第百九十話 寂しい
前半リリア視点、後半視点なしです。
──場所は変わって、アルバ国王城。リリアの庭──
寂しい、と。言葉にするのは簡単だけど、小さすぎて消えてしまった感情をどうにか抱き留めようと蹲る。寂しいという感情よりも辛いけど、それ以外に表す言葉を知らないから仕方ないんだ。
「お姫様…」
もう一度微笑みかけてほしい。あの人じゃなく、私と一緒にいてほしい。きっと今も私じゃない人と笑い合っているお姫様を想像するだけで吐き気までしてきて、どうにか我慢するために存在を消す様に目を強く瞑った。
カタルシアから帰ってきて、心に溜まっていた黒いドロッとしたものはより一層濃くなっていた。
私じゃない大事な人がお姫様にいるだけでこんなにも辛くて苦しくて、泣きたいくらい悔しいなんて。寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい。お父様は私の事を見てくれなくて、お兄様はいっぱいの人に囲まれているから私なんてきっといらない。私を見てくれるのはお姫様だけ。なのに、なんでお姫様は私を見てくれないんだろう。
見送りに来てくれた時には帰っている間、ずっと私の無事を祈って私の事を考えてくれていたに違いない。けど、今は?
あぁ、あぁ、あぁ、嫌だ。
お姫様が私以外の事を考えているかもしれないというだけで気持ちが悪い。私以外に笑いかけているかもしれないというだけで嫌悪感しか抱けない。
だって、だって私のお姫様なのに。
私を見つめてくれるお姫様なのに。
そんなの、違うよ。
「お嬢さん、どうかされたかな?」
ここは誰も近づかない私の庭のはずなのに知らない声がする。お父様がくるはずもないし、お兄様だって忙しくてきてくれない。誰?と思って顔を上げると、渋い紫のローブを着たお爺さんが立っていた。
「え…あの…」
「いやぁ、悩んでおられる様子だったのでついな。こんなにも可愛らしい方が泣きそうな顔をされているのは見過ごせまい」
腰が曲がっていて、笑い声は年相応に落ち着きがある。品なんてものを見抜ける目なんてないけれど、どこか普通の人とは違った雰囲気のお爺さんに、私は「実は…」と話し始めた。誰かに聞いてもらえたら、何か変わるかな。
「会いたい人がいて…でも、その人はいろんな人に囲まれていて、私だけを見つめてくれるはずの人なのに私以外をずっと見ているんです。それが、苦しくて…」
「…なるほど。それは辛い」
「!!」
もしかしてこの人はわかってくれているのかもしれない。誰にも打ち明ける事ができなかったけど、この人は…。
「大丈夫。その方は貴方を見つめてくれるはずだ」
「本当ですか!?」
何を根拠に言っているのかわからないけれど、それは私にすごく勇気をくれる。もっと欲しくて先を強請れば、お爺さんは優しい笑顔で言ってくれた。
「もちろん、お嬢さんは特別だからなぁ」
───
「ブレア様、こちらにお洋服を置いておきます」
近くにある滝のせいでかき消されそうになる声を張り上げると、遠くの方からブレアが「ありがとう」と言う声が聞こえてくる。ラニットは一礼すると、邪魔をしてはいけないとその場を後にした。
「本当に真面目だなぁ…」
寝起きの様な柔らかい声でブレアが呟く。別に見られても減るものではないし、サディアス神のために清められた場所でもないから声を聞く事ができないかもしれない御子の儀式になんて気を遣わなくても良いのに。それに自分の儀式は正式なものとは全く別だ。けれど、きっとそれを言ったらまた怒られるので口を噤んだブレアは、そろそろと体の芯まで冷やす様に冷たい滝に身を鎮める。
体を清める事とサディアス神への祈りを同時にしてしまおうなんて思いつくのはブレアくらいだろう。だんだんと熱を失っていく体を感じながら、ブレアは何も考えずにただ沈んでいた。
こんな事で神の声が聞こえてしまうなんて、なんて簡単なのだろう。
それは自国で神の子なのではと噂されるブレアにしかできない事だけれど、ブレアにとってはとてつもなく簡単な事だった。それに、今日も聴けてしまった。沈み込んでいた体を上がらせて、溜息を一つ。
「……僕、別に知りたくないのに…」
神の掲示なんてなくても生きていける。この世界の人間をそうやって作ったのは神様自身なのに、自分達の娯楽のために人間を動かすなんて酷い話だ。それに縋る人間である自分達も、また酷い。
今回はこの世界の中心に干渉したとか、そんな話。きっと神様が動かした人間が何かしたんだろう。
神様は自由に動いて良いと言うから自由にしているが、そのせいでラニットに何か会ったら嫌だなぁと心の中でブレアは思う。
ラニットの命なんて簡単に取られてしまうから、ブレアは一応神様に祈りを捧げているだけなのだ。
「……サボりたい…」
国から来る急かしの声も、神様から無理矢理聞かされるお告げも、何もかも無視してラニットと一緒に日向ぼっこでもしていたい。それはブレアの本音だけど、たぶんラニットには届いていない。だから、仕方がないからブレアは国からの急かしの方を頑張る事にした。ラニットには聞こえないお告げを言っても、結局ラニットにはわからないから。ラニットにわかってもらえないのは少し寂しいと、思わなくもないけれど。
ラニットが喜ぶ事をしようと思い、ブレアは冷めた体をそのままにやはり溜息をついたのだった。
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