第百七十七話 寵愛され続ける皇后
重い腰を上げて数分。なぜか皇后宮から使者が来た。なんでも、「あの子ならすぐに来るわよね」と母様が予想をつけていたらしい。
なんなんだ、お母様はエスパーなんですか?
「お久しぶりです、第二皇女様」
「あ、カミラ…久しぶり」
皇后宮の門の前で待っていたのは、いつも無表情のカミラだった。美人な事は美人なのだが、今まで一度だって笑顔を見た事がないくらい無表情。母様のメイドを勤めていて、母様を宥める事のできる数少ない人間の一人だ。
「クレイグさんもお久しぶりです」
「お久しぶりです」
従者同士、何かと接点はあるんだろう。私よりも親睦を深めていそうなクレイグがにこやかに笑うと、カミラは無表情で私達に背を向けた。
「箱庭までご案内いたします」
そう言って歩き出したカミラの後を追って、私も歩き出す。いつの間にか姿を消してしまった使者はある種優秀だが、それを褒めるのはあとにして。
カミラが言う箱庭の説明でもしようか。
言ってしまえば単なる庭なのだが、用事がない限り滅多に皇后宮から出てこない母様のために父様が作ったカタルシア一美しいと名高い庭。時には楽しげに駆け回る兎がいたり、気品溢れる白鳥が飛んでいる事もある。少し不思議で、国一番の美しさを誇る事から、その庭はいつしか「皇后の箱庭」と呼ばれる様になったのだ。
「どうぞ」
箱庭の入り口に立ち、スゥッと息を吸う。母様と会うのは緊張するので、いつもここで大きな深呼吸をする事にしているのだ。きっと母様にはバレているんだろうけど、自分の心を落ち着けるためなんだから別に構わない。
カミラがゆっくりと箱庭の扉を開くと、視界いっぱいに美しいという言葉で統一された庭が現れた。
そうして美しい絵の様な庭の中でも、存在感を失わずに溶け込んでいる人が一人。
「お久しぶりです、お母様」
心臓を鳴らす緊張に負けない様に笑顔を浮かべれば、「母親に久しぶりなんて、おかしな話よね」と笑いながら答えられてしまった。
「それはお母様が皇后宮から出てこないからじゃないですか」
「あら、それはあなただって同じでしょう?まぁいいわ、早く座りなさいな」
芝生さえ美しいと思えてしまうのが心底不思議な庭を踏みつけて、母様の目の前に用意された椅子に座る。いつの日か父様が、「薔薇の様な人だろう」と自慢してきた事を思い出し、目の前の母様をチラリと盗み見た。
──ロゼッタ・カタルシア・ランドルク──
カタルシア歴代皇帝の中でも頭一つ抜きん出ている父様から寵愛され続ける皇后であり、私の母である。
母様が動くたびに揺れる長い紫の髪は光が通る事によって淡く儚い印象を受けるが、その海の様に透き通った青の瞳は冷静さと美しさを演出している。まさに美しいという言葉を形にした様な美貌を持っている母様の血を引いているのだから、姉様や兄様、アステアが美しい見た目をしているのは当然の事だと思えるほどで。
母様がいる限り、どんな傾国の美女でも皇帝の愛人にさえなれないと謳われる。カタルシアが誇る美女だ。
「本当に久しぶりね。いつぶりかしら」
「去年の結婚記念日が最後なので、おそらく一年ぶりだと思います」
「そうだったかしら?というか、結婚記念日ってもうすぐなの?」
「………父様が聞いたら泣きますよ、それ」
「陛下が泣いたって誰も困らないじゃない」
困るから!主にエミリーを始めとした家臣が死ぬほど困るから!
一回母様がからかうつもりで「嫌いよ、陛下なんて」と言った日の事を忘れたなんて言わせない。一日中泣きながら仕事を続けて三日三晩眠る事のできなかった皇帝を支えた家臣を、兄様が一生懸命労っていた時の事は鮮明に覚えている。
しかも原因になった母様は「そんな事で泣くなんて本当に可愛らしい方ね」と笑っていたんだから、誰が勝てるってんだ、この母に。
いや、今は勝ち負けの話をしてるんじゃない。とにかく、母様の一挙手一投足で国が傾く事もあり得るんだから、まじで困るって事をわかってほしい…。
「あなたをここへ呼んだ理由なんだけどね」
「え?あ、はい」
ぐるぐると母様の発言について悩ませていた頭を一旦停止させ、母様を見つめる。皇帝でさえ太刀打ちできないんだから、もう私が何をしようと無駄だ。素直に次の言葉を待っている私を見て、母様は実に艶やかな笑みを浮かべた。
「あなたが起こした素晴らしく楽しい出来事の数々を直接聞くためなの」
早く聞かせて?と首を傾げる母様は心底楽しそうで、私は若干の冷や汗をかき始める。
………これ、徹夜とかにならない…よね…?
あり得なくはない。だって、母様は用事がない限り皇后宮から出ないけど、外で起こった事や情報、噂が大好きだから。
私は箱庭の入り口でした深呼吸をもう一度してから、目をキラキラと輝かせている母様を見据えた。
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