第百八十八話 存在を知らせて
視点なしです。
コンコンッ──
可愛らしい笑い声が響いていた部屋に、誰かがノックで存在を知らせてきた。
「…サーレ様、どうやら待ち人が訪ねてこられた様ですよ」
「え?」
アステアからサーレの事を見ていてほしいと頼まれていたエスターは、この短時間で予想以上に仲良くなってしまったサーレに耳打ちをする。そしてすぐに扉を開けると、そこには少し気まずそうな顔をしたリンクが立っていた。
「席を外しましょうか」
「すみません…」
アステアに毎日の様に撫でられているとはいえ、長年皇女に仕えてきたメイドだ。エスターは暖かな笑みを浮かべてリンクを部屋へ招き入れると、入れ替わりの様に部屋を出て「ごゆっくり」と言い残し早々にその場を後にした。
リンクは後でお礼も兼ねて、女性が喜ぶ手荒れ防止のクリームでも贈ろうなんて少しばかり現実味のあるプレゼントを考えながら、目の前で自分同様気まずそうな顔をしているサーレに視線をやった。幼馴染みといえど、いや、ずっと一緒だった幼馴染だからこそ、こうして改めて会うとどうして良いのかわからない。けれど、リンクは言わなければいけない事がある。主人であるアステアにも気を遣わせてしまったのだと自分に言い聞かせ、リンクは口を開いた。
「悪かった」
頭を下げると、床ばかりの視界に小さく映るサーレの足が竦んだのが見える。いきなり謝られて困っているんだろう。リンクは申し訳なくなりながらも、頭を下げ続けた。
「ここまで大事になるとは…お前を巻き込むとは思ってなかった。本当に、悪かっ」
「謝ってほしいんじゃない!」
二度目の謝罪を言い終える前に、サーレの声が耳に木霊する。リンクはこの声に聞き覚えがあった。
何かを我慢して結局は爆発させてしまう幼馴染の、今にも泣き出しそうな声だ。
「わ、たしは!わかんなくなったの!リンク君がいなくなったのは…ちゃんと、受け止めた…それがリンク君の望んだ事だと思ったから…。でも、姫殿下に連れ去られたなんて話を聞いてわかんなくなった」
「ッ!それは違う!アステア様は俺を引き上げてくれたんだよ!」
「わかってるよそんな事は!でも、だったら、なんで言ってくれなかったの!?」
それは紛れもなく自分の言葉のせいなのだとサーレはわかっていた。自分が言い放った無責任な言葉のせいでリンクと自分との間に溝ができて、結局リンクがフィニーティスを去る事を伝えるに値しない人間にまで成り下がっていたのだと。全部わかった上で、なぜ言ってくれなかったのかと叫びたかった。
「バカ!あほ!人の事散々妹みたいだとか大事な幼馴染みだとか言っておいて最後は「いってきます」だけ!?待ってるつもりだったけど、私がここにいるのは全部リンク君のせいだからね!」
こんな事を言いたいわけじゃない。ずっと会えなかったリンクに、体調は大丈夫なのか、周りと上手くいっているのか、今何をしているのか、聞きたい事、言いたい事はもっと他にあったはずなのに。
自分に謝る姿を見て、何もかも決壊してしまった。謝るくらいなら、ちゃんと言ってほしかった。心配の一つもさせないくらい何事もなく生活させてほしかった。そうしたらずっとずっと、泣く事なく待ち続けられた。
「サーレ…」
「ちゃんと、本当に…姫殿下と一緒に行ったのは自分がしたい事をするためだって、わかってるんだよ」
アステアはリンクの意見を尊重し、自分専属の魔道具士として迎え入れた。そこに一つも無理強いはなく、サーレもリンクが無理強いされて連れ去られる様な人間ではないとわかっているつもりだった。
けれど、リディア伯爵に声をかけられた時、嫌な考えばかりが巡って何もわからなくなっていたのだ。
信頼していたはずのリンクも、大好きなはずのアステアも、昔からお世話になっていたリディア伯爵の事も。だから、確認のためにここにきた。ここにきて、アステアと話して、自分を納得させて。
「でも、やっぱり嫌だったよ。何も言わないでいなくなられるのは、怖かったよ」
置いていかれる事がこんなにも辛いと知らなかった。ボロボロと零れ落ちる涙は顔を汚して、拭っても溢れてくるから無駄だった。
好きな人とか、幼馴染とか、そんなのはもう関係なかった。大切な人がいきなりいなくなって寂しくて、納得できない自分が叫ぶのだ。
「なんで、置いて行ったの…」
一緒に行こうなんて言われても、頷く事はできなかったと思う。けれど、言わずにはいられなかった。
カタルシアに来た理由も、来るまでの不安も、今は全部に無視をして、ただあの時感じた感情だけをサーレはリンクへぶつけた。
「ごめん、サーレ」
昔みたいな、優しい声。穏やかな時間を過ごす事さえ滅多になくなっていたから、その声を聞いた瞬間サーレは泣き崩れていた。
そんなサーレを大事なものに触れる様に抱きしめたリンクもまた、瞳に涙を溜めていた。
お読みくださりありがとうございました。




