第二百三話 滑稽で哀れなもの
目が覚めると、ヨルのようにバランスも取れていない、クレイグのように安心させてくれない、エスターのように可愛らしくもない、リンクのように自由を勝ち取ったでもない背中が視界に映った。
「……高みの見物とか、何様だっつの」
意識が覚醒していくにつれて痛み始める頭にも、こっちに振り向いて嫌味ったらしく笑う顔にも苛ついてそう呟くが、ジュードは表情を崩さなかった。
「口が悪いガキだな。所詮贅を肥やすだけしか脳がないか」
「言ってくれますね。自分の立場を理解できてもいないくせに」
「いやいや、理解できているとも。今この時、俺はお前よりも上だって事をな」
「………」
脳に泥水でも入っているんじゃないのか、この男。
馬鹿げた事を言うジュードに呆れるように肩を落とし鼻で笑ってやる。すると馬鹿にされたとわかったのか、ジュードがニッコリ愉快そうに歪めていた目を大きく見開いた。
「ガキが偉そうに笑うな!!」
ガンッと殴られたのは、果たしてジュードの側にあった椅子か、それとも私か。
わかっているのは、本能的に体が震えたせいで赤い液体が自分の目を刺激した事だけだ。
あー…殴られたところから血出てるのか…。
そりゃ痛いわけだ。しかも目に血が入ったからすっごいゴロゴロする…。目に血が入るのって失明するっけ?失明するのは嫌だなぁ…。
視界が赤みがかって、可愛らしいピンク色になる。頭の痛みが強いせいなのか目の痛みをあまり感じなくて、なんとなく冷静に物事を考える事ができた。
このまま血が流れ続けたらまた気絶するだろうか。痛みのせいで気絶した事なんて、ジュードに殴られた今この時までなかったからわからない。
……とりあえず、引き出せる事は引き出してから気絶しよ。
「…なんで、こんな事するの?」
「ガキは黙ってろ」
「ここはカタルシア帝国の所有物なのに、本当良い度胸してるよ」
「………違う」
少し挑発するように言葉を続けていれば、返されたのは小さな反論の言葉だった。話す気になったのか、私と目を合わせるジュードの瞳が薄暗く色を落とす。
「ここは俺の場所だ。カタルシアの所有物だって言う事実の方がおかしいんだよ!」
「…は?」
「そうだ。そうなんだよ。それなのにお前ら皇族の言う事を無理やり聞かされて、馬鹿みたいにヘコヘコしないといけない俺の気持ちがわかるか!?俺は特別なんだ!」
何をもって特別と言っているのかまるで理解できないが、こいつが私が大嫌いな「話の通じない相手」と言う事は完全に理解できた。けど、これからどうなるかもわからないんだから、もう少し話を聞き出さないと…。
「特別ね、思い上がりじゃないの…?」
「っ!違う!俺はあの術式に選ばれた!武神が残した術式に選ばれたんだ!」
「術式…?」
「そうだ!武神が残したとされる幻影の魔術に俺の魔力が反応して動き出した!何よりの証拠だろ!?」
…つまり、ジュードは自分こそが武神に選ばれたとでも言いたいのか。話に出てきている術式が私も見たものだとすれば、ブレアやラニットも入り込めてたし、あの場所に一般人が入るのも不可能ではないはずだ。
偶然迷い込んで適合したとか?でも、それだったらフェアリーの子達も特別と言う事になる。なのに、なんでこいつは奴隷みたいな扱いしてるわけ?
私の疑問に答えるように、ジュードが口を開く。
「勘違いするなよ?俺が起動させた、俺が特別なんだ。あのクソガキどもは燃料でしかない!かつて武神に自分達の粉を献上し、生きたいがために同族殺しを繰り返していた妖精達と同じだ!」
あまり詳しくはないが、神話では武神に囚われていた妖精達は羽についている妖精の粉を奪われ、武神の命令でお互いに剣を向け合っていたとされている。同族殺しをしたのかなんて神話の話なんだから知る由もないが、あの子達は、この男にとってそういう存在なんだろう。
妖精の粉のように魔力を奪い取り、殺し合いを愉快に楽しんでいた武神のように、子供達が働くのを当然の如く思っている。
私が不快感を露わにしてジュードを睨みつければ、ジュードもまた不快そうに表情を歪めた。
「なんだその目は」
「いっ…!」
ガッと髪の毛を掴まれ、力の入らない体をずるずると引きずられる。
こんな扱い今まで受けた事なかったな、なんて他人事のように思っていると、壁に打ち付けられた。
その壁は透明で、下を覗き込めば剣闘士達が闘う会場が見える。ここが最初に来た見物席なのだと気付いた私に、ジュードは「見ろ」と言った。
「お前の騎士はお前の危機にも気づかないで剣闘士と戦うのを楽しんでる。忌み者でも、森の守護者でも、俺の幻術は見破れないんだ!」
ハハハハッ!と大きな口を開けて、大きな声で笑う。その姿がなんだか滑稽で哀れなもののように見えてしまった。
だって、確かにヨルは戦っている。用意されたバイコーンの装いで、誰をも魅了する戦いを披露している。そこに、一滴の血腥さも何もない。
おかしいところは何もない。
それがどれほど違和感を感じる事か、ジュードはわかっていないのだ。
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