたびに痛みを感じるほどに鋭く、狂ったほどにこの場の全てに向けられている。それはリンクも例外ではなく、殺気の正体がヨルであると理解する事はできても、もう一歩部屋へ踏み込もうとは思えなかった。
「ヨルさっ、一体、何が…」
「お、お前らなんなんだ!!なんでここにいる!?」
背筋に冷や汗が流れながら、どうにかこの状況を把握しようと声を出したリンクの言葉に、かぶせるようにジュードが叫ぶ。リンクが不快感を露わにして睨み付けると、ジュードは少し怯みながらも「俺が誰だかわかってるのか!?」と何の立場もない分際で声を張り上げた。
だがヨルは一つの反応も示さない。
その夜空を模した髪から覗く瞳は、ある一点を見つめるばかりだった。
赤。
似合わないわけではない。言ってしまえば何でも似合う美しい姿をしている主人に、似合わない色などありはしない。
だが、どうもヨルは違和感を感じてしまうのだ。
例えば風の妖精シルフ。涼やかで愛らしい容姿を想像させる謳い言葉だ。例えば水の妖精ウンディーネ。水辺の美女を連想させ、その美しさから全てを魅了するのだろうかと想像をかき立てられる。彼女には、双方の謳い文句がよく似合う。けれど、どうしても、サラマンダーだけは、赤だけは、ダメなのだ。
彼女の軽やかな笑みと風に靡く麗しの白髪にも、皇族の中でも特別な海や湖を思い起こさせる二色の瞳にも、赤の入る隙間などない。
だが、なんという事か。
何よりも汚してはいけない白雪には泥のように赤がこびりつき、何よりも清くあらねばならない瞳は人離れした赤に染まって赤い涙を流している。
彼女にはどこにも赤はなかったはずなのに、その情熱にすら、怒りにすら、激烈な赤は似合わなかったはずなのに。
それは、まるで今にも彼女を奪い去ろうとしているようですらあった。
「ヨルさん!?」
深く深く落ちた思考の中には届かないリンクの声。いきなり一歩足を踏み出したヨルは、そのままぶれる事はない、けれど確かでもない足取りで、一歩また一歩とジュードに近づいていった。
「!?な、何だ!?おい!近づくな!!」
焦りに染まった声は何と滑稽か。彼女が起きていればつまらなさそうな顔をしたであろう声は、やはり沈んだ思考には届かない。
名ばかりの剣が、主人の意思とは関係なく振り上げられる。
鈍く光るそれは、彼女がヨルへ「見た目、完璧な騎士にしないといけないので」と言って持たせたものだった。剣以外の武器も使うヨルからすれば、あってもなくても別に構わない代物だった。
ならばそれの主人は、ヨルか、彼女か。
ただ言える事は、それがまず間違いなく目の前の男を狩るために使われるという事。この殺気が充満した部屋ではあまりにも自然な動作だったため、あるいは本能が恐ろしいものは見てはいけないと目を塞いだため、リンクは一瞬反応が遅れた。けれど、その体はかの国の騎士団長に育てられたもの。現在は縁を切ったとはいえ、騎士の長に鍛えられた体は無意識のうちに動き出していた。
キィン──
決して脆くはない懐刀。名ばかりの剣を相手にするには十分だった。
リンクは予想していた遥か上をいく重さの剣を己の懐刀で受け止めながら、剣を交わす相手の名前を呼ぶ。
「あんたの相手は荷が重いんですけどッ…!!」
名ばかりの剣にかけられているとは思えない重さに、リンクの肩が悲鳴を上げる。けれどやはりリンクの苦しさを滲ませる声は届かず、笑うしかできない状況にハッと息が溢れた。
「クッソ!後で死ぬより辛い目に遭わせてやるからなッ!!」
そう言ってリンクが睨み付けたのは、自身の後ろで目を見開いて驚いているジュードだった。その言葉はこれから己に降りかかる痛みからくる呪いだったのか。リンクは次の瞬間、肩の痛みなどお構いなしにヨルの剣を跳ね除けた。
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