第百八十四話 この上ない英断である
リディア伯爵は何よりも騎士としての素質を大切にしていた。
それは自身にも才能というものが備わっていたからであり、その素質を持つ人間と何度も死戦を潜り抜けてきた事への安心感からきているものだった。
まぁ、ある種の洗脳に近いのかもしれない。戦場といういつ死ぬかもわからない世界で生きすぎてしまったがために、その世界で共に支え合った同志達の姿を追うように騎士の素質を持つ人間に執着したのだ。
「一度でも想像した事がありますか?才能を持っているのにも関わらず、気づいているのにも関わらず、発揮する事も開花させる事も許されない辛さが」
才能を持っていても発揮する場所がなければ宝の持ち腐れだ。それこそ、リディア伯爵が言ったように手先が器用なだけになってしまうかもしれない。
リンクは気づいていたんだ。自分には才能があると。だから出会ってから今この時まで、絶対に自分の才能を卑下するような事を口走る事はなかった。きっとこれからもあり得ないんだろう。それだけ、自分の才能に自信を持っているから。
…そんな才能を潰してまで、リンクは家に尽くそうとした。
それが母親を悲しませないためでも、父親に逆らえなかったせいでも、あるいは兄への無言の復讐でも、家族のために自分を犠牲にしようとした事実は変わらない。変えてはいけない。
「次男が長男に尽くすなど貴族として当たり前だろう!次男坊として生まれた事を受け入れなかったリンクが悪い!!」
「中途半端に貴族と騎士に足を浸している人間が貴族を語らないでください!」
確かに長男に下兄弟が家臣や右腕として忠義を尽くす事は珍しくない。共に家を栄えさせるという共通目的があるし、家族であるという事や、そこから生まれる絆も相まってとても信頼できる従者となるからだ。
だけど、それは前提として「長男が跡継ぎになる」場合に尽きる。
当たり前だ。長男であるならただの兄で家族というだけ。忠義を尽くす意味なんてないし、兄というなら忠義ではなく尊敬の念を抱くだけに過ぎない。
従者が必要なのは跡継ぎであり、次期後継者。後継者が次男ならば長男が忠義を尽くす。それを、中途半端に「長男は尽くされる存在である」という意味のわからない考えを振りかざして言い訳するなんて、不愉快すぎて思いっきり眉間に皺が寄ってしまった…。
「中途…半端…?」
おそらく人生の中で初めて言われたんだろう、顔に書いてある。そうだね、その豪快を見せかけて雑なだけのクソ精神をずっと持っていれば、普段は言われる事はないんだろうね。
「えぇ、中途半端も良いところですよ。そんなだから──」
そこで一旦言葉を区切り、離れた場所で誰にも気づかれずに状況を見守っていたクレイグへ視線で合図する。すぐに気づいたクレイグがこちらにわざと足音を立てて近づいてきて、あからさまにブレイディの顔がげんなりと萎れてしまった。
………なんか、ブレイディってクレイグの事苦手だよね、昔から。
掴み所がないからとか?そのくせ会うたびに話してるところは見かけるからよくわからない二人だ。
数秒もしないうちに私の隣までやってきたクレイグが差し出したのは、一通の手紙。それはフィニーティスの王様からの手紙で、優しい言葉達と共に同封されていたのは、薄っぺらいけれど一人の騎士の人生を失墜させる事が可能な紙切れ。
「優しい王様にも見放されちゃうんですよ」
言葉の続きを言いながら、その紙を見せる。すると見事に顔が青くなっていき、同じように紙を確認したリンクはあり得ないものを見るような目でこちらを凝視していた。
──他国有罪処罰許可証──
なんともわかりやすい名前だが一応説明すると、これはフィニーティスの国民が他国で罪を犯した場合発行される許可証で、その名の通りその地で出された有罪判決を受け入れて、どんな罰でも全て実行して良いですよ、というもの。
国民と言っても、平民は裁判までは行かずに自分達で解決してしまったり、罪を犯したとしてもその場で現行犯逮捕される事が常なので、大体発行されるのは貴族の場合だけだ。そして、この許可証が発行された瞬間から、国の名前に傷をつけた大罪人としてフィニーティスでの地位は地に落ちる。
「驚きましたか?まさか自分が国王から見限られるわけがないと。でも残念!貴方が思っているよりよっぽどフィニーティスの王様は聡明な方ですよ」
ここがカタルシアでなかったなら、もっと寛大な処置だったかもしれない。けど、ここは王様の友人である皇帝が治める国であり、王様は次期国王であるブラッドフォードがカタルシアの第一皇女に好意を寄せていると知っている。ここで処置を甘くしてカタルシアとの亀裂を生むより、一人の騎士を…いや、一人の罪人を犠牲にして終わりにしてしまった方が良いと判断したんだろう。この上ない英断である。
「騎士団長から罪人への降格おめでとうございます!リディア伯爵!」
嫌味たっぷりに笑みを深めてやれば、絶望したような顔をしているリディア伯爵と目があった。
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